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ココハ、イッタイ、ドコナノデショウ？ 翡翠はゆっくりと周りを見回した。あたりは真っ暗で、遠くにぼんやりとした明かりが見えるだけだ。 「えっと・・・」 頭がずきずきする。いったい自分はどこでなにをしていたのだろう？目を閉じると、朝、起きたところからゆっくりと思いだそうとした。 今日は、確か久しぶりの休みのはずで・・・目を覚ましたら昼前で、食事をしようとしたらほとんど食料らしいものがなくて、仕方がなくヨーグルトだとかそういったものを食べてから、近くのスーパーへ出かけて・・・生鮮食品と、保存用食料とをいくらか買い入れて、外へでて・・・・・ 暗闇にいくらか慣れた目であたりを見回す。手に持っていたはずのスーパーの紙袋は、なくなっていた。 「どこだろう、ここ・・・？」 スーパーの外に出たら、トレーサーと皮ジャンを着た男が走って来た。男は翡翠をみると、手に握っていた何か丸いものを翡翠の足下めがけて投げつけた。すさまじい音響と爆風、トレーサーたちの怒号・・・・・ そっと立ち上がってみると、足を挫いたらしく、少し痛んだが歩けないほどではなかった。堅い床の上に横たわっていたせいか、体の節々がぎしぎし音を立てるような気がするところをみると、寝ぼけて夢を見ていたり、あの世に渡りかけているということでもなさそうだった。 足音がうつろに反響するところをみると、どこか建物の中なのだろうか。それとも、地下街か・・・なぜ外にいた自分が建物の中にいるのか、さっぱりわからないが、とりあえず明かりの方に向かって歩き続けた。どことなく湿っぽい空気、湿気がしみ出た壁の薄黒い染み模様・・・まるで地下街だ。それも、お客が入ってくることを想定していないような、物置のような。 やっと薄暗い明かりの側まで来たとき、翡翠は我が目を疑った。 「・・・五十九って・・・」 ぼんやり灯る、蝋燭の火。誰かが目印のためにつけたのだろう、ひっかき傷のような数字が蝋燭の光に煽られて、ちらちらと瞬いている。 「嘘だろ・・・」 五十九。 つまり、ここは・・・地下五十九階？ 「あのさ、俺も忙しいんだよ。わかる？」 孔雀は肩を叩きながらわざとらしいため息をついて見せた。 「いちいちさあ、行方不明者が出たとか何とかいって、ベータ・ゾーンへ呼び出されたりしたら迷惑なんだよなー」 「ただの行方不明者じゃないんだ！」 「へー。じゃあ、ただの行方不明者なんているんだ？」 嫌みったらしく笑って、若葉の鼻先に指を突きつけた。 「代行執務官どの、お伺いしますがねえ。どんなのが『ただの』行方不明者なんだ？ただの浮浪者とか、ただの一般市民とか、ただのトレーサーとか？」 「・・・理屈を言うな！」 言葉尻を取り上げられて反論できなかった若葉がヒステリックにデスクを拳で叩きつけた。だが、そんな恫喝が効くような相手ではない。若葉の前に立っているのは悪名高い------いや、高かった『冥王』孔雀なのだ。 「ものの道理って奴だろ？お前は身分で対応をころころ変えるのかよ？ごく普通の一般市民が行方不明になったときでも、それでもお前は俺をわざわざ呼びつけてそいつを探せって命令するのかよ？」 「そんなはずないだろう・・・！『法廷』は身分による積極的な差別は決して行わない。だが、時と場合によっては対応を変えることがある。それは、認める」 「トレーサーで十分じゃねーかよ。何で俺なんだ」 「だから、それは・・・！」 「相手が翡翠だから？けっ、冗談じゃねえ、何で翡翠だからって俺が呼ばれるんだ。だいたいお前、『ガーディアン』をよくわかってないんじゃねーか？」 反論しようとしていた若葉は思わずぐっと言葉を飲み込んだ。 「俺たちは指令を受けて『特級』にランキングされた犯罪者を狩り出すのが仕事だ。治安『法廷』の雑用を片づけるために雇われてる役人とは、根本的に違うんだぜ？」 孔雀の言葉は、正論すぎるほど正論だった。 『ガーディアン』は、人を殺すために治安『法廷』------治安『判事』に飼われている殺人鬼の寄せ集めにすぎない。心理療法、物理療法、ありとあらゆる手段でも強制できないほどの強い殺人衝動と、他の追随を許さない「技術」を併せ持つものだけが、絶対服従を条件に治安維持に狩り出される------それが、『ガーディアン』だ。『ガーディアン』プロジェクトに対する反対論が未だに『法廷』内でさえ健在なのは、そのあまりに非人間的すぎる性質のせいだ。治安維持のためとはいえ、犯罪者に犯罪者を狩らせる------とてもまともな施策とはいえない。 「翡翠が消えたんなら、探せばいいだろ。ただし、『法廷』か、『警察庁』で探せよ。俺たちには関係ない」 「治安『判事』が行方不明になっているなんて、とても公表できるわけがないだろう・・・！」 「じゃあ、特殊部隊にでも頼め。俺たち『ガーディアン』はな、治安『判事』が誰だろうと関係ないんだよ。翡翠でも、お前でも、どっちだってかまわねーんだ」 ぷいと顔を背け、部屋を出ようとする孔雀の前に、千歳が立ちふさがった。 「・・・何だよ」 「考え直してくれないかなあ、孔雀？」 もうとっくに、ごく一部の『トレーサー』には捜索指令が出ているらしく、千歳をはじめとする超界外勤『トレーサー』たちも探索メンバーに組み込まれているようだ。千歳が治安『法廷』に来ているのは、翡翠以外に孔雀と少しでも親しく言葉を交わしたことがある者、ということで説得を若葉から依頼されてのことらしい。 孔雀は舌打ちした。 こういう場面で千歳を引っぱり出してくる、その臆面のなさが孔雀の神経に著しく障るのだ。 「考えることなんかねーよ。お前もこんなところで遊んでねーで、さっさと翡翠を探せばいいだろ」 「自分で探せるのなら、とっくに行ってるよ、僕ならね」 孔雀を引き留めようとした第一声とはうって変わった険のある声に、思わず千歳の顔を見直してしまう。あの呑気な声は、孔雀のご機嫌を損ねないようにと努力して出した猫なで声だったということか。千歳はつい出してしまった本心にわずかに眉を寄せたが、結局誤魔化しを続けるよりは率直に言った方が早いと考え直したらしく、普段のぼんやり（！）した千歳に似合わない、厳しい口調で言った。 「僕や『トレーサー』が、自分たちで『判事』を探し出せるのなら、わざわざ君の力を借りようとするはずないだろう？」 「けどよ」 「僕たちだって、遊んでる訳じゃないんだ。それこそ、君の科白じゃないけど、相手が治安『判事』だからっていちいち君を呼びつけたりしやしない。そのために、僕たち『トレーサー』がいるんだ」 「じゃあ、お前が探せばいいだろ！俺だってなあ、忙しいんだよ！」 「もう、探したんだ」 意味ありげに口をつぐんだ千歳の表情に、一刻も早くアルファ・ゾーンへ帰ろうと半ば上の空だった孔雀の視線がぴたりと止まった。 「・・・どういうことだ」 「とても大ざっぱではあるけれど、治安『判事』が今どのあたりにいるのか、わかってるんだ」 では、なぜ迎えに行かない。なぜわざわざ自分を異界から呼びつける？ とても、とても、嫌な予感がした。 「・・・おい、まさか」 千歳はうなずいた。 「地下街へ跳ばされたんだ」 「何だと？」 ノイエ・オサカシティーのスラム中のスラム。都市のほぼ中心にある、大地下街で、広さはほぼノイエ・オサカシティーの半分の面積を占めていることは確認できているが、深さとなると、これは誰にもわからない。唯一わかっているのは、未だに下へ向かって掘り続けている、逃げ場を求めている犯罪者や、生きる気力をなくして、死に場所を求めている人々だけだ。いや、その彼らも、今現在自分が地下の第何層を掘っているのか、しらないのではないだろうか。 そして、恐ろしく治安の悪い、無法地帯。いつ『ガーディアン』に殺されても不思議ではない、凶悪犯や犯罪者たちが「街」を作り上げている、暗黒街。 「跳ばされたって、どういうことだ？」 「治安『判事』を狙ってのことではないみたいだけど・・・『移界玉』、聞いたことがあるだろう？」 「信じらんねー・・・あんなもん、まだ持ってる奴がいたのか」 『移界玉』というのは、アルファ・ゾーンからベータ・ゾーンへ、またはその逆の世界へ、移界する能力のない人間が使用する、移界逃走用の道具だった。欠陥は、一度しか使えないということと、どこへ跳ばされるか、使う本人にもわからないというあやふやな精度という、致命的に「使えない」道具だったことと、安全確実な移界装置が小型で開発されたことにより、ほとんど使われることなく消えていったものだった。 「『トレーサー』に追いかけられた小物が、脅しのために『移界玉』を一般市民に向けて投げつけた」 「その『一般市民』が、翡翠だった、ってわけか・・・」 「自分自身の足下に投げて、自分が消えたら良いっていうアタマはなかったみたいだね」 「で？『移界玉』で跳ばされた間抜けな一般市民は、いったい地下第何層へ跳ばされたんだ」 「それが・・・」 千歳はそこで初めて不安そうに視線を揺るがせた。 「はっきりとは、わからないんだけれども・・・」 「大体でいーよ。どのへんだ」 「少なくとも、第三十八層くらいには・・・」 「・・・嘘だろ」 たちの悪い冗談だ。さんざん嫌がらせを言って渋った仕返しかとも思った。だが、・・・千歳は、真面目だった。そして、若葉には、そんな仕返しなどしていられるほどの精神的余裕は残ってはいなかった。 「ホントにか」 「・・・三十八層より下へ落ちているはず、なんだ」 孔雀の大きな目が、千歳と若葉を交互に見つめる。こんな時でなければ、きょとんとした表情に微笑を誘われるところだ。 「前回、正式な調査隊が入ったときには、最下層は第三十八層だったという公式見解が発表されているんだ」 「バカいえ、そりゃ一体いつの話だよ」 「一年、いやもうそろそろ一年半近く経つ」 「一年以上経ってりゃ、倍くらいの深さは掘られてるよ。最近、横よりも下へ広がってる傾向があるらしいからな」 鋭く舌打ちして、孔雀は若葉を振り返った。 「何でそれをもっと早く言わねーんだ」 反射的に何かを言い返そうとして、若葉は口をつぐんだ。今、ここで孔雀に理屈をこねてみても、翡翠救出のタイミングを遅らせるだけだと思いとどまったのだろう。 「孔雀、『判事』を助けてくれ。僕ら『トレーサー』じゃ、せいぜい第二十層くらいまでしか行けない。それ以上は、地下街の住人たちも、『警察庁』そのものも、行かせてくれないんだ」 「・・・だろーな。いくら翡翠の命がかかってるっていっても、今現在生きてここにいる『トレーサー』の命の方が重視されるに決まってる」 だが、孔雀なら。 『冥王』と恐れられた孔雀ならば。畏界の炎をその身にまとう孔雀ならば、翡翠を生きたまま、五体満足なまま、連れて帰って来られるはずだ。 「孔雀」 縋るような視線を送ってくる若葉に向かって、孔雀は顔を顰めてみせた。 「迷子ちゃんの扱いまで業務に入るとは思わなかったよ、畜生」 |