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ナッシュの傷は大したものではなかった。長さこそ四十センチとかなりのものだったが、殆ど皮一枚を斬られた程度だった。むしろ、警備員を庇ったキャット・テールの傷の方が深いと言えた。 「キャット、その傷・・・」 いつもと変わらなかったリーダーの動きに、まさか怪我をしていたとは思わなかった部下たちは一様に青ざめたが、彼は苦笑して首を振って見せた。 「大したことはないさ、多少血は出たがもう塞がってるよ」 だが、黒いボディースーツの下は、べったりと血で汚れていた。軽傷とは言うものの、今まで敵に傷つけられたことなどなかっただけに、部下たちの受けた衝撃はそれ以上のものがあった。しかも、彼を傷つけたのは同じ仲間なのだ・・・兄貴分のナッシュは今にも倒れそうなほど、青ざめた表情で頭を抱え込んでしまっていた。 「それより、クトはどうした。もうそろそろ目を覚ます頃だと思うが」 「はあ、さっき気づいたようですが・・・」 「呼んできてくれないか。ただし、今夜のことは何も言わずにな」 ザウルに連れてこられたクトは、ぼんやりとした表情だったが、仲間やキャット・テールの前に立つと、ぺこりと頭を下げた。 「すみません、俺、何かヘマしたんですね」 「ヘマってお前・・・」 「いいさ、お前に怪我がなかったんだから」 何か言おうとしたザウルを制して、キャット・テールは微笑んだ。 「クト、覚えてるか？」 「いや、それが・・・ここを出るときから何だか眠くって。殆ど覚えてないんで・・・俺、見張り中に居眠りでもしたんですか」 「ホントに覚えてねえのかよ、お前は！」 堪えきれずに怒鳴ったナッシュを見て、クトは怯えたような目をした。 「俺のせいで怪我したのか、ナッシュ・・・ごめん、謝って済むことじゃないと思うけど・・・」 そこにいるのは、いつもの、少し気の弱い、大人しい青年だった。 あの、キャット・テールにさえ手傷を負わせた狂気のような目の光はどこにもない。妖気すら漂っていた殺気がまるでウソのようだ。 「お前のせいどころか、お前はな！」 「よせ、ナッシュ。クトのせいじゃない」 「だけど、キャット・・・！」 キャット・テールは緩く首を振ると、立ち上がった。ナッシュが部屋の隅に放り出してあったあの長剣を手に、低い声で詠うように言った。 「天に月、地には華・・・」 すらりと鞘から姿を現す刀身。美しい、神秘的な蒼い光を放つ刀身は、まるで夢幻の彼方に存在するという蒼い蓮の花を思わせるほど、神々しく・・・・・ 「・・・空を染め灼く蒼い焔」 サントが後を続けたとき、彼の顔は血の気が引いて紙のように白くなっていた。 「なんだいそりゃ？」 「『月華蒼焔』・・・まさか、本当に存在したなんて・・・！」 「何だよそれ？」 「お前たちが知らないのも無理はないな・・・リプト、お前さん、知ってたかい」 リプトは首を振ったが、青い顔をしてしているところをみると、噂話程度には聞いたことがあるらしい。 「お前たちが生まれるか生まれないかの頃の話だ。璃刀という、名刀工がいたんだが、これが偏屈な変わり者の爺さんだった」 「キャットは会ったことあるのかい」 「ないよ。璃刀は俺がまだガキの頃に死んだからな。・・・自刃したんだ」 「何で？」 「璃刀は死の直前、殆ど発狂していたんだな。人を斬り殺すためだけの刀を作ろうとしたんだ」 「・・・でも、刀ってのは武器だろ。人を殺すためのものじゃないか」 キャット・テールは苦笑した。 「そりゃあそうさ。でも、璃刀の作ろうとしたのはそれだけじゃない、斬るための刀、一度抜けば誰かを殺さずには納まらない、血を求めて止まない妖刀だった」 「・・・」 「璃刀はただ一人のために、その刀を作った。天性の殺人鬼に持たせ、血を吸わせるためだけにある妖刀」 「そ、それってまさか」 「そう・・・『冥王』孔雀のために作り上げた。『冥王』の愛刀、『月華蒼焔刀』がそれさ」 「そんな・・・！」 「月華自身には持ち主の『冥王』にも劣らないだけの伝説があるんだ。曰く、罪人の血で洗ってあるだとか、火焔呪で灼いたの、七人の人間を焼いてその灰を鋼に混ぜてあるの、そりゃもう色々な。最後に璃刀は弟子たちを斬り殺した挙げ句、自身が、月華の仕上げに自刃して果てたということだ」 恐ろしいほどの沈黙が流れていた。一点の曇りもない、美術品のように美しく輝くこの長刀が、妖刀・・・？ 「この刀を手にした『冥王』を見た者は、返り血を浴びた姿でも神々しいほど美しいと感じたそうだよ。さっき、キャットと俺が言ったのは、全身に返り血を浴びて佇んでいる『冥王』の姿を詠んだ璃刀の賛だとも言われている・・・刀の銘の由来だよ」 「月華を手にした者は、必ず発狂して何人もの人間を斬り殺して、最後には自刃する。そんな噂が当時からあったんだ。『冥王』はそれを肯定も否定もしなかったって話だがね」 キャット・テールは刀を鞘に戻した。 「ザウル、お前一体どこでこの刀を拾ってきたんだ」 「あの・・・地下第五層の、隠し扉のあった部屋から・・・」 「どの辺りだ？」 「ナーピ・ストリートの下辺りかな」 「この刀以外に何かあったか？」 「似たような刀と・・・武器庫みたいな感じだったけど、銃は全部古くさい旧型ばっかでまともに動くかどうかわからなかったから、使いものになりそうな刀剣類だけ持ち出してきたんだ」 「・・・二十年くらい前のものだったんじゃないのか」 「な、何でそれを」 「ナーピ・ストリート一帯は当時『シビリアン』の縄張りの中心地だったんだ。『冥王』がそこをシマにしていたのが大体二十年前だ」 キャット・テールは手にした刀に目を落とした。柄と鞘に一つずつ、水晶と緑の石が填め込まれている。 「水晶玉と孔雀石・・・間違いない、こいつは『冥王』の月華蒼焔刀だ。恐らく、『冥王』が姿を消した後、『シビリアン』のメンバーが畏れてこいつを封印したんだろうな」 「ど、どうしよう、キャット」 「どうしようもないだろう、こんな物騒な刀、置いておけるか」 「だけど、クトが抜いちまったよ」 ナッシュはもう泣き出しそうな顔だ。クトに至っては、自分が一体何をしでかしたのか、そしてどういう状態にあるのか理解できたのだろう、呆然として殆ど気を失いそうなほどだ。 「妖刀に魅入られちまったら、もうダメなんだろう？！」 「・・・いや、まだ手はあるさ」 「キャット！」 「本来の持ち主に返せばいい」 |