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『警察庁』本部にある訓練施設では、常に何らかの講習や模擬戦闘が行われ ている。今日も第四区画第二七号実戦戦闘訓練室では、対テロリスト戦術訓練 が行われていた。ベータ・ゾーンの警察組織で行われる訓練は、「逮捕術」や 「格闘術」ではなく、「戦闘」「戦術」訓練だ。決して相手が手加減してくれ るはずはなく、そして、市民を凶悪犯罪から守るため、また自分自身の命を守 るためにも、投降勧告を行ったあとは確実に仕止めることのみが要求されるた めだ。 当然、訓練は過酷なものとなる。もちろん、訓練を受ける訓練生のレベルに 合わせて段階的なものに設定されてはいるが、実戦訓練となると、下手をすれ ば大怪我を負う危険性も出てくる。だからこそ、より上級の訓練が実践されて いると聞くと、訓練生はわずかな暇を見つけては見学するために集まってくる。 ベテランややり手といわれるトレーサーたちの技術を学ぼうと、彼らは真剣だ。 その研究熱心さも、全ては最終的には自分の命を守る手段となるのだから。 第四区画第二七号実践戦闘訓練室は通称、「リハビリ室」と言われている。 任務中に負った負傷を治療するために現場を離れていた、その間の体のなまり や鈍った勘を取り戻すためにトレーサーたちが訓練を受講することが多いため だ。 「リハビリ室」には、優秀とされるトレーサーが集まってくる。優秀ならば、 負傷などしないと思われがちだが、トレーサーは優秀であればあるほど、危険 にさらされる確率が高くなる。特に、超界外勤トレーサーなどは、その最たる ものだ。 特に優秀とされる超界外勤トレーサーの訓練を見学するために、「リハビリ 室」には常に多くのトレーサーたちが集まってきていた。 『・・・三分四十五秒経過。ミッション修了まで、あと一分十五秒』 無機質な機械の合成音声が、タイムカウントを知らせてくれる。見学中の新 人トレーサーたちは、ひそひそとささやきを交わした。 「五分で作戦終了だって、ムチャクチャだ」 「でも、彼の作戦終了予測は四分半だぜ・・・さすが、超界外勤トレーサーは 違うよなあ」 訓練用のレーザーガンから発射される光線を感知して、テロリストのホログ ラムを投影していたマシンが幻影を消滅させる。ビルの廃墟の中で周囲をすっ かり取り囲まれている、という状況から始まった実戦訓練は、あっという間に トレーサーの勝利のうちに終わろうとしていた。 「邪魔なんだよ・・・っ」 脱出口へ向かっていたトレーサーが舌打ちした。レーザーを撃って、なかな か脱出を許そうとしないテロリストの幻影に苛立ったトレーサーは、足元に転 がる板切れをおとりに放り投げた。それに気を取られたテロリストの顔面に拳 を叩きつける・・・・・・ 『やめろっ、千歳巡察官！』 「え？・・・あっ」 突如、天井のスピーカーから降ってきた制止の声もむなしく、トレーサーの 拳は見事に人中をヒットしていた。返ってきた手応えは、当然生身の肉体を殴 りつけるものではなく、硬いものを叩きつぶす感覚と、かしゃり、という儚い 音。 「・・・あらら、また壊しちゃった」 『また壊しちゃった、じゃないだろう、千歳巡察官！』 タイマーは途中でストップしている。全てのホロが消えた訓練ブースの中で、 超界外勤トレーサーである千歳は苦笑いを浮かべて頭をかいていた。 「すみません、つい」 『一体何回壊したら気が済むんだ？！』 「・・・でも、実戦じゃあ殴ったり蹴ったりがあるのが普通で、銃だけ使えと かそういう制限はちょっと・・・」 『口応えしない！罰として修理費を一部負担すること！』 「え〜、そんなあ、教官」 『文句あるのか』 「僕、やっと退院したばっかりなんですよ。官費入院といっても、色々お金が かかって・・・」 『それを言うなら、そのマシンも先週、修理から戻ってきたところだ！』 やはり、千歳の前にもマシンを叩き壊したトレーサーがいるらしい。マシン が想定したスピード、衝撃、全てを上回るトレーサーたちのパワーに、マシン の強度がついていかないのだ。精密機械とはいえ、与えられる衝撃を考慮して 設計されているはずのマシンを軽々と叩き壊してしまうトレーサーたちを頼も しいと思えば良いのか、経費がかかると眉を顰めなければならないのか、難し いところだ。 「全く、超外トレーサーときたら、訓練施設の備品は叩き壊すものだと思って いるとしか思えんな」 教官がブースから出てきて苦笑いする。経費がかかるのは痛いが、それがす なわち優秀なトレーサーであるということの証明にもなっているのだから、教 官としては納得しなければならないところだろう。 「そんな、誤解ですよ」 「先週、マシンを殴り倒したのも超外トレーサーだったんだぞ」 「誰です？」 「伊万里さ」 「ああ、焼き物チームの」 「その前は但馬で、その前は萩だった」 「・・・聞くんじゃなかった」 但馬も萩も、かつてチームを組んだことがある超界外勤トレーサーだ。特に、 但馬は最近チームを組むことが多い相手で、何となくウマが合うのか、自然と 普段からの付き合いも増えている。そういえば、一ヶ月ほど前に一緒に飲んだ 時、訓練で怒られたとぶつぶつ言っていたっけ。酔っていたから、適当な返事 しかしなかった気がするが、そういうことだったのか・・・と納得して、千歳 はため息をついた。 「教官、訓練はもう一度やり直しですか？」 千歳はタイマーを振り仰いだ。ブースの外で、見学していた新人トレーサー たちは作戦終了時間が五分後に設定されていることに怖じ気づいてなにやら言っ ていたようだが、実際現場に立っている千歳に言わせれば、この程度の状況で 脱出に五分以上かかるようでは、これ以上難しい状況になったときには生きて 帰ることができなくなるということだ。 今回の訓練では、銃だけしか使ってはいけない、という制限がつけられてい るが、実際の戦闘となれば当然殴る、蹴るの肉弾戦もあり得る。その中でなら、 五分といわず三分以内で脱出して見せるが、・・・やはり、不自然な制限はど うしてもトレーサーとしての能力も制限してしまうのは事実だ。 だが、トレーサーには、どんな状況にあっても弱音を吐くという権利は認め られていない。銃だけで、五分以内で脱出しろ、と言われれば、そのとおりに やり遂げなければならない。それが唯一、トレーサーが生き残る方法を模索す る訓練でもあるのだから。 「冗談じゃない、またマシンを一台殴り壊す気か」 「あ、ひどい」 「それに、『警察庁』には元気でピンピンしているトレーサーを遊ばせておく ほど人員にも経費にも余裕があるわけじゃないんだ」 最初は冗談交じりだった口調が、最後には真剣なものに変わっていた。千歳 は表情を表情を引き締めて言った。 「指令ですね」 「先程、『警察庁』本部から出動指令が届いた。最終ミッションそのものは失 格だが、トレーサーとしての能力は充分以上に回復されたと認められる」 「超界捜査ですか」 「いや、復帰早々の捜査だからな。内界外勤捜査だ」 「了解です。・・・あ、教官、修了証ちゃんと発給してくださね。以前も中途 修了したとき、ちゃんと修了入力してくれなかったでしょう」 「・・・そうだったか？」 「おかげで脱走扱いになっちゃって、寮にまで監査委員が押しかけてきたんで すから」 「そういや、そうだっけ」 「もー、後始末が大変だったんですからね、今度はちゃんとお願いしますよ」 「わかったわかった、ちゃんと入力しておく」 「では、失礼します」 教官の答礼を受けながら、千歳は後で、自分の手で出動指令書番号を入力し ておこう、と思った。以前に沙取という巡察官が、やはり脱走扱いで監察委員 会から猛追撃を食らったことがある。その時もやはり、教官は「わかったわかっ た」と言っていたらしい。・・・教官達も、新人研修で大変なのはわかってい るが、やはり監査委員会に追いかけまわされるのは、トレーサーといえども、 怖いのだった。 修了登録申請と出動指令書番号の入力後、出動装備一式を受け取った千歳は、 ほっと一つため息をついた。 前回、酷い怪我を負いながらも助かったのは、ただの幸運にすぎない。そし て、同じ幸運が再び自分を救ってくれるとは限らない。そのまま、死んでしま うこともあり得るのだ。 命を落とすことになるかもしれない、そんな危険を怖いとは思わない。いや、 正確に言えば、命を張った、死と隣り合わせの仕事そのものを怖いとは思わな い。だが、わずかな気持ちの隙や油断、慣れが一瞬後には死に直結するという その事実と、死そのものに対する恐怖感は存在する。 だから、・・・千歳は、今までに命を落とした仲間たちの顔を決して忘れな いし、彼らが実際には優秀なトレーサーだったという事実を忘れない。優秀だ から、傷つかない、命を落とさないわけではないのだから。 「ＪＰＸ１８３３、千歳三等巡察官、出動します」 『本部了解。幸運を祈ります』 |