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世界は二つ存在する。決して交わることのない平行世界の存在が、この世の人々全てに確証を以て認められた時、真っ先に恐慌に陥ったのが平行世界の実存を主張する学者たちだった、というのはなんとも皮肉なものである。 なぜ彼らが恐慌に陥ったのか？ 「決して交わることのない平行世界」が互いに接触を持っていることによっ て、その存在を証明することになったから、である。 二つの世界はそれぞれ便宜的にアルファ・ゾーンとベータ・ゾーンと名付け られ、何故平行であるはずのものが接近し、接点を持ってしまったのか、総力 を挙げての研究が行われた。その結果出た答えは、「アルファ・ゾーンとベー タ・ゾーンのバランスが違うから」というものだった。各個体の力が弱い代わ りに多数の存在によって世界を構成するアルファ・ゾーンと、強い個体と弱い 個体のバランスも違えば個体数そのものも少ない、土台が不安定なベータ・ゾー ンと。 不安定なものは安定を求めて動く。ベータ・ゾーンはアルファ・ゾーンへと 引き寄せられ、ベータ・ゾーンの人間も、同じように引き寄せられる。犯罪が 起きる時間を数えるより、起きない時間を数えた方が早いとまで言われるベー タ・ゾーンの犯罪者たちも、逃げ場を求めてアルファ・ゾーンへと流入するよ うになる。 アルファ・ベータ・両ゾーンの存在が確認され、五十年経った時、ベータ・ ゾーンの治安『判事』による「『ガーディアン』特別立法」が施行されるが、 これはまだその十年ほど前の時点の、アルファ・ゾーンでの話である。・・・ 「ばっかばかし」 宮内友紀は鼻で笑って椅子にもたれ掛かった。 「大体さ、音楽室にかけてある絵の目が動くとか、銅像が動くとか、そんなの どこにでもある話じゃん」 「だけどさ、階段をおりてくる幽霊の話はしらねーだろ」 ばかやろ、と友紀は内心であざ笑った。俺の生まれた世界では、廊下の真ん 中を歩くと四月一日に巨人に踏みつぶされるという間抜けな言い伝えのある学 校があるんだぞ、と。もちろん、友紀はそれは言わなかった。 「上がって来れないんだったら全然怖くもなんともねーよ」 「なんでだよ」 「一番上にいたら絶対会わないだろ」 ぐっと詰まって、相手は黙り込んだ。 八月十五日、全校登校日に久しぶりに顔を合わせたクラスメートたちは、そ の日の夜に催される学校での肝だめしが楽しみで仕方がないらしい。いつもは 友紀に喧嘩では適わない子供達も、肝だめしで友紀を恐がらせて恥をかかせて やろうと企んでいるらしいが、残念ながら、友紀にはたかが幽霊の「怨み」な ど、怖くもなんともない。第一、自分がやったわけでもないことで恨まれたり するのはばかばかしいではないか。 「友紀、今年はどうするんだ？泊まらないのか？」 全校登校日には、希望者のみ体育館でマットを敷き、宿泊する「お泊まり会」 がある。特にどこかへ連れて行ってもらえるでもない、学内での飯盒炊さんと 肝試し、花火大会（といっても小さな花火だけだ）と、大人からすればただ学 校に泊まるだけのことだが、都合が付かずに家族旅行へ連れていって貰えなかっ た子供達にすれば、それは小旅行気分を味わわせてくれるちょっとした行事だっ た。それに、夜の学校というものは、大人にでも何となく「特別」な何かを感 じさせてくれるものだ。そこに泊まり込むことが出来るなんて、なかなかの体 験ではないか？ 「んー、今年は泊まる」 「面白いんだぜ、いっつも」 「そうそう、去年なんか、中村がさ」 友紀に話して聞かせていたはずの話が、いつの間にか仲間内での話に変わっ てしまっている。そっと溜息をつき友紀はうんざりとした気持ちを押し隠して 「友達」たちを見回した。 宮内友紀は現在九歳、小学三年生である。だが、実際は------精神は、もう とっくに三十歳になっているのである。宮内友紀という名もこの世界------ アルファ・ゾーンでの名前であり、本来の名前は「孔雀」。もう一つの世界、 ベータ・ゾーンでは誰一人として知らぬもののない、超・凶悪犯として即時射 殺許可すら下りていた、全世界的な第一級指名手配犯だった。 孔雀は凶悪犯罪集団「ＣＩＶＩＬＩＡＮ」のリーダー格だった男女の間に生 まれた子供だった。集団の構成員はもちろん、親すら孔雀をしっかりした人間 に育てるどころか、飢え死にしないようにすることすらまともにしようとはし ていなかったが、幸いと言うべきか、それとも残念ながらと言うべきか・・・ 孔雀は立派な凶悪犯罪者として成長し、どんな人間でも孔雀に狙われたら死ぬ、 という「伝説」からいつしか冥府の王、『冥王』などと呼ばれるようになった。 そんな孔雀を、孔雀の両親はアルファ・ゾーンへと跳ばした。精神はそのま まに、身体の細胞そのものを若返らせ、小さな子供に戻してしまうという大変 危険な死亡率の高い「縮身」という術をかけ、アルファ・ゾーンの妊婦の胎内 にいる胎児と孔雀とを皮一枚を残して入れ替えてしまった。入れ替えられたア ルファ・ゾーンの胎児の行方は・・・孔雀も知らない。ただ、あのロクでもな いアタマのイカれた女のやることだから、きっと生きてはいまい、・・・それ だけで十分だった。 やがて新生児として、大人の精神を持ったまま、再び「この世」に宮内夫妻 の長男として誕生した孔雀は「友紀」と名付けられた。そしてそのまま「第二 の生」を嫌々ながらに送っているところである。 そんな孔雀------友紀が子供の間に混じって大人しくしている、というだけ でも、ベータ・ゾーンの人間にとっては驚天動地の出来事である。 登校日、といってもそのあとには、飯盒炊さん、肝試し、と子供にとっては 楽しみで仕方がない行事が立て続けに並んでいる。学校に泊まる子供も、家へ 帰る子供も、全員が浮かれて浮き足立っていた。 唯一、面倒くさがっていたのは友紀一人だった。 「宮内くーん、そこのじゃがいもの皮むいてよー」 （クソめんどくせーの・・・） 小うるさいガキが黄色い声を上げて友紀に指図する。女嫌いでは決してない が、相手がやっと八歳か九歳の小学生では嬉しくもなんともない。あと十年か 二十年してから来い、といいたい所だが、自分だって「そんな科白は十年後か 二十年後にとっておけ」と言われても文句も言えない。結局、我慢して子供の フリをしているより他にないわけである。 「宮内くん、包丁の使い方わかる？」 目の大きな、可愛らしい女の子がにっこり笑って近寄ってきた。 （・・・包丁使った殺し方ならよく知ってっけどな） 心の中で呟いて、友紀は黙って肩を竦めた。 「あたしがやってあげる」 「ちょっと、私は宮内くんに頼んだのよ」 「だけど、宮内くんが怪我しちゃったら大変じゃない」 友紀を巡っての幼い恋の鞘当ては、いつものことだ。男の子たちにすれば、 ただの乱暴者であっても、女の子には、子役モデルにスカウトされたこともあ る友紀は憧れの的なのである。だが、・・・小学生相手では、嬉しいどころか、 何故か哀しく気分がたそがれてくる。 「俺、火の番してる」 さっさとその場を離れて飯盒をかけてある火の側に座り込み、喧しい女ども を無視してぼんやりと炎を眺めることにした。 一体、何が哀しくて小学生のガキどもと一緒にカレーを作って、仲良くママ ゴトもどきのことをして遊んでいなければならないのだ。向かうところ敵なし、 たとえ『警察庁』の特別機動隊でも『冥王』を止めることなど出来はしなかっ たというのに、・・・。 「・・・早く大人になりてー」 そうしたら、こんなうるさいヤツラはさっさと殺して、自由になるのに。な んだかんだと束縛しようとするアルファ・ゾーンの「両親」を始末してやるの に。こんな子供の体では、凶眼はもちろん、火焔呪さえ召喚できやしない。 燃え盛る炎を眺めながら、友紀はじりじりするような時のゆったりとした流れを確かに感じていた。 |