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まず、二人はブラックマーケットへ足を向けた。本来ブラックマーケットは非認可のルートでヤミ物資を売り捌く、公の立場からは排除すべきものではあるが、正規ルートで出回っている物資だけではデノン・タウンの住人すら生きていけない、という状況がマーケットを半ば政府黙認（公認ではない）の市場という、微妙な位置に置いている。 「・・・も、もう着いたんですか？」 嫌がるルカを押し退けてマリア自ら運転席に乗り込んだだけあって、普通なら十五分近くかかるところを、たった五分で乗り付けた。殆ど暴走族並みの速さである。 「マリアさん、駄目ですよ、無茶しないでください。事故を起こしたら困ります」 「起こしてたまるかよ、こんな道」 車から降りた途端、ざわりと周囲が騒めく。ルカはまだ顔が売れていないが、マリアはすでに知らぬ者のない敏腕刑事だ。マリアに歯向かうような輩は、もうチンピラ犯罪者の中にはいない。 「表通りの、しかも真っすぐな道だぞ、どうやったら事故るんだ」 「そうかもしれませんけど・・・安全第一、ね？」 「けっ」 マリアは鼻で嗤うとひらひらと一枚のコピー紙をルカの鼻先で振った。 「・・・あ、それ・・・」 「入り組んだ裏通りの路地を、二百キロオーバーでぶっ飛ばして始末書を書いたのはどこのどいつだ」 「そんな、昔のことを蒸し返すなんてずるいです！」 「三ヵ月前が、昔かよ？」 「・・・そんなもの、どこから手に入れたんですか」 諦めたような、開き直ったような表情で見上げるルカに、マリアは楽しそうな笑顔を向けた。 「調べものが得意なのはお前だけじゃないってことさ。ごく普通にセレナのメモリーにアクセスしただけだ。しかし何だな」 子供相手に恐喝を働いているチンピラをぶん殴って、尻を蹴飛ばしてから、マリアはルカを見やった。 「お前も結構始末書を書いてるよなあ。お前の名前を入れただけで山ほど出てきたぞ」 「・・・マリアさんには、負けてると思います」 「喧嘩売ってんのかよ、てめーは・・・お、ここだ」 崩れかかったビルの入り口で立ち止まると、慣れた調子ですたすたと中へ入っていく。頭上を気にしながらルカが恐る恐るついていくと、奥まった部屋に子供達が侵入者の気配に怯えたようにかたまっていた。 「爺さんはいるかい？」 「あ・・・マリアさん！」 マリアに気付いた一番年上らしい男の子が声を上げて駆け寄ってきた。 「お爺さんは買物にいっています。すぐに帰ってきますから」 「そうか、子供ばかりじゃ淋しいだろう」 子供達はいそいそと彼らなりに一生懸命マリアをもてなそうと部屋を片付け、コーヒーらしきものを二つ、運んできた。 「おねえちゃん、どうぞ、って」 年長の少女が、まだ三つくらいの女の子に盆を持たせてやる。幼女は嬉しそうに目を輝かせて、マリアに微笑みかけた。 「おねえたん、どーど」 「ありがとう、ジュディ」 「おにいたんも、どーど」 「・・・ありがとう」 ルカは微笑み、ジュディの髪を優しく撫でた。なぜか辛そうな、哀しそうな瞳で幼女を見つめるルカ。 ふと我に返ったようにカップの中の液体を口に含んだとき、ルカは思わずマリアを見つめた。 「どうした、ルカ？」 何でもない、と笑みを浮かべて首を振ったあと、ルカはありったけの勇気を振り絞って液体を嚥下した。 これが、コーヒーか？確かに匂いと味はコーヒーらしきものだが、こんなに舌にざらついてヘドロと油の匂いがするコーヒーなど、飲んだことがない。水質がかなり悪いらしく、砂が混ざっている。マリアはよく平気な顔で飲めるものだ。 だが、出来るかぎりのもてなしをしようとしている子供達の前ではとても吐き出せない。しかもこのコーヒーの味が、単に手元がおぼつかない彼らの責任なのではなく、こんなもの、こんな水しか口に出来ないでいるという境遇に気付いた時、・・・不安気にルカの様子を見つめている子供達と目が合って、ルカはにっこり微笑んだ。 「いつも、お爺さんが出掛けてるときは、みんなでお留守番してるんだね」 「うん」 「そう、偉いね」 全てコーヒーを飲み干したルカを見て、子供達は安心したように近寄ってきた。 「お兄ちゃん、お名前はなんていうの？」 「ルカだよ」 「ルカお兄ちゃんは、マリアお姉ちゃんのお友だち？」 「そう、一緒にお仕事してるんだ。まだ一週間しか経ってないんだけど」 「じゃあ、お姉ちゃんよりずっと年下なんだね」 子供達は純真だ。何の含みもなく、見て、感じた通りのままを口にする。さて、なんと返事したものやら、・・・そうだよ、といえば嘘になるしマリアにも殴られるかもしれない。だが、年上だと正直に答えたら、あとの説明にてこずる気がする。 結局、ルカは遠回しに、その実答えにはなっていない答えを口にした。 「うん、後輩なんだよ」 「デノン・タウンではね」 マリアも横から適当に辻褄を合わせる。さすがに年長の子には何かおかしい、と思われたようだが、ちょうどいいところに、一人の老人が入ってきた。 「あっ、お爺ちゃんだ！」 「お帰りなさい！」 わっと子供達が立ち上がって、老人目掛けて走り寄る。人のよさそうな老人は、にこやかな笑みを浮かべて一人一人、子供の頭を撫でていった。 「ただいま、いい子にしていたかい？」 「うん！ちゃんとお姉ちゃん達のいうこと、きいてたよ！」 「マリアお姉ちゃんが来てるんだよ！」 口々に騒いではしゃぐ子供達に、老人は大きな袋の中から、小さな紙袋を取り出した。 「さあ、飴を買ってきたよ。向こうで食べなさい」 「はーい」 子供達が嬉しそうに奥へ走っていった後、老人は警戒するような視線をルカに向けた。 「新しい方ですか」 「ルカだ。こいつは信用していい、安心してくれ」 マリアの言葉に、ほっと安心したようなため息をつくと、老人は二人の前に座った。 「どうかお気を悪くなさらないでください。こんな老いぼれ一人では、子供達を守ることはおろか、自分の身さえままならないこともありますのでな」 「いえ、気になさらないでください。無理もありませんよ」 「爺さんは、親を失った子供達を集めて育てているんだ。たまに、人買いが来るんであたしが追っ払ってるわけだ」 「マリアさんには色々お世話になりっぱなしなのに、何一つお役に立てませんで・・・」 情けなさそうに言う老人の言葉を遮り、マリアはあっさりと首を振って笑った。 「なに、見返りを期待して親切なフリをするほど落ちぶれちゃいないさ」 「そうでしたな・・・」 「と、偉そうなことを言った後で何なんだが・・・爺さん、このあたりで最近急に金回りがよくなったような奴を見かけなかったかい？」 「最近、ねえ・・・」 老人は首を傾げて考える様子を見せたが、すぐに否定した。 「金回りがよくなれば、こんな所、二度と出入りしやせんでしょうからなあ」 「じゃあ、羽振りのいい新入りは？」 「それも、今のところは・・・しかし、気をつけていますよ。何かわかれば、お知らせします」 「頼むよ。でも、無理はするなよ・・・普段どおりの生活をしている中で気付いたことだけでいいんだ。むしろ嗅ぎ回ったりしないでも、自然に耳に入ってくるような情報が欲しいんだからな」 「ええ、わかってますよ。無理をしたくても、出来るような歳じゃありませんからなあ」 少しだけ、淋しそうな笑顔を浮かべた老人に、マリアは黙って一枚のカードを差し出した。 「これは・・・いけませんよ、マリアさん」 「いいよ」 もし、鈍臭いルカが差し出していたのなら、押しつけあいのもみ合いになっていただろう。しかし、マリアはぽつっと呟いてすぐに建物を出てしまった。慌ててルカが後を追い、その後を老人が追う。 「先月にも、二千デジットのカードをいただきました。こんなにしていただいても、私には・・・」 「別に、道楽や気紛れであんたに金を恵んでいるわけじゃない」 ぶっきらぼうに言うと、マリアは静かな瞳で老人を見つめた。 「あの子達にとって、あんたは唯一の拠り所だ。金や食物をもっているからじゃない、自分を大切に慈しんでくれるから、あんなにも懐いている」 「・・・」 「子供達のためだ。もちろん、あんたのためでもあるけどね」 「ありがとうございます・・・」 拝むようにしてマリアに頭を下げる老人にさっさと背を向けるマリア。 確かに、道楽や気紛れで二千デジットのカードをぽんと恵んでやれるほど、マリアは高給取りのエリートではない。連邦捜査官の肩書きがついているおかげで、一般の警察官よりは稼いでいるが、二千というと給料の二割に近い数字だ。それでも、老人に殆ど月一回の割でカードを渡すのは、マリアも昔、あの子供達のように親の愛情に包まれて育つということがなかったから・・・それも、あの老人のような親代わりに愛情を注いでくれる保護者に育てられたのではなく、ゴミ溜めと同義語のような施設で命を削るようにして生きてきたから------ 後を追い掛けてきたルカが、不思議そうにいった。 「マリアさん、子供好きなんですか？」 「・・・悪いか」 「いえ、全然。ただちょっと、意外だったなって。マリアさん、子供嫌いそうだったから」 「子供による」 マリアはキョロキョロと何かを探しながら言った。 「うるさいのとチョロチョロ邪魔をするのは嫌いだ。子供だから嫌いなんじゃない」 「あ、なるほど」 マリアはなぜかゴミ捨て場で足を止めて、ルカを振り返った。 「吐いていいぞ」 「え？」 目を丸くするルカに、マリアは苦笑とともに、優しい目を向けた。 「よく我慢して、飲んでやってくれたな。胸が悪いだろう、ここで全部吐いちまえ」 あの、さっきのコーヒーのことを言っているのだと気付いたルカは、青い顔でマリアを見つめた。実際、マリアを呼び止めて、どこかで胃の中のものを身体から出してしまいたい気分だったのだ。 「・・・マリアさん、よく平気でいられますね」 「もう慣れたからな」 マリアは肩をすくめた。 「あたしだって、初めて飲んだときは気持ち悪くて死にそうだったよ。五分と保たずに吐いちまった」 「やっぱり」 「・・・あんな水しか飲めないんだ。あの子達のせいじゃない」 「ま、マリアさん」 ふと気付くとルカの姿が見えない。声の出所をさぐって行くと、足元にしゃがみこんでしまったルカがいた。 「す、すみません、背中・・・」 「・・・」 うう、とくぐもった声を上げて苦しそうに嘔吐するルカ。何となく、ため息をついてマリアはルカの背中をさすってやった。 |