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実地研修を初めて一週間後、巡察指定区域が変更された。千歳たちのチーム、人呼んで「空港チーム」は官庁街の近く、デランカ市街区を指定された。ダーランド市街区も整然とした街並みだったか、デランカ市街区は更に治安の良い区域だった。不良がかった少年たちすら見かけられない、スーツ姿の人間ばかりが行き交うオフィス街でもあった。 「ちっ、揚羽サンもやってくれるね」 但馬はデランカ市街区へ向かえと指示を受けた後、揚羽係長への不満を漏らした。 「よりによってデランカかよ、たまんねーな」 「デランカ市街区に何か問題でも？あそこは非常に治安の良い場所じゃありませんか」 「表面的にはな」 「というと・・・」 「官庁街から、高級官僚が移動するルート上に、デランカは必ず入るのさ」 「超一流のヒットマンからテロリストから、大物が隠れている可能性は地下街に次いで大きいんだよ」 千歳はゴーグルを塚沙に渡してやりながら言った。 「小形のスーツケースを持った、どこから見ても銀行マンにしか見えない人間が、実は凶悪テロリストでした、なんて話はごろごろ転がってる街だよ」 「成績良好につき、は良いんだけどさ、いくらなんでも荷が重すぎるよ・・・ま、通常巡察だから、大丈夫だとは思うけどね」 ゴーグルの陰から、塚沙はそっと二人の教官トレーサーを見つめた。 最初は、非常に頼りなく見えた二人だが、さすがに「目だたないようにするのが仕事」 というだけあって、その能力も上手く隠しているようだ。要所要所では鋭い所をみせはするものの・・・今一つ、素直に「すごい」と感心することができないでいる。但馬はどこか抜けているように見えるし、千歳はお人好しで鈍感だし・・・キャリア十年のベテラントレーサーなのだから、タダの間抜けやドジではないとは思うのだが。 「よー塚沙、お前は揚羽係長から有望視されてるみたいだから、しっかり人間観察してくれよ」 但馬がその「どこか抜けているように見える」人の良い、というよりは呑気な笑顔を見せていった。 「いきなり撃たれる可能性はぐんと減るけど、そのかわりいきなり爆殺される危険性はもっと増えるからな、そのつもりでいてくれよ」 「はい、わかりました」 「じゃ、いこっか」 先頭が千歳、その隣が塚沙、少し後ろに但馬がつく。 堅気のサラリーマンに見えても油断するな、と言われていた塚沙には、どの人間も全て怪しいようにも見えるし、どの人間もごく普通の人間のようにも見える。 あの気の弱そうな男が、一流のスナイパーだということがあり得るのだろうか？それとも、あの大人しそうなＯＬが、テロリストなのか？ごく平凡な、すれちがった数秒後にはその顔も忘れてしまいそうな若い男が、ゲリラ？ 肩をぽんと叩かれて、塚沙はびくりと振り返った。 「あんまりキョロキョロしないで」 「は、はい・・・」 「目だけ動かすんだよ。見えないところは、ゴーグルを使えば画像を中継してくれるから」 真っ直ぐ前を見たまま、ぼんやりと歩いているように見える千歳が言った。 「視線を読まれると命取りになることもあるからね。ボディーガードがサングラスをしてるのは、伊達じゃないんだよ」 「はい」 「・・・大丈夫だよ、犯罪者の潜伏率が高いって言ったって、そうそううろついているものじゃないよ」 幽かに溜息をついて、塚沙が肩の力を抜いたのを気配で察して、千歳は視線をさまよわせた。 そう、高級官僚が移動するルートに入るからと言って、いつもいつもスナイパーやテロリストが狙っているわけではない。狙撃のタイミングや、事件を起こす政治的なタイミングなど、様々な要素を統合して、彼らは動く。今現在、事件を起こすメリットはほとんどないに等しい。それよりも、半年先のクリル市街区区長戦の時に事件を起こす方が、著しい効果をあげることが出来るはずだ。 その辺りを百も承知だからこそ、係長はデランカ市街区を指定したのだろう。今のデランカ市街区は、ある意味では安全だから------新人を脅かして、疑心暗鬼状態を経験させるにはもってこいだから。 だが、千歳にはどうも嫌な胸騒ぎがしてならなかった。 こういうときは、大抵予感は当たってしまう。嬉しい予感は当たらないクセに。千歳は但馬を振り返って、口を開きかけた、時------ どしん。 「な・・・なんですか、今の？地震？」 「走れ！文化交流会館方面だ！」 千歳は走りながらゴーグルを『警察庁』本部と接続してデランカ市街区マップを呼び出 した。リアルタイムで犯罪事件情報が流れているコードである。 「知事の地方議員との懇談会があったみたいだ・・・それを狙われたんだ！」 「そんな情報、聞いてねーぞ！チェック漏れか？！」 但馬も走りながら、特殊コードに接続して、鋭く舌打ちをした。 「・・・畜生、シークレット扱いでトレーサーにしか配信されてなかったんだ！警邏巡察には流れてなかったのかよ」 内界巡察用に周波数を固定していたのが仇となったのだ。千歳は『警察庁』交信センターへ緊急回線を開いた。 「こちら空港チーム、警邏巡察から通常巡察へコード変更、文化交流会館へ急行する！」 『本部了解。「スタンドル」のテロ活動と思われます。現場付近に二次爆発の危険性あり、 注意せよ』 「了解」 文化交流会館の前まで行くと、制服巡察官が右往左往していた。パニックを起こしている議員や、たまたま事件に巻き込まれた通行人の整理で、とても会館の中への突入まで手が回らない段階だった。 この手の都市型テロは、早期に手を打たないと犯人の逃亡はもちろん、要人の暗殺までも許してしまうことになりかねない。千歳は但馬と目を見交わすと、幽かに頷いた。 「但馬は避難する議員の誘導を」 「気をつけろ」 レーザーガンを抜くと、まだ弱い火の手しか上がっていない入り口に張り付き、様子を窺う。吹き出してくる黒煙に目を細めながら、千歳は塚沙に言った。 「塚沙、君は外にいて中から出てくるテロリストに目を配ってくれ」 「いえ、私も行きます」 新人を外へ残していこうとする二人の考えなどとっくにお見通しだ、とばかりに塚沙は強硬な口調で指示を拒否すると、同じようにレーザーガンを抜いた。 「千歳のガードをしろ」 短く但馬が指示を出す。こんなところで押し問答をしているヒマはないのだ。巡察官がトレーサーの指示に従わなかったせいで怪我をしても、命を落としても、その責任はトレーサーにはない。一般市民ならともかくも、立派な訓練を受けた人間まで護る義務は、ない。 「・・・いくぞ！」 千歳の合図で、三人は一斉に会館の中へ突入した。 中は真っ黒な煙が充満していて、ろくに視界が効かない。何とかゴーグルを通して中の様子がわかる程度だ。 二手に分かれ、但馬は倒れたり、うずくまっている議員たちを助け起こし、出口の近くまで誘導していく。千歳はゴーグルに表示される会館の見取り図から、恐らく懇談会が開 催されていたであろう中央会議室へと進んでいった。 会議室の中は、机や椅子が散乱していた。床の中央が綺麗に吹き飛んでいるのは、そこに時限爆弾を仕掛けていたからだろう。血と、肉の燃える匂いに、千歳は僅かに眉を寄せた。 誰も居ない。倒れているのはもう助からないと一目でわかる惨たらしい議員の爆殺死体だけだ。千歳の後ろで、塚沙が嘔吐を堪える気配がした。無理もない、いくら厳しい訓練を通過してきたと言っても、こんな無惨な死体を直接見て、肉の焦げる匂いを嗅ぐのは生まれて初めてのはずなのだから。 会議室の外へ出ているよう、声をかけようと視線を動かしたとき、ちらりと目の隅に入った、蹲る黒い陰。 「塚沙、外へ出ろ！」 間に合わない！ 咄嗟に千歳は塚沙を蹴り跳ばし、その勢いで自身も会議室の中へ跳んだ。 「良く避けたな、誉めてやるよ！」 炎の柱が千歳の体の脇をすれすれで走り抜けていった。油の匂いが鼻を突く。 大型の火焔放射器を手にした黒尽くめのテロリストが、にやりと笑みを浮かべた。 「秘書の野郎、自分が盾になって知事を逃がしやがった。お前も邪魔立てすると、秘書と同じ運命を辿ることになるぜ」 では、男の足下に転がっていた消し炭のようなものが、秘書か。千歳は左腕を軽く振り下ろして合金刀を引き出した。 「その時は、お前も同じ運命だな」 「何だと」 「二次爆発の危険がある」 「それで脅かしているつもりか！」 男がじりっと場所を動いた。千歳も同じように移動する。 （隙がない・・・） 目の前の男はぴたりと視線を千歳に固定させたまま、意識を集中している。ただの脅しではなく、実際二次爆発の危険がある場所では、火焔放射器など持っているような男相手に、迂闊に手出しできない。どちらかが、注意をそらしたときが勝負の分かれ目だ。 ふと、視界にも入らない場所で気配が動いた。塚沙だ。 「よそ見をしている場合か？！」 次の瞬間、千歳は本能で左手に跳んでいた。今まで立っていた床が、真っ黒に焦げて煙を上げている。男の持っている大型火焔放射器は、一度の発射から次の発射のための燃料充填まで、僅かなタイムラグがある。その隙をついて男を切り伏せようとしたとき、ジジッと電撃が弾ける音がした。 「塚沙、逃げろ！」 咄嗟に方向転換し、自分の方へ跳んできた千歳が何故いきなり塚沙の鼻先で扉を閉めたのか理解できなかったその一瞬後、バシッという雷鳴のような音とともに会館全体が揺れ、塚沙はバランスを崩して膝をついてしまった。 「な・・・千歳さん・・・？！」 顔を上げた途端、塚沙は息を呑んだ。 たったいま千歳が叩きつけるようにして閉じてしまったはずの扉が、紙切れで出来ているように破れて弾けている。呆然として扉に近付きかけたとき、中から鋭い制止の声が飛んできた。 「来るな！お前は外へ出ろ！」 「千歳さん！何が起きたんですか？！」 「三次爆発もあり得る、早く但馬と外へ出ろ！」 そして、破れた扉の裂け目から吹き出してきた炎と油の匂い。 死も厭わないテロリストは自分が焼け死んでも千歳を殺そうとしているのだ。顔を見られたテロリストは、二度と極秘作戦には出られない。それを百も承知の男は、ここでトレーサー一人を道連れに全ての証拠を隠滅しようとしている。そして、それを察知している千歳も、中に留まっている。 「早くしろ！ここで足止めしている間に、議員たちを連れて外へ・・・！」 ぎしっと屋根が鳴る。二度の爆発で脆化した天井が、火の粉をまき散らしながら塚沙の頭を掠めて足下へ崩れ落ちてきた。 「あ・・・」 扉がめらめらと燃えている。炎の間から僅かに見える中央会議室は、殆ど炎に捲かれている。その中に、二次爆発の時に塚沙を庇うために負傷したのか、あちこちに血を滲ませた千歳が全身を緊張させて立っているのが見えた。 塚沙は身を翻した。 恐ろしかった。 死を覚悟してまで相手を倒さなければならないトレーサーという存在そのものが、恐ろしかった。炎に捲かれて、焼け死ぬことが確実な時でも、逃げることを許されないトレーサー。 この程度なのか、と思い上がったことを考えていた自分は何と浅はかだったことか。事態に対処する経験が浅いことを差し引いても、自分には死を目前にしてまで、犯罪者を捕らえようとする正義感があるだろうか。自分の命を犠牲にしてでも、仲間を助けようとする勇気があるだろうか。 「塚沙、千歳は・・・千歳はどうした！」 出口付近で出くわした但馬が、切羽詰まった声で叫んだ。 「もう一度爆発が起これば会館は倒壊するかもしれないんだ！早く千歳に連絡を・・・」 「か、会議室でテロリストと・・・」 「何だと」 但馬ははっと視線を泳がせたが、殆ど同時に塚沙の胸ぐらを掴んだ。 「お前、千歳を置いて逃げてきたのか？！」 「に、二次爆発が起きる前に扉を閉めて、議員を連れて但馬さんと外へ出ろと・・・」 支離滅裂な説明の仕方だったが、千歳が一体何を考えたのか但馬にはすぐにわかってし まった。 「・・・畜生！」 塚沙が引きずっていた議員の体を掴むと、但馬は怒鳴った。 「出るぞ！」 転がるようにして外へ出ると、既に機動隊や救急車が何台も到着してけが人を収容していた。 「もっと下がれ、三次爆発するかもしれない！」 但馬の言葉に、機動隊もさっと身を翻し、更に距離を取る。バリケードの後ろへ飛び込んだ途端、------ |