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ぼうっ。 フライパンに焔が入ったが、シェフは全く意に介さず、煽り続ける。すぐに火は消え、食欲をそそる匂いが孔雀の鼻を刺激する。 「…なあ」 「んー？何やー？」 右手に持った包丁がひらめき、俎板の上に残っていたエビを軽く掬い上げてフライパンの上へ落とす。じゅう、と華やかな音が鳴り、白い煙がわずかに上がる。孔雀はどちらかといえば料理は上手い方だったが、それでも、このオーナーシェフに比べればシロウトのレベルでしかないのは一目瞭然だ。 「ほい、お待っとう」 にっかり笑って帽子を取ったシェフ、維摩由鷹は皿を孔雀の前へ並べた。 「あー腹減った、メシやメシやー」 自分の隣に座り、「いただきます〜」などと言って手を合わせている店長は、年は若いが腕は確かなイタリアンレストランのオーナーシェフだ。小さいながらも一つの店を立派に繁盛させ、アルバイト店員も雇っている（孔雀のことだ）。 そして。 「…お前さ。何か苦手なものって、あんの？」 「なんやねん、やぶからぼうに」 「だってお前、料理も出来るし、金もまあちょっとは持ってるし、強いだろ。絶対負けない」 「そら、由族の族長がそこらのモンに負けるわけにいかへんやろ」 狩猟民族であり、かなり攻撃的で好戦的、排他的な部族民だった由族の最後の生き残り。誇り高き部族民だった由族は、「現代的なモラルと生活習慣」の枠に押し込めようとした政府に膝を屈することを是とせず、滅亡の道を自ら選んだ。 たった一人、族長の直系男子である由鷹一人を残して、皆、戦い、そして死んでいった。 「お前、何でもできるだろ」 「そんなことあらへんで。空は飛べへんし」 「そうじゃなくて！」 「数学とかゆーのんが、全然わからんわ。何で在りもせん数字のことまで考えなあかんのか、俺にはさっぱり理解できへん」 「…虚数のことか」 「お、孔雀わかるんか！」 「二乗したらマイナスになるってこと以外は全然わかんねー」 「そんだけ解ってるだけでもエライやん！俺、そっからつまづいたからなー」 「いや、まあ、それはそうかもしんねーけど…そうじゃなくてさ、日常、生活していく上でダメなことってねーだろ？」 「んー…」 曖昧な表情で頷きかけた由鷹は、フォークに刺さっているエビを見た瞬間、ぶんぶんと勢い良く首を振った。 「あかんあかん！」 「な、何だよ」 「危ないとこやった、うっかり船のこと考えてしもーた！」 「何で船がだめなんだよ」 「阿呆！」 ばん、とカウンターを殴りつけて、由鷹が怒鳴った。 「お前な、よう考えぇよ？！船ってなあ、何で浮かぶねん？鉄の塊が何で浮かぶんや！」 「え…なんでって、水と比べて比重がどーとかいう話だろ？よくわかんねーけど、少なくとも飛行機が空を飛ぶよりは納得できるぞ？」 「アホたれ、鳥は空飛んどるやろ！鳥の真似してる思たら不思議なことはないやろ、俺にはわからんけど！そやけど、どんな動物が海の上に浮かんで外国まで行くねん！」 どういう理屈だ。 孔雀は物凄い勢いでまくし立てる由鷹を前に目を瞬かせた。 「や、でも、鳥とか湖に浮かんでるし」 「少なくとも俺は浮かばへん！」 「…いや、浮かぶってば」 「いいや、浮かばへん！俺はもうちょっとで殺されるところやったんや！！」 「誰にだよ？そんな度胸のあるヤツ、ベータ・ゾーンには一人もいねぇだろうがよ」 「ねーちゃんに湖に突き落とされて、もうちょっとで死ぬトコやったんや！俺があん時に死んどったら、由族は絶滅しとった！」 どうやら、本気らしい。その証拠に、由鷹の瞳が鮮やかな緑色に輝いている。本気で激怒して、そして、本気で「自分は浮かばない、水に沈む」と主張しているらしい。 「…つまり、カナヅチってことか？」 「船なんかうっかり乗ってみぃ、絶対に沈む！」 「いや、ちょっと落ち着けって…」 「沈まん太陽はないのと同じように、沈まん船もあらへんのや！うぁぁ、なんちゅー怖い生きモンや！」 「…船は生きモンじゃねーって…」 聞いてないだろうけど。 単に、「泳がれへんねん」と言われていたら、「やーいカナヅチ」くらいのことは言ったかもしれない。だが、ここまで本気で怒り、本気で怯える姿を見ると、うっかり船や水の話題なんぞ面倒くさくて出せたものではない。 「…へんなヤツ…」 「船が沈むー！！」 「うるせえよ！」 |