|
「だめよ。あなたではこの世は救えない」 いつの頃からか、見るようになった夢。 この世を救う？私はそんなことを考えたことは一度も無い。だが、いつもいつも、夢の中で女がそう言う。 そうなのかもしれない。 自覚していないだけなのかもしれない。私は世界を救いたいのかもしれない。だが、理想と現実が一致しないのは今に始まったことではない。何かをしたい、選ばれたいと思っていても、そう希望している人間が選ばれるという保証は無い。むしろ、どうでもいいと思っている人間が往々にして選ばれる。 とりあえず、今の私には「世界」はどうでもいい。無意識の願望はこの際、無視することにする。現実の状況把握と事後処理に追われている状態では、自分の周辺を整理することで精一杯だ。 「あなたは破滅する。あなたは消滅する。あなたは崩壊する」 うるさい女だ。 いまは放っておいてくれ。 いま、死ぬわけにはいかないんだから。 「あなたはこの世を救えない」 その日によって台詞は少しずつ違うようだ。 女は哀れむように私を見ていた。 「・・・先輩」 若葉が口を滑らした。わずかに眉をひそめたが、口にしてしまったものは仕方が無いと諦めたのか、もう一度呼びかけてきた。 「先輩。近頃顔色が悪いのではありませんか？」 「いつものことだろう？」 笑うと、今度ははっきりと眉を寄せた。 「そうじゃなくて・・・いつもより大分顔色がよくありません。本当に、大丈夫なんですか？」 「大丈夫だよ、倒れてるヒマすらないからね」 一時、『高級』から『特級』へランクアップされる犯罪者の数は激減していたが、最近では元の水準を遥かに越えて、増加しつつあった。『大法廷』審判場で『特級』へのランキングが決定されれば、あとの始末は全てこの治安『法廷』へ回される。当然、治安『判事』としての事務量も飛躍的に激増した。 「でも、先輩・・・」 「・・・大丈夫だよ」 私は世界を救おうなどとは思っていない。 とりあえず、自分の周辺を整理することで精一杯だ。 「あなたは崩壊する」 女がそう言って、無表情私を見つめる。いや、・・・見つめているのではない。ただ、対象物を眺めているだけだ。そこに感情や意思はかけらもない。 悪夢にも見放されたらしい。 「翡翠」 呼び止められて、振り向く。どうということはない行動だが、この『法廷』庁舎では久しくなかったことかもしれない。治安『法廷』から出ることがあまりないし、出たところで、誰かが自分を呼ぶなどということは殆どない。 避けられているみたい？ いいや、確かに避けられているのだ。 「何でしょうか、『大判事』」 「来週にランキングの裁定会議があるが、『ガーディアン』の指令数はどんなものだね？」 「そうですね、おおよそですが、七十数パーセント・・・八十パーセントには満たないと思います」 「そうか、なら多少増えても可動範囲内だな？」 「それは・・・その数と地域にもよりますが・・・」 「ベータ・ゾーン内だ」 翡翠は少し眉を寄せた。 「ベータ・ゾーンですか・・・あまり増えると、手が回らなくなる可能性もあります」 「何故だ、人手は余っているのだろう」 「若干地域に偏りがあるのです。ベータ・ゾーンよりアルファ・ゾーンに、人材が集まる傾向がありますので」 『大判事』の目が一瞬、揺れた。 「・・・そうか。まあ、我々としても『ガーディアン』に頼らずとも何とかしたいとは思っているがね。ああ、引き止めて済まなかった」 「失礼します」 人材、か。 『大判事』の目は、『ガーディアン』------人殺しを「人材」と呼ぶ翡翠を蔑んでいた。いや、むしろ憐れんでいたというべきか。 人殺しを使わなければどうにもならない治安維持。 人殺しを「人材」と呼ばなければならない、情けない治安『判事』。 「あなたは、どうして法律大学に入ったの？」 無邪気な女性の声がした、気がした。 |