|
塚沙の走り去る足音が遠ざかっていく。男はちらりと崩れた壁をみやって、にやりと笑った。 「トレーサー、俺と心中する気か？」 「いますぐ投降すれば、二人とも死ななくても済むけど？」 言われた男も、言った千歳も、それは絶対にあり得ないことだとわかっている。それどころか、二次爆発を起こした今となっては、自分一人が助かることすらおぼつかないということも。 だが、それでも・・・男も、千歳も、後には退けないのだ。 男が火焔放射器を捨てた。油の匂いの充満する室内では、飛び道具は自分の身の破滅を意味する。腰からすっと引き抜いたのは、大型のサバイバルナイフだった。 無言のまま、男が切りかかる。風が唸り、切っ先が千歳の鼻先を掠めていった。右手を振り払い、合金刀を引き出しながら切りつける。間合いが取れず、大抵の人間は伸びだした合金刀の餌食になるのだが、男は素早く飛びすさって攻撃を避けた。すぐに次の瞬間、黒こげになった床を踏みしめ、ナイフを突き出してくる。相手に息も吐かせない攻撃を放ってくるのは、さすがにゲリラ戦に馴れているからなのだろう。 だが、接近戦に長けているのはゲリラだけとは限らない。 手首に装着した合金刀の鞘でナイフを受けとめ、もう片方の合金刀で腰を薙ぎ払うが、男はそのまま横へ倒れ込み、くるりと一回転して体を起こした。 「・・・もうすぐ三次爆発がくる」 男は面白そうに呟いた。 「そんなに死にたいか？」 「その手には乗らないよ！」 千歳は叫んで右腕を振り上げた。動揺を誘って集中力を乱す戦法など、もうとっくに見抜いてしまっている。そのまま、袈裟掛けに男へ切りかかった。その瞬間、今まで僅かに鞘に残していた刀身を全て振り出した。本当の間合いを隠されていた男は、さすがに避けきることが出来ずに、派手に血飛沫をあげながら、床へ倒れ込んだ。 荒い息を吐くと、千歳は男の側に近寄った。渾身の力を込めた合金刀の一撃は、男の頚動脈を見事に断ち切っている。急速に血の気を失っていく男の顔を見つめていたが、やがてゆっくりと合金刀を振り被って、男にとどめを刺した。 「・・・ＪＰＸ−１８３３より、交信センターへ」 千歳は携帯端末に男の血を採取した。射殺許可がおりている凶悪犯罪者を「処理」した時は、トレーサーは速やかにその情報を交信センターへ送らなければならない。 『交信センター、処理情報受諾』 ほっと息をついて、千歳はその場に座り込んだ。 男は最後に、渾身の力を込めて千歳の肩にナイフを突き通した。二次爆発の爆風を受けたときから失血し始めていた千歳の体は、もうこれ以上は動きたくない、とばかりに弛緩してしまっていた。 「・・・三次爆発、来るなあ・・・」 不穏な地響きがする。もう、会議室の出口は完全に焼け落ち、たとえ怪我のない状態でも突破するのは絶望的だった。 どんなときも、諦めるな。 巡察学校で、頭が痛くなるほど叩き込まれた巡察官心得だが、刃渡り三十センチもあるサバイバルナイフを根本まで突き通された状態で、燃え盛る炎の中を走破しろというのはいくら何でも無理だ。 目眩がして、千歳は血にまみれた床へ転がった。みし、と音を立てて天井が揺らいでいる。いつの間にか、炎は壁から天井へ上がり、赤い舌を巻いて装飾盤を舐めていた。 耳をつんざく爆発音。 ああ、梁が落ちてきたな------どこか夢を見ているような気分で、千歳は自分の頭めがけて崩れ落ちてくる天井をぼんやりと眺めていた。 塚沙と議員を引きずるようにして但馬がバリケードの後ろへ飛び込んだ途端、交信センターから無機質な声が全員の通信機に届いた。 『ＪＰＸー１８３３、テロリスト処理済』 「千歳さんだ」 塚沙がはっと起きあがり、伸び上がるようにして会館を見つめたその時、すさまじい爆発音が響き渡った。 「バカ、伏せろ！」 「で、でも、千歳さんが中に・・・！」 「わかってる！」 但馬に無理矢理首筋を掴まれ、バリケードの中へ押し倒される。自分をねじ伏せている但馬が声もなく震えているのを知ったとき、塚沙はトレーサーの過酷さを改めて思い知らされた。 どれほど辛くとも、どれほど助けたいと思っていても、それでも・・・仲間を、見殺しにしなければならないことも、あるのだ------ 再び、爆発音がした。元々古い建築物で老朽化が少し進んでいた会館の屋根が吹き飛び、破片をボロボロと機動隊と但馬と塚沙の上へまき散らした。窓は弾け飛び、壁が崩れ落ちる・・・ぱらぱらと落ちてくる残骸の中に、明らかに人体の破片とわかる、黒焦げの固まり・・・目を覆う塚沙に、但馬が暗い声で、しかし断固として言った。 「目を逸らすな・・・よく見ておけよ」 「但馬さん・・・」 「千歳の最期だ。一生忘れるな」 「すみません・・・すみません、私がちゃんと・・・！」 「・・・お前のせいじゃない。不可抗力だったんだ、お前が責任を感じなくていい」 「でも！」 「そのかわり、忘れるな。・・・こうやって、仲間の死を看取るのも、俺たちの仕事だ」 あまりにも辛すぎる、仲間の死。 それを乗り越えて、また次の犯罪者を追う。 毎日がその、繰り返し------ 蒼い炎がちらちらと赤い炎を舐める。やがて、蒼い炎が会館の壁を、僅かに残った屋根を覆い尽くして、そして・・・・・・ 「くっそ重てー・・・トレーサーの標準装備って、何キロあんだよ？！」 蒼い炎に捲かれて、ボロボロになった壁を蹴り破って顔を覗かせたのは、濃い緑色の地に「潮騒の一冊。」と黄色い文字で書かれたエプロンをつけた、華奢な少年。長く艶やかな髪は無造作にまとめて垂らされている。 「あ、空港の片割れ」 重い重いと文句を言いながら、あまり重そうな様子を見せずにボロボロになった千歳を引きずるようにして運んできた少年は、無遠慮に但馬の顔を真っ直ぐ指さした。 「千歳・・・？！」 「千歳さん！」 蒼い炎を身に纏った少年。双瞳は濃青の光を放っている。 「おい、見てねーで手伝えってば！」 怒鳴りつけられて、はっと我に返った但馬が、慌ててバリケードを飛び越えて側まで近付いた。 「どうしてお前がここに・・・」 「いや、ちょっと」 『冥王』孔雀。この世の全てを、炎でさえも焼き付くす火焔呪を使う、伝説の殺人鬼。 孔雀は護身用に纏っていた火焔を消すと、但馬に千歳を押しつけた。 「いっとくけどな、このナイフは俺のせいじゃないぞ」 「わかってる。・・・千歳、おい、しっかりしろ！」 「大丈夫・・・なんとかね」 「い、一体どうやって助かったんですか？！」 孔雀を知らない若い塚沙は、恐る恐る千歳の体に触れた。確かに、生身の体だ。蒼い炎に捲かれていた孔雀と千歳が、一体どうやって助かったものか見当もつかないのだ。 「塚沙、これがお前の気にしてた『ガーディアン』だよ。・・・『冥王』だ」 「『冥王』・・・こ、これが・・・？」 これが？と言いたくなる塚沙の気持ちも分からなくはない。今の孔雀の姿は、どこから見ても頼りなさそうな、ただのフリーターの少年だ。書店のネーム入りエプロンに、プラスチックの小さな名札をつけて立っていれば、どこかへお使いに行かされた帰りのようにしか見えない。 「ふんっ、こんなんで悪かったな！いっとくけどなー、俺はお前より肉体年齢は若いんだぞ！」 「・・・まだ気にしてるの？」 煤で汚れた顔に苦笑を浮かべて、千歳が言った。 「うるさいっ！もうちょっとで真っ黒のお焦げになり損ねたクセにっ！」 「わ、わかってるってば」 「いーや、お前はわかってない！お前がぼんやりしてるから、眉毛がちょっと焦げたじゃねーか！」 そう言われれば、孔雀の右の眉が少し焦げて短くなっている。何となく機嫌が悪かったのは、そのせいだったのか、と但馬はこっそり苦笑した。 「どうやって千歳を？」 「んあ？・・・火焔呪で火を燃やした」 「・・・火も、燃えるんだ・・・」 「こいつの上に燃えてる梁が落ちてきたんだよ。避けりゃ良いモンを、ぼーっと寝転がってるから、しょーがねーから俺が助けてやったんだ」 「三次爆発の時か！」 「いや、何時か知んねーけど。・・・そしたらさー、俺の頭の上へ柱が倒れてきて、痛かったんだ。ほらほら、ここ」 一生懸命指さして、たんこぶの存在を但馬にアピールする孔雀の姿は、どう見てもやはり『冥王』には見えなくて・・・だが、千歳を助け出した事実は、ただの「少年」ではないことをはっきりと示している。今まで頭にあった『ガーディアン』のイメージを大きく逸脱する孔雀の存在に、塚沙は戸惑った視線を向けるのみだった。 「でも、孔雀、どうして僕を・・・？」 担架に乗せられた千歳が、孔雀に尋ねた。 相手はテロリスト、それも特級にランキングされたとは思えない。なのに、なぜ孔雀は突然目の前に現れ、自分を助けてくれたのだろう？ 「ああ、実はさ、ちょっとお前に聞きたいことがあって」 「僕に・・・？」 「うん。そしたら、翡翠がお前は出動中で、危ないから助けてやれって言ったから、お前の前へ移界するようにしてもらったんだけど」 「一体、僕に何を？」 孔雀にしてみれば、テロリストも、爆発倒壊の危険のある建物の中も、怖いことなど全くないだろう。だが、全く危険がないわけでもないのだ。それを、わざわざ承知の上で救援に来た孔雀の用事とは、一体何なのだろう？ 首を傾げる千歳に、孔雀は言った。 「あのさー、お前と但馬って空港チームって言われてるじゃん？」 「・・・不本意ながらね。それが？」 「但馬空港って、どこにあんの？」 照れ隠しだと思った。 そんなばかばかしいことを聞くために、わざわざ移界してくるバカはいない。だが、・・・孔雀は、真剣だった。 「なー、どこにあんの？」 「・・・そ、そんなことを聞くために、わざわざここまで・・・？！」 「だって、中学の時に使った地図帳には載ってなかったんだもん」 「それだけ？」 「他にも何か聞かなくちゃ教えてくんねーの？」 「そ、そんな・・・」 では、本当に、それを聞くためだけに、わざわざここへ？しかも、バイト中のように見えるが、店を抜け出してまで聞きに来たことが、「但馬空港の場所」だけ？ 「・・・悪いけど、何か、気が遠くなりそうだから・・・但馬に聞いて」 「なー、どこ？」 「えっ、あっ、ち、千歳、狡いぞそんなの！」 「僕、けが人だし・・・」 本当に目眩がする。尤も、その目眩は怪我のせいなのか、孔雀の「聞きたいこと」の為に感じている精神的なものなのか、はっきりとはわからなかったが。 「何だー、お前、自分の名前なのにわかんねーの？あったまワリー」 「な、何だとっ！」 「悔しかったら俺に教えて見ろ、やーい！」 「きーっ、ムカつく！」 「空港チームのくせに、場所知らねーでやんのー」 「うるせーっ、お前だってわかんねーくせにっ！」 殆ど孔雀と同レベルで諍いを始めた但馬の声が、遠ざかっていく。救急車に乗せられ、 サイレンの音がけたたましく鳴り始める。千歳はほっと溜息をついて、動かせる方の腕で顔を覆った。 （・・・無茶苦茶恥ずかしいかも・・・） 助けに来てくれたのは嬉しかったのだが・・・死ぬことすら理解できなくなりはじめていたあの時、ひょっこりと顔を覗き込んできた、孔雀の一言------ 『何寝てんだよ、こんなとこで死んでる場合じゃねーだろ』 三次爆発で飛んできた壁の破片や落ちてきた天井を尽く火焔呪の爆風で吹き飛ばして千歳を庇ってくれた。四回目の爆発は、孔雀の火焔呪によるものだったのだ。そうやって炎や危険物を吹き飛ばして、その後を悠々と歩いてきた。 「単なる被害者である方が、幸せなのかも知れない」と言ったのは自分だ。間違ってはいないだろうという確信は今でもある。だが、・・・孔雀は決して、認めないだろう。 自分は被害者ではない、と。 自分の行為は全て自分の責任だ、と。 「・・・千歳さん？」 救命士がそっと声をかけてきた。千歳は慌てて返事をした。 「は、はい、何ですか？」 「今、無線が入ったのですが・・・」 救命士は首を傾げながら、無線の内容を教えてくれた。 「空港の場所を教えるか、焼き肉三人前かどっちか好きな方を選べ、と」 「・・・はあ・・・」 「そうお伝えすればおわかりになるから、ということだったのですが」 孔雀だ。きっと、但馬か塚沙の通信装置を無理矢理使ったのだろう。命を救った代償が、空港の場所か焼き肉三人前とは、ばかばかしいというか、孔雀らしいというか・・・千歳は微笑した。 「まだ、無線は繋がってますか？」 「ええ、待機中です」 「では、孔雀の好きなほうで良いと伝えて下さい」 きっと、焼き肉三人前では足りないだろうけれど。 千歳はもう一度、微笑んだ。 「で、結局但馬空港ってどこにあんの？」 軽く五人前は平らげたあと、孔雀が満足そうに椅子に凭れて言った。 「何だ、但馬に教えてもらわなかったの？」 「知らないってさ。なー、どこ？」 「・・・ごめん。僕も知らない」 「なにーッ？！」 2000.05.21 6:28 PM |