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噂は流れるのが早い。 悪い噂ならなおのこと、大した内容のないものでも、あっという間に広まってしまう。関係者が吹聴したこともなく、他人に話した記憶すらないというのに、いつのまにか誰一人として知らぬもののない状況になる。 「ねえ、マリア刑事」 マリアはため息をついた。きゃあきゃあという女達の声など聞こえないふりをして、そのまま先を急ぐ。 「マリア刑事ったら！」 肩を叩かれては無視するわけにもいかない。不機嫌を隠そうともせず、マリアは振り返った。 「何か用か」 「マリア刑事の新しいパートナーって、セレナから来たんですってね」 「それも、連邦捜査官なんでしょう？すっごーいっ」 「とっても可愛い顔なのにぃ」 うんざりする。 転属してきたルカと組まされて一週間、ルカの前任地や階級はすでに総合警察庁本部中の噂になっていた。クライム・タウンと称されるデノン・タウンに次いで犯罪発生件数が多い街、そして凶悪犯罪に対する専門捜査班が設置されているラパス連邦副首都、セレナ・シティーがルカの前任地。 そして出身のセレナのポリス・スクールは軍隊よりも苛酷な訓練と、実戦さながらの実習を課せられることで有名だ。そのため、卒業までに多くの落伍者と死亡者を出す。反対に、スクールを卒業した警官はすぐに実戦に投入されても使いものになるという利点もあるが・・・大概の人間は、荒々しい性格の、無法者と紙一重の刑事になる。 とてもルカがセレナのスクール卒業生とは思えないのは、パートナーにあてがわれたマリアも同じ思いだが、だからといってきゃあきゃあ騒いでルカを追い回すこともあるまいに。 マリアは盛り上がっている内勤婦人警官を置き去りにして立ち去ろうとした。 「あ、待ってったらぁ、マリア刑事」 「あんたらが探してるのはルカだろう、あたしには関係ない」 「あら、だってぇ、ルカ刑事のパートナーでしょう」 「ねえ、どんな人？やっぱり、かっこいい？」 マリアはため息をついた。 ああ、コンビを組んでから、一体何人の女に掴まって何回問われたことだろう。ルカの年令にはじまって、誕生日に好きな色、食べ物、タイプの女性、身長、体重、スリーサイズ等々。女じゃあるまいし、ケツの大きさなんか聞いてどうするんだ、とつい口走ったら、いやぁだ、マリア刑事ってば、ときたものだ。何がいやぁだ、だ、いやぁなのはこっちだ、と爆発しそうな怒りを飲み込んでさっさとその場を立ち去ると、曲がり角で出会い頭にマリアを探して走ってきたルカと正面衝突した。ルカの額で顎をしたたかに打ったマリアの怒りが、何の罪もないはずのルカ目掛けて炸裂したのは言うまでもない。 「・・・どんな人かなんてあたしに聞かずに、直接本人を見たらどうだ。その方が余程確実だと思うが」 「でもぉ、恥ずかしいじゃない」 「恥ずかしいって・・・見るのが恥ずかしいのかよ」 「見るだけならいいけど、気付かれたら恥ずかしいでしょう？」 「何のために見るんだよ？近付きたいからだろうが」 「だってぇ」 わからん。 マリアはしげしげと目の前にたむろする、若い婦人警官達を見つめた。もちろん、マリアもまだまだ若い女性の一人だが、どうも感覚的にこの女達とずれている気がする。五歳も年が違えばすでにジェネレーションギャップは成立するものなのか、それともマリアの方が若い女性らしくないということなのか。前者の可能性もあるが、マリアの場合はおそらく後者だろう。 「彼氏が欲しいだの、結婚したいだのという割りには、恐ろしく後向きなんだな、お前さん達は」 「まあ、マリア刑事は好きな人の前に立つのが恥ずかしくないの？」 「さあ、そいつが本当に欲しけりゃね。あたしはとにかく、後悔だけはしない主義だから」 「すっごぉい！マリア刑事って、大人なのね！」 「かっこいい、憧れちゃう！」 「マリア刑事には、結婚を考えるお相手がいらっしゃるの？」 「・・・」 何となく、マリアは情けなくなってきた。肩を落とすと婦人警官達の間を擦り抜け、歩きだした。後ろでは相変わらず、ルカがどうした、マリアは女性の憧れだなどと抜かしている。内勤警官といえど、このデノン・タウンでは警察官が暇にしているという状況などありえないはずなのに・・・まったく呑気なものだ。 「・・・結婚か」 目的地------射撃場の扉の前で、マリアはふと立ち止まった。 同じ刑事課の同僚が、新婚旅行に出掛けている。強盗事件の捜査中にたまたま出会った女性と恋に落ち、そのまま目出度く結婚に漕ぎ着けた。 結婚など考えたこともなかった。男は敵か、味方か、その程度の区別しか付けなかった。好きだとか嫌いだとか、そんなことは思いもしなかった。大体、男か女かという区別自体、していなかったようにも思える。敵なら倒す、味方なら・・・味方なら？ 「結婚を考えるような可愛いオンナが、こんなモン持ってうろつくかよ」 男性でも扱いが難しい大型銃が、マリアの相棒。決して裏切らない、全幅の信頼を寄せられる武器。いつ、如何なる時でもジャケットの内に下げている銃を手放しても安心できる、そんな相手がいれば、あるいは・・・。 射撃場に入ると、場内の半分は射撃テストに使われていた。二年に一度、ラパス連邦の警察官は全員射撃テストを受けなければならない。連邦捜査官たるマリアも例外ではなく、来月になればチェックの順番が回ってくるはずだ。空いているブースはないかと視線を彷徨わせると------噂のルカが隅の方で射的をしていた。 威力こそあまりない小型銃だが、当たれば当然痛いし、急所に当たれば一発で即死だ。使う弾を変えれば大型銃並みのダメージも与えることが出来る。 「・・・」 全弾、的の中心に打ち込まれている。その証拠に、ルカが何回引き金を引いても、的の穴の大きさがほとんど変わらない。ずっとマリアが優勝をさらってきた、総合警察庁本部の射撃大会のトップの座は、今年はもしかしたらルカに奪われるかもしれない。 ルカがふと息をつき、銃を降ろした。全弾射ち尽くしたらしく、的も降ろしてしまう。回収されてきた的を確認もせずブースから出ようとしたルカが、後ろに立っていたマリアに気付き、ヘッドホンを外してにっこり微笑んだ。 「あ、マリアさん、お早ようございます」 「・・・おう」 相変わらずルカは、誰が相手でも丁寧な言葉遣いで話す。たとえ年下でも、たとえ階級が下の人間にでも。そしてマリアは、というと散々呼び付けにしたルカ相手にいまさら敬語もないだろう、ということで、相変わらずお前呼ばわりの暴言混じりの言葉遣い。 ルカはマリアのぶっきらぼうな返事にも気を悪くした様子もなく、訊ねた。 「マリアさんも、射撃テストですか？」 「いや、あたしは来月。お前もチェックか？」 「ええ、転任ということで。一応、去年済ませたんですけどね」 伸ばしたマリアの手に、ヘッドホンを差し出す。何気なく目をやったルカの細い指に、ごく小さな、目立たない痕跡を認めてマリアは思わず声を出した。 「あれ、お前・・・」 「え？何ですか、マリアさん？」 左手の薬指に残る、痕跡。 結婚指輪がはめられていた、微かな跡。 「・・・」 なぜ、外したのだろうか？ マリアの視線の先に何があるのか気が付いたルカは、・・・とても淋しそうな目をして、笑った。そして、マリアが何か言うのを待っている。手を隠しもせず、マリアの前に差し出して、何かを問い掛けられるのを待っている。 マリアは無言でヘッドホンを取り上げると怒鳴った。 「さっさとどけ！」 「え？」 「いつまでそこに突っ立ってるんだ、あたしにそのブースを使わせないつもりか！」 「あ、そ、そうでした」 ルカは慌てて脇へ体を寄せ、マリアのために道を開けた。銃を取り出し、標的をセットするマリアに、ルカが静かに言った。 「マリアさん」 「ん」 「何も・・・聞かないんですね、マリアさんは」 返事はなかった。低い発射音が立て続けに響く。最初は中心に、次は隅に、綺麗に線対称に穴が開いていく。六発射ち込むと、次は人間のシルエットの的がセットされる。三発を腹に、二発を胸に、残りの一発を眉間に。全弾射ち終えた弾倉を取り外すと、マリアは呟いた。 「お前は訊いて欲しいのか」 「・・・」 「だったら、外で騒いでる婦警にでも訊いてもらえ。お前のことなら何でも、聞きたがってる」 マリアは振り返ると、ヘッドホンを外した。 「それこそ、誕生日から好きな食い物から、ケツ周りの大きさまでな。あたしはそんなこと、どうでもいい」 「じゃあ、・・・どんなことだったら、聞きます？」 「何も」 ブースから出ると、全弾込めた弾倉をセットしてジャケットの内のホルダーに銃をしまいこむ。 「お前は刑事として信用できる。それで十分だ」 「・・・」 「話したいって言うのなら、聞いてやってもいいがな。それでもまだ、訊いて欲しいか？」 「いえ・・・」 ルカはひとつ年下のマリアよりもさらに幼く見える顔に、安心したような表情を浮かべた。 「正直言って、ちょっと困ってたんです」 「しょうがねえよ、お前がセレナに居たなんて、あたしだって今でも信じられないくらいだ」 「いえ、そうじゃなくて、その・・・」 困る、の内容がマリアが思い浮べていたものとは少し違ったようだ。若い女性に色々と言い寄られるのが困っていたようで、前任地でのことは殆ど聞かれたことがないらしい。マリアは苦笑した。 「聞かれそうなことを全部リストアップして、掲示板にでも貼っておいたらどうだ？」 「そんなあ」 「その方が、あたしも助かる。いちいち知らん、本人に聞け、って怒鳴るのは面倒だ」 「だけど、そんなもの張り出したら、僕はいい恥曝しですよ」 「・・・そうだよな」 「ちょっとマリアさん、何でそこで同意するんですか」 ずかずかと歩いていくマリアと、それを追い掛ける小柄なルカと。この三日間で、すでに二人の姿は本部に馴染みのあるものとなっていた。一人ずついる時には群がる婦警達も、二人が一緒にいる時は近付こうとしなかった。連邦捜査官が二人揃って遊んでいるはずがないと思うのだろう。実際、そうなのだが・・・。 「マリアさん、今日の仕事はどれにしますか？」 「嬉しそうに言うなよ、お前は」 そういいながらも、マリアもどれにしようかな、などと言って自分好みの事件を選ぼうとしているのだから、大きなことを言えた義理ではない。 「・・・よし、これ」 山積みされた事件のファイルからひとつ抜き出したのは、最近連続している強盗事件だった。強盗事件など珍しくもないが、この一連の事件は同一犯の犯行と思われる節が多々あり、盗みだしたキャッシュ・カードの名義はもちろん、残高まで巧妙に書き替えてしまう大掛りな組織がバックについていることが推察される。 貨幣が消えたのは、もうずっと昔のことだ。全世界の経済は国際銀行で発行されるキャッシュ・カードに記録された数字で動いている。そのカード記録を書き替えてしまうということは、国際銀行が計画的に発行したカードの価値を下げてしまうということにもつながる。ただでさえラパス連邦の経済は停滞し、ブラックマーケットが幅を効かせている状況が続いているというのに、根本から経済活動を混乱させるような犯罪を野放しにしておけば、政府が転覆することもあり得る上に、治安がさらに悪化する。これ以上治安が悪化すれば、・・・まさに弱肉強食、獣と変わらない生きものにまで『退化』する恐れもある。 「よし、行くか」 「はい、マリアさん」 |