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胸の上に孔雀が座っていた。煙管を手にして、げらげら笑っていた。 「ちょっと・・・重いよ、孔雀」 「うるせー、お前死んでんじゃねーのか」 「勝手に殺さないでくれよ」 ぽん、と灰を落として、孔雀は首を振った。 「いや、お前はもう死んでるんだよ」 「そんな・・・」 「お前が生きてるわけない。生きていられたら困るんだよ」 胸が重い。じわり、と重みが増すにつれ、痛みがみしみしと広がる。 本当に、自分は生きているんだろうか。あたりは真っ暗で、何も見えないのに、何の音も聞こえないのに、孔雀の姿だけがはっきり見えている。・・・いや、孔雀の姿を見ているのは一体誰なのだろう？自分の胸の上に腰を降ろしているはずなのに、見えている孔雀はまるで自分の正面に座っているような角度で見えている。まるで現実感のない、まるで映画かテレビを見ているかのような感覚。 もしかして・・・もしかして、自分は死んでしまったのか？死なないまでも、生と死の境をさまよっているのだろうか？ 「孔雀？・・・」 「お前、なにやってんの」 孔雀の姿は消えて、何時の間にか但馬が立っていた。 「全く、お前っていっつも失敗ばっかしてんのな」 「但馬・・・」 「この間だってさあ、自分一人で逃げりゃいいものを、追っかけてた『中級』助けようとして、もうちょっとで死ぬ目に遭うとこだったじゃん？」 「だって、いくら犯罪者だからって、目の前で死にそうになっているのに」 「で、入院貧乏してんのかよ」 「へー、にゅういんびんぼーなんだー」 孔雀が目の前にいきなり現れて、煙管でぽんぽん千歳の頭を叩いた。 「びんぼーにんなんだー。バーカ」 「な、なんで貧乏だったらバカなんだよっ。大体、好きで入院してるんじゃないんだから！」 「バーカバーカ。貧乏人やーい！」 但馬と孔雀、二人して笑っている。孔雀は相変わらず煙管で人の頭をぽかぽか殴る。皮肉な笑いと斜に構えた煙管が奇妙に似合っていて、千歳を小馬鹿にした笑いがだんだん大きくなっていく。 許せない。官費入院と言ったって、こまごまとした日常品は自費負担だ。そういった出費は積み重なると案外かさんでくるものなのだ。入院貧乏、という言葉がトレーサーの口から自嘲の笑いと一緒に出てくるのも、笑い事ではない。それを、但馬も知っているくせに・・・！ 「貧乏貧乏って笑うなぁ！」 「うわぁっ！」 怒鳴った途端、胸にずきっと痛みが走るのと、誰かが悲鳴をあげるのとが同時だった。 「いててててててて・・・」 「・・・それだけ怒鳴る元気がありゃあ、大丈夫かな？」 胸に走る激痛と、聞きなれない苦笑混じりの男の声に、千歳は眉を寄せながらも顔を上げた。 黒い丸眼鏡に、黒ずくめのボディースーツ。隣には、救急セットを腕に抱えた若い男がぶつぶつ言いながら散らばった道具を片付けている。 自分が一体どこに、どうしているのか全く把握できず、一瞬呆然と男の顔を見つめたが、次の瞬間、全てを思いだし、自分の両手が手錠で繋がれているのを自覚して周囲に目を走らせた。 「・・・あの子は？！」 「安心しなよ。お前さんが身を呈してかばったおかげで、全く無傷だったよ。あの後すぐ、あの子のお袋さんが連れて行った」 「良かった・・・」 千歳の呟きに、男ーーーキャット・テールは笑みを浮かべた。 「痛いとか苦しいとかじゃなくて、何で『貧乏と言うな』が第一声なのか、聞いても良いかい？」 「・・・ノーコメント」 半分は感付いているのであろうキャット・テールの微苦笑を見て、千歳はむっと眉を寄せた。まさか同僚と『ガーディアン』、それも『冥王』とに笑われる夢を見たなんて、絶対に言えやしない。 「どうして、助けた？」 千歳は言った。 壁際にうずくまっていた、幼い少女を助けるためにこの男の蹴りをまともに胸部に食らった千歳は、一瞬で意識を失ってしまった。そのまま放置して逃走すれば、キャット・テールは無事逃げ果せたわけだし、敵である、しかも怪我をしたトレーサーをわざわざアジトへ連れてくる必要は全くない。その上、手当てをする義務などは、畏れ多くも『怪盗』を名乗る男には皆無だ。意識を失ったとはいえ、命には別状ない程度の怪我だったから、放置したことがもとで命を落としたりする危険性もない。決して人を殺さない、というのが信条の『怪盗』の矜持も保てるというものだ。 だが、千歳は応急的な手当ても受けているし、銃は取り上げられ、前手錠で行動の制限を加えられてはいるがそれ以上の虐待は一切受けてはいない。 「僕は超界外勤トレーサーだし、内界の警備システムやローテーションにはほとんどタッチしてないから、あんたたちに役立ちそうな情報は何も持っちゃいないけど」 「別に『警察庁』の情報を聞きだすためにお前さんを連れてきたわけじゃないよ」 「じゃあ、・・・」 「確かに、お前さんを置いてきた所でこっちは痛くも痒くもなかったよ。でも、俺はあの時、てっきりお前さんはあの子をオトリに使うと思ったからな」 「？」 「気がつかなかったとはいえ、あんな小さな子を蹴り殺したとなっちゃ、俺は『高級』ランキング間違い無しさ。お前さんも言ったように、俺がーーーというより俺たちがいつまでも『中級』のランキングなのは、今まで誰一人殺したことがないからだ。盗むためはもとより、逃げるため、生き延びるためでも、俺たちは人を手にかけたことはない」 「・・・無関係な一般市民をわざと巻き添えにしてまでしとめろと言われたことは一度もないし、これからもする気もないしね」 なるほど、そいうことか。千歳は微かに苦笑した。 いくら「気づかなかった」とはいえ、結果的にはキャット・テールが市民を守る義務のあるトレーサーに対して、人質を取った攻撃を仕掛けた形になってしまった。つまり、キャット・テールはあの少女に関して、千歳に負い目を感じているわけなのだ。だからといって、トレーサーにわざわざ手当てを施すとは、律儀といおうか。 さあ、どうする？ 千歳は周囲に再び視線を走らせた。どうやら千歳の手当てをしていたらしい青年が一人、見張りに二人、何か荷物をごそごそ引っ掻きまわしているのが一人。だが、どうやらそこは仮の待機場所らしく、すぐにでも出発できるように準備にぬかりはなさそうだ。 キャット・テールは千歳の命を盾にどうこうということは考えていないだろう。それはおそらく彼らの流儀に反する行動だろうし、第一『警察庁』はトレーサーを人質に取られたからといってうろたえるような不安定な組織ではない。 構成員一人一人は暖かい心を持った人間でも、組織という形を取った途端に、それは非情なものに変貌を遂げる。それが「組織」というものであり、治安を保つ一翼を担った『警察庁』が持つ宿命的な性質なのだ。トレーサーの一人くらい、人事部はすっぱりと切り捨てるだろう。冷たい、怜悧な瞳を千歳の個人データに走らせ、「故人」としてデリートしてくれる。 千歳が口を開きかけたとき、荷物の袋の中に首を突っ込んでいた男が振りかえって叫んだ。 「キャット、えらいモン持って来ちまった！これをみてくれよ」 「何だ？」 千歳に隠そうともせず男が持ってきた袋の中身は、大量のキャッシュと宝石、貴金属類だった。その中には数枚の書類と、薄青い大きな紙も一緒に入っている。男はキャット・テールにその薄青い紙を押し付けるようにしていた。 「これ、ウエスト・サイド再開発地区じゃないのか？」 「うん？・・・そうだな・・・この見取り図がどうかしたのか」 「見取り図はどうもしないけど・・・」 続けて、無言で紙の束を突きつける。一枚ずつ視線を走らせていたキャット・テールの目が、だんだん険しくなっていく。千歳は見取り図を覗きこむようにして眺めてみた。 その見取り図は、ほとんど建築設計図と呼んでも差し支えないほど細かく書きこまれてる。ミリ単位での数値がぎっしりと詰まり、その気になれば見取り図をもとにミニチュアを作ることさえできそうなほどの精巧さだった。 「・・・これ、再開発地区の中心にあるセントラル・ビルの設計図じゃないかな」 「えっ？・・・あんた、あのスラムを知ってるのか？」 「知ってるとか以前に、・・・僕の生まれはあそこなんだけど」 「トレーサーがスラム出身？そんなことってあるのかよ？」 地図を持った青年が不思議そうに尋ねる。千歳は肩をすくめて見せた。 「そりゃ、多くはないよ。でも、僕以外にもスラム出身のトレーサーはいないわけじゃない」 「あんた、超界外勤トレーサーだったよな？そうしたら、爆発物についての知識も、多少はある・・・よな」 キャット・テールは数枚の紙片を千歳にもよく見えるようにかざして見せた。 「Ｃ−４、Ｇ可変型、連火式Ｃ雷管・・・」 「こいつの爆破能力はどれくらいなんだ？ああ、詳しいことを言われてもわからない、大体の所でいいんだ」 「いや、僕だって詳しいことはわからないけど・・・でも、これは全部『警察庁』の管轄じゃないよ」 「というと？」 「破壊力がありすぎる。どっちかっていったら・・・そう、『法廷』・・・それも、治安『法廷』の管轄に近いかな」 都市型テロでも使われない、強力な破壊力を誇る爆発物。他の男相手なら一言も返事などしてやらないところだが、千歳は正直に答えていた。キャット・テール個人の利益を図るためにその知識を欲しているとは思えない、なぜか切迫した緊張感があるのを感じ取ったのだ。 「治安『法廷』？このあいだの『シビリアン』征討作戦みたいなのに使うということか？」 「そうじゃなくて、取り締まるほうだよ」 「というと・・・」 「つまり、これはどちらかといえば爆弾というより小型ミサイルと呼んだほうが良いような、それだけの威力を持つんだよ。だから、誰もこんなものを使わない」 「たとえて言えば、要人暗殺するのに、核ミサイルを使うバカはいない、って感じかな」 「そう。Ｃ−４型を使おうなんて考えるのは、『特級』にランキングされるような人間くらいのものだよ」 「・・・『ガーディアン』に狩らせるのか」 千歳はうなずいた。 「つまりそれだけ危険だってことなんだ。それと、この連火式Ｃ雷管は、ちょっと特殊でね。ビルの解体なんかに使われるって聞いたことがある」 ゆっくりうなずいて、キャット・テールは一枚の紙を千歳に見せた。それは、すさまじく物騒なことが書かれている念書のようなものだった。 「・・・ウエスト・サイドを爆破するだって？！」 「この爆弾があれば、それは可能になるのか？」 「そんなバカな、あの区域はまだ完全に立ち退きが完了していないはずだ！まだ数千人という人間が、・・・！」 「できるんだな」 鋭く舌打ちして、キャット・テールはぐしゃりと紙を握りつぶした。 千歳は青年が手にしている袋にもう一度目をやった。キャッシュや宝石、貴金属。まばゆいばかりの宝石、換金可能な闇小切手・・・千歳のような入院貧乏トレーサーはもちろん、『警察庁』首脳の屋敷へ乗り込んだとしても、これだけの財宝を集めるのは不可能だ。 「おい、一体どこでその書類、見つけてきたんだ？」 「・・・」 「一体どこで盗んできたんだ、この書類と宝石を！」 ぽつりとキャット・テールが答えた。 「ウエスト・サイド区域、副区長の私邸だよ」 「・・・なんだって」 |