|
午前四時。 夜明けまであと一時間、という時間帯は夜番の緊張感がゆるみやすい。後少しで仕事が終わる、今までも異常がなかったのだから、これからもないだろう、という根拠のない安心感が先に立ち、それまでの疲れが出てくるからだ。そして、そこを突くのが侵入者側の作戦と言える。 「キャット・テール怪盗団」のメンバーが音もなくワイマーの屋敷の敷地へ忍び込んでいた。 「ワイマーも臑に傷持つ身だ、容赦なく殺しに掛かってくるだろう。気をつけろ」 キャット・テールの指示に、全員がこっくりと頷く。「キャット・テール怪盗団」が標的にするのは大金持ちの中でも、あくどい手段で財を集めた者が殆どだ。彼らの中にはだまし取った土地の権利書を逆にキャット・テールに巻き上げられたり、借用証書を全て炎にくべられて泣くに泣けない、という被害に遭った者もいる。 決して正義の味方や義賊を気取るつもりはない。盗みは盗み、罪は罪として潔く認める覚悟はある。だが、彼らによる貧しい人々のための人助けは、「ほんのイタズラ」である、というのがキャット・テールの主張である。尤も、そのイタズラは場合によっては宝飾品だけ盗まれた被害の方が軽かったというケースもあるくらいだが、そこはキャット・テールの信条であり、遊び心でもあるのである。 「そろそろだな」 屋敷内に運び込まれる食料品や生活雑貨の荷物に紛れて中に潜り込んだリプトが、監視カメラに偽造した映像をすり替える時間だ。これで、廊下を堂々とうろついても、モニターには人気のない廊下が延々と映し出されるようになる。 四時五分。リプトと打ち合わせた時間丁度に、キャット・テールが茂みから抜け出した。裏の通用口の前に立っていた警備員の背後に回り込み、睡眠薬をたっぷり詰め込んだガスマスクをかぶせてやる。突然後ろから羽交い締めにされた警備員が慌てて藻掻くが、すぐに心地よい眠りの世界へとご招待・・・・・ 「・・・クト？！」 きらりと月の光を浴びて美しく輝く蒼い長剣。警備員ごと芝生に転がり、何とか切っ先から逃れる。起きあがったとき、クトの剣は警備員を狙って振りかぶっていた。咄嗟に手に持ったままになっていたガスマスクをクトめがけて投げつけると、まるで紙切れを切るように綺麗に切り捨ててしまう。 「よせ、クト！殺すな！」 「消した方が早いよ・・・」 まるで何かに酔っているような頼りない声なのに、付け入る隙を与えない。このままだと、警備員を殺してしまう・・・！ 「ちっ・・・！」 腰が抜けたのだろう、座り込んで震えているだけの警備員の腰にある特殊警棒を抜いて身構えると、低い声で怒鳴りつけた。 「何をしている、さっさと逃げろ、死にたいのか！」 「あ・・・あ」 言葉にならない声を漏らしながら、やっと這い蹲って逃げ出そうとするが、のたのたとした動きは見ている方が焦れったくなるほどだ。 「ザウル、リプトに撤退するように連絡しろ」 「で、でもキャット」 「早くしろ！」 もう、クトの目はまともな状態ではなかった。ぎらぎらと血走って、目の前に立っているのが一体誰なのか、自分たちのリーダーだということすらわかっていない。絶対に、どんな時でも殺すな、という、戒律とすら言えるほどの「キャット・テール怪盗団」の掟など、理解できていないだろう。ただひたすら殺すことだけしか頭にないのだ。 「邪魔するな・・・」 「クト、目を覚ませ！」 ナッシュが駆け寄ろうとした瞬間、振り向きざまに胴を薙ぎ払う長剣。危ういところで体を捻って避けたが、完全には避けきれなかったらしく、鋭い痛みと生ぬるい液体がじわりと流れていく感覚に、ナッシュは愕然とクトを見つめた。 「よせナッシュ、いつものクトじゃない！」 ぎらりと光るクトの瞳。大きく振りかぶり、袈裟掛けに斬りかかってくる剣を警棒で受け止め、薙ぎ払う。まるで重さを感じさせない早さで、第二撃が飛んでくる。ずしりと腹の底まで響く重い打ち込み。このままでは、特殊合金製の警棒ですら、持ちこたえられないかもしれない・・・キャット・テールが焦りを感じ始めたとき。 「ひ、人殺し・・・！」 ようやく声が出るようになったのだろう、警備員がとんでもない悲鳴を上げた。静かな闇夜に響きわたる、絹を引き裂くような・・・木綿のタオルを力任せに引きちぎるような耳を塞ぎたくなる悲鳴に、クトが意識をそちらへ奪われた。 「ぐ・・・」 「撤収しろ！はやく引き上げるんだ！」 不意をつかれたクトがぐったりと崩折れる。その体を軽く担ぎ上げると、まだ呆然としているナッシュの肩をどやしつけた。 「しっかりしろ、ナッシュ」 「あ・・・あ、すみませ・・・」 「その刀、持ってきてくれ」 当て身を入れた時にクトの手からこぼれ落ちた長剣が、涼しい光を放っている。ナッシュの目に浮かんだ剣呑な光を見て、キャット・テールは言った。 「俺に考えがあるんだ。頼む」 「・・・はい」 屋敷のあちこちから、男たちの怒号が聞こえる。犬の凶暴な鳴き声が近づいてくる。キャット・テールは慌てた風もなく、耳元につけた通信機に向かって問いかけた。 「全員揃ったか」 『ザウル以下四名、居ます』 『こちらリプト、脱出完了』 「よし」 黒光りする番犬の体が弾丸のように真っ直ぐキャット・テールめがけて駆け寄ってくる。獲物の喉元めがけ地を蹴って大きく跳躍した時、重力を感じさせないような軽い動きでキャット・テールの体が空を舞った。番犬たちの牙が虚しく宙を噛む。意識のないクトを肩に担いだまま、屋敷の塀へと飛び移った男は、諦めずなおも啼き立て、跳躍する番犬たちの姿を見下ろして、苦笑した。 「キャット・テール怪盗団、犬に負けて尻尾を巻いて逃げ出した、か」 |