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通信機が壊れてしまった。リネス会長と繋がりのあるマフィアから逃れながら爆弾を処理するためには、なんとしても『警察庁』本部への連絡が必要だったが、それも適わなくなった。考えられるのは一般回線からの送話だが、トレーサーとしての正規ルートではないだけに、上部まで話がうまく伝わらない危険性がある。下手をすれば、悪質な悪戯として黙殺されてしまうかもしれない。 「・・・しかたないな」 千歳はため息をついて、耳に手をやった。 「それは？」 「生体コミュニケーター。トレーサーの状態を常に把握しているんだ。もし僕が死ねば、すぐさま本部へ連絡が入るようになっているんだ。つまり、これを壊せば、僕の生存情報が途絶えることになる」 「消失地点を割り出して、トレーサーが駆けつけてくると、そういうことか」 「最後の手段なんだけどね。この際、仕方がない」 「高価だから？」 むっとした顔で返事をしなかったところを見ると、図星らしい。 「脱落も考えられるからね。まず最初は通信機に連絡が入り、一定時間内に連絡がなければ、そのトレーサーは死んだものとみなされ、追尾の態勢が取られるんだ」 「一度だけ話に聞いたことがあるが、ありゃあすごいらしいな」 「うん、状況によっては、『警察庁』から治安『法廷』へ管轄移庁する可能性もあるし・・・」 「あるし？」 「・・・もし殉職だったとしたら、それはもしかしたら自分だったかもしれないから」 トレーサー同士の絆は、外部のものが考えているよりもずっと強固で、無私のものだ。厳しい訓練と過酷な任務、そして死といつも背中合わせの日常------逆境にいる人間同士というものは、場合によっては自分を犠牲にしてでも仲間を守ろうとするのだ。 もしかしたら、自分だったかもしれない------トレーサーにとっては、それだけで充分だ。 千歳はコミュニケーターを地面へ落とすと、レーザーガンの台尻で軽く叩き潰した。あと十分もすれば、ノイエ・オサカシティーにいる大半の超界外勤トレーサーがここへ集結してくる。だが、それを悠長に待っている暇はない。ポケットから白い物を引っ張り出し、わけのわからない図形を壁いっぱいに書き記した千歳に、キャット・テールが不思議そうに首をかしげながら言った。 「何だ、それは？」 「書いた内容？それとも、書いたモノそのもののこと？」 「両方」 「トレーサー専用のＤ言語だよ。間違って僕があんたに殺されたことになったら困るだろ」 「で、それは？」 「チョーク」 「・・・なんでそんなもの、重装備のトレーサーが持ってるんだ？まさか違法駐車の取締りをお前さんたちがやるとは思えんが」 「僕だって知らないよ、標準装備なんだから仕方ないだろ」 「ふーん・・・」 「結構便利なんだよね、これって」 どんなとき、どのように便利なのか、時間さえあれば得々として説明したそうな千歳だったが、場合が場合だけにあきらめたようだ。残念そうにチョークをしまいこむと、トレーサーの顔に戻っていった。 「さ、行こうか」 現在地から爆破が予定されているウエスト・サイド地区まで、およそ二十キロ。車で移動すればあっという間だが、同行するのがお尋ねモノの「キャット・テール怪盗団」であることと、あまり騒ぎを大きくしてしまえば全てを「なかったこと」にされてしまうかもしれない。それ以前に、テロリストを装って爆破を強行されてしまえば元も子もない。何とか彼らを一網打塵にして、しかも爆破を阻止する方法はないものか・・・悩みながら足を進めていた千歳はぴたりと立ち止まった。 「どうした？」 「・・・困ったぞ」 「何がさ」 「さっき書いたのはあくまでもトレーサーに対する連絡だから、上層部に話が通るには時間がかかりすぎるんだ」 「そりゃあでも、仕方ないだろう。お前さんが通信機を持っていたところで、事情は同じだったんじゃないのか」 「それはそうなんだけど・・・それに、追っ手がもう来たことを考えると、あんたたちがあの書類も一緒に盗んでしまったことは副区長も知っているはずだから、爆破を早めるか、キャット・テール怪盗団の仕組んだ悪質な罠だ、とでも言ってしまえば、司法の手は届かないかもしれない」 「とりあえず、爆破だけでも阻止してしまえば、その後は何とかなるだろう？」 「今回はね。でも、ウエスト・サイドの立ち退き問題がそんなに早く解決するとは思えないし、・・・」 つまり、元から------副区長とリネス会長の企みを何とかしないことには、ウエスト・サイド地区のスラムの住民たちの安全は確保されないままなのだ。 「じゃあ、どうすればいいんだよ！」 苛立ったように千歳に食いかかる青年。彼もスラムの出身らしく、たとえ嫌いなトレーサーと協力せざるを得ないとしても、それでも、何としても爆破計画を阻止したいと言った。その気持ちは千歳にも痛いほどわかるが、だが「どうすればいい？」と聞きたいのは千歳も同じだ。キャット・テールが言ったように、千歳が連絡を入れることができたとしても事態はそれほど変わりはしない。 ウエスト・サイド副区長とリネス会長を断罪することができる力を持つものは、『警察庁』にはいない。いたとしても、臨機応変に即時に対応できるだけの権力を持っている人間は、いないのだ。どれほど現場の人間が悔しがっても、歯軋りしても、それでも、・・・キャット・テールが言ったように、「おエライ政治家サマ」を追い詰めることは簡単ではない。 「あいつらがやってることがどんなことかわかってるのに、それでも何にもできないなんて、おかしいじゃないか！」 「・・・」 「あんた、トレーサーなんだろ？！悪いことをしている奴を捕まえるのが仕事なんだろ？！それって、俺たちみたいな人間しか逮捕しなくて良いってことなのかよ！」 違う。 絶対に違う。 たとえ相手がコソ泥でも、「怪盗」でも、政治家でも、千歳の仕事に変わりはない。トレーサーの仕事に変わりはない。なのに、なぜ「違う」と言えないのだろう？なぜ「あいつらも逮捕して見せる」と言えないのだろう？ 「無理を言うな」 静かな声が、青年をいさめた。 「キャット・・・」 「こいつにあたり散らしても無意味だ。お前だってわかってるだろう」 「でも」 「正しいとわかっていてもどうしようもない。どうにもできない。だから、お前は俺と一緒にいるんだろう？」 「そりゃあ・・・わかってるよ。こいつが悪いわけじゃないってわかってる」 全員の目が千歳に集中する。 「こいつが身分やなんかで差別するような奴なら、あんたが連れてくるって言ったはずない。助けてなんかやらずに、そのまま放りだしておいたはずなんだ」 「・・・」 「だけど・・・じゃあ、どうすればいいんだよ？俺は、俺たちは、自分が育ったところを、同じような生活をしている人間が虫けらみたいに殺されるのを黙ってみているしかないっていうのか？」 その問いに、誰も答えることができなかった。彼がリーダーだと認めたキャット・テールでも、青年が納得のいくような答えを出してやることはできなかった。 所詮は現場に出て這いずりまわっているような、末端の人間のすることには限界があるということか。これでは、彼の言う通りではないか。トレーサーの仕事は、権力を持つ人間には平身低頭して、一般市民には武力を誇示して権限を振りかざすことなのだと言われても、言い返せない。千歳は唇を噛んでうつむいた。 もし、副区長の権力をものともしないだけの、対抗しうる権力を自分が持っていたなら。他には何も要らない、ただ、命の危険にさらされているスラム街の住民たちを守るだけの力が自分にあったなら・・・・・ 「・・・一般回線に割り込むこと、誰かできないかな」 「回線って、モニターに？」 キャット・テールは首を傾げて言った。 「そりゃ、簡単だよ。ちょいとそこらの映話回線を拝借すれば、後は家へ忍びこむよりずっと楽に回線に割り込める」 「じゃあ、頼む」 「でも、そんなことして一体何になるんだよ？『警察庁』へつないだところで、専用回線じゃなきゃ、信用されないのは一緒なんだろ？」 「違うところへつなぐから・・・とにかく、急いでやってくれないか」 千歳の顔をじっと見ていたキャット・テールはうなずいた。 「サント、お前の出番だ。お前の腕前を見せてやってくれ」 「まさかハッカー容疑で逮捕、なんてことはないだろうなあ？」 キャット・テールと同じくらいか、それより少し年上の中年の男が軽口を叩きながら携帯映話機を取りだし、コードを引っ張り出した。普通ならば、外部から引いてきた回線モジュラーに接続するのだが、複雑なコード変換機を間に入れて、映話元回線へ直接に接続した。映話局と契約しなければ接続されない変換機を、この男は自力で組み立てたらしい。逆探知防止装置も開発したというのだから、技術屋としてもかなりのものを持っているようだった。 「さあ、準備できましたぜ。これで一体どこへつなぐつもりなんだい？」 無言のまま、千歳は映話機の前に座り込むと、相手先コードを入力した。ずいぶんと混雑する回線らしく、何度かリダイヤルを繰り返した後、やっと取り次ぎ候補に入ったらしく、機械音声が「しばらく・おまち・ください」と繰り返す声が聞こえてきた。 「えらく長いコードだな。お前さん、一体どこへつないだんだ？」 「映話範囲に入らないほうが良いよ」 「『警察庁』関係かい？」 素直に千歳の忠告にしたがい、映話機の前から離れたキャット・テールが尋ねるのと、画面が切り替わるのとが、ほとんど同時だった。 「こちら治安『法廷』です」 |