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毒が完全に抜けると、背中の切傷くらいはどうということはない。 この程度の傷なら致命傷にはなりえないし、実際この程度の負傷を 追いながら高級犯罪者を追跡したことも一度や二度のことではない。 まだ横になっていたほうがいいのでは、と気遣う友紀の反対を押し 切って、千歳は友紀の案内でクルズが立ち回りそうな繁華街や裏通 りを歩き回った。 「どう、いない？」 「ああ・・・気配を感じない」 人気のない裏どおりで、二人はため息をついた。 時刻はもう夜の十時すぎ、繁華街はますます人通りが激しくなっ ているが、通り一つ隔てたこの道では、人どころか、猫の子一匹見 当らない。 「もう帰ったんじゃねー？その・・・『魔界』とやらに」 「いや、それなら警察庁本部から連絡があるはずなんだ。クルズの 生体反応をトレースしているはずだし・・・それに、アルファ・ ゾーンに移界してくる奴らはこっちに居場所を求めて逃げてくるの が大半なんだ・・・よほどのことがないかぎり、向こうへ戻ろうと はしないだろう」 「でも、それらしい騒ぎとか聞かないし、ニュースでもやってない し・・・」 それこそが、恐ろしい血の饗宴の前触れである可能性が高いのだ。 クルズは犠牲者を選ぶ。見目良い女性、弱そうな人間、子供たち ・・・その中でも、組しやすしとみた者を選んで攫い、嬲って弄ん だあと、ぼろくずでも捨てるかのように、あっさりと殺してしまう のだ。その手口は残忍で、目を覆うばかりだという。 「たぶん、犠牲者を選んでいるんだろう・・・」 「選り好みすんのか？」 「あいつの犯罪は食うに困って、とかいう切羽詰まったものじゃな い。殺したいから殺す、犯したいから犯す・・・獣並みだ」 「質ワリイな」 「質が悪いなんてものじゃ・・・」 その時である。千歳の背に、悪寒が走った。 「どうした？」 「・・・ヤツだ・・・」 「え?!」 「近くにいる・・・」 こちら側の住人のものではない、冷たく、暗い影のような気配が 千歳の体に伝わってくる。ベータ・ゾーンの住人特有の気配。おそ らく、クルズの方も気が付いているはずだ。 「・・・友紀、離れろ」 「でも・・・」 「いいから！巻き込まれたいのか?!」 その途端、ビルの影からなにかが千歳目掛けて飛んできた。 「危ない！」 友紀を突き飛ばし、とっさに抜いた銃でそれを跳ね返すと、冷た く澄んだ音をたて、ナイフが道に転がった。 「さすがに二度と同じ手はくわねえってわけかよ」 「クルズ・・・！」 「おっと」 千歳の手にある銃をみて、クルズはにやりと笑い、手にぶらさげ たなにかを突きだした。 「これが見えねえのかな？」 「・・・！」 「こっちの人間ってのは、ヤワだねェ・・・ちょっと力を入れただ けで」 クルズの手にぶら下げられた幼児の手が、みしり、と嫌な音をた てる。血塗れになった子供はもう意識もないのか、悲鳴さえあげな い。それどころか、息をしているのかさえ・・・。 「ご自慢の銃で俺を撃つかい？けど、その前にこのガキの首が胴と の泣き別れだぜ」 「くっ・・・」 この距離では、人質となった子供を傷つけず、クルズだけを倒す ことは難しい。だがこのままではクルズを捕らえるどころか、人質 を救うことさえ出来るかどうか、それさえが疑わしい。 「このガキを、返してほしいか？」 「・・・」 「一時間後に、第三埠頭のＨＲ倉庫に一人で来い。そうしたらこの ガキは返してやる。いいな、一人だぞ」 にやりと笑ったクルズの顔が、ぼやける。そのまま、煙が散った ように姿が消えてしまった。 「・・・テレポートか」 「い・・・今の奴が、クルズ？」 「友紀、第三埠頭のＨＲ倉庫って、どこにあるんだ」 「一人で行くのか？」 「・・・」 「そんな、罠に決まってんじゃねーかよ！殺されるぞ!!」 無言で、千歳はうなずいた。 「じゃあ、どうして・・・！せめて仲間を呼ぶとか・・・」 「クルズは一人で来いと言ったんだ」 「・・・！」 「約束を守らなければ、あいつはかならず人質を殺す」 「だけど、あんた・・・」 「いつか・・・こんな日がくると思ってた」 千歳は笑った。それは、とても不思議な微笑で・・・淋しさと、 安堵の想いが交じったような、切ない表情だった。 「僕も・・・親父とおふくろ、いないんだ」 「え・・・？」 「『判事』と一緒さ。親代わりの人はいるけど・・・だけど、いつ だって一人だった」 「・・・」 「だれも、僕を待ってる人なんていないのさ。それに・・・これは 僕の仕事だから」 「だけど」 「僕が選んだ仕事なんだよ。・・・大丈夫、死ぬためにいくんじゃ ない。あの子を、助けにいくんだ」 それに、僕が殺されたって、端末が緊急信号で『トレーサー』を 四、五人呼び寄せるようになっているから、心配はいらないんだ。 黙り込み、俯いてしまった友紀には、そういえなかった。代わり に、千歳の口からでてきた言葉は・・・・・ 「倉庫がどこにあるのか、教えてくれるね？」 「・・・ああ」 |