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五月、第三土曜日の午後。足どりも軽く階段を上り、ドアに手をかける。 「ただいまー・・・っと」 「おかえりなさい、学校はもう慣れた？光くん」 あいも変わらず小汚い東城探偵事務所のソファーに、近頃見慣れた美人の刑事。今日は 目の覚めるような青のスーツ。白いブラウスの胸元からは、同じように白い肌が覗いてい る。 涼子はにっこり笑った。 「久しぶりね。元気だった？」 「・・・来てたんだ」 「ええ。せっかく宗佑にも協力して貰ったけれど、肝心の割り符がまだ出てきていないの よ。その行方を何とか突き止めないと」 「ふうん」 軽く肩をすくめ、そのまま自室へ向かう。涼子は向いに座っていた宗佑に苦笑して言っ た。 「嫌われたかしら？」 「さあ？あいつは俺と違って愛想よくないから」 「あなたにはなついていても？」 「どうせなら綺麗なオネーチャンになつかれたいなーなんて」 「よく言うわね。あなたがそんな風に誰かに入れ込んでいる所なんて、今まで見たことも ないわ」 「だって俺の息子だもーん」 いつもにも増してふざけた口調の宗佑と、いつも以上に妖艶な笑みを浮かべている涼子 と。微笑んで見つめ合っている所へ、光が着替えて出てきた。 「うわ、こえーな、アンタたち」 「何が？」 「微笑みながらガンつけ合うなよ、気色悪い」 小さな紙袋を手に、宗佑の隣へすとんと座り込む。父親の前に置いてあったコーヒーを ひょいと取り上げて遠慮無しに啜る。 「あ、おい、俺の」 「人間誰にでも取り柄はあるんだね。あんたの入れたコーヒー、美味い」 「そんな褒め方いやだな、ボク」 「褒めたつもりはねえよ」 「ヒドイっ！」 「なー、ところでさ、どうしてこの前、あんな妙な格好で出ていったわけ？」 泣き崩れるフリをしても、全然乗ってくれない冷たい息子に諦めたのか、宗佑は気を取 り直して煙草に火をつけた。 「ぬすっと装束に決まってんじゃん」 「・・・礼装が？」 「正確には、礼装、に見える服」 「どういうこと？」 説明を求めるように涼子に目をやる。涼子はくすりと笑った。 「ドレスシャツと蝶ネクタイを着ているように見える前身頃だけをつけたのよ。だから、 それをむしり取って隠せば、上から下まで真っ黒」 「ははあ・・・」 「マントはめくらましよ。そこまですれば、逆に本当にきちんと礼装しているように思い こんでしまうの」 「あとは頭からマントを被って隅っこに引っ込んでたら、涼子サンが後を引き受けてくれ るってわけか」 「その通りよ」 「あいつら、人形撃ちまくってやがんの。後ろをちょっと振り返ったら、見付けられたか もしんねーのにな」 「バカ言わないでよ、見つかったらあなたが穴だらけにされていたのよ」 「おや、心配してくれてたんだ」 「アンタに穴が開いたら、涼子サンの今後の出世の汚点になるからに決まってるだろ」 「オマエはとことん冷たいな」 憎たらしい口調で軽口を叩き合っている東城親子をしばらく眺めていた涼子が、ふと口 を開いた。 「・・・可愛いお人形ね、宗佑」 「へっ？」 「光クンよ」 一瞬、戸惑ったような表情を浮かべていた宗佑だが、すぐに笑ってふざけて見せた。 「いやあねー、お人形アソビなんてイヤらしい遊び、しないわっ」 「そうやって無表情でいることで、普段の感情を隠しているのね」 涼子はにっこりと、妖しい微笑を浮かべている。この微笑を浮かべる時が、涼子が一番 相手にとって剣呑な存在になる瞬間だ。宗佑も、海千山千の暴力団の組長も、ちょっとと ぼけて見せたくらいでは涼子の容赦ない追及の手から逃れることは出来ない。 その、涼子の微笑は今、まだ十四歳になったばかりの少年、光に向けられている。 「もし表情をみせたら、それはあなたの本心の吐露。・・・そう思わせるために、いくつ もの表情の仮面を被って、あなたは『人形の森』を演じている。人形のような仮面の森に 隠されて、あなたの本当の表情を見付けられる人間はいない」 「・・・」 「宗佑にはそれが、見付けられたのかしら？」 挑発的な視線。宗佑を見つめた後、意味ありげに光に視線を移した。 「それとも、あなたの目の前で大事な人が・・・」 「涼子！やめろ！！」 テーブルの上のカップがひっくり返った。 「悪趣味にも程がある！」 必要以上に大きな声で叫ぶ宗佑。涼子の口を塞ぐ方法が、他に思いつかなかったのだ。 もうこれ以上、何も言って欲しくない・・・そんな宗佑の想いが、真剣な眼差しに込めら れていた。 「・・・それは涼子サンの妄想じゃないの？」 光は薄く笑って首を振った。宗佑の心配するようなことは何もない、そんな淡い笑み。 「俺はとーちゃんと、ウマが合うからさ。ここにいると、ラクなんだ」 「・・・そう」 「それよりさ、これ」 パーカーのポケットから出てきた指の間には、二センチ四方の薄い木片が挟まっていた。 表面にはそれなりに精巧な竜が彫り込んである。 「そ、それ、もしかして割り符か？！」 「どうしてあなたがそれを？！」 ほぼ同時に叫んだ宗佑と涼子に、光はにんまりと微笑んで見せた。 「ダチに頼んで、探してもらってたんだよ。今日、やっと手に入れた。証拠のＧパンも巻 き上げ・・・譲ってもらったし。買い主の名前もきいてあるぜ」 手に持っていた、小さな紙袋をぽんと放り投げて涼子に渡す。中に、Ｇパンが入ってい るのだろう。 「信じられない・・・」 暴力団と警察、双方から血眼になって探し回っていた割り符が、こんな少年の手によっ て見つけだされるなんて。涼子が呆然と光の指に挟まれている割り符に目を奪われている と、光がすっと立ち上がった。 「これは涼子サンにプレゼント」 割り符を挟んだ指が、そのまま涼子の白い胸の谷間に吸い込まれていく。 「あっ、おい光っ、なんちゅー羨ましいことを！」 ほんのりと頬を紅潮させて絶句している涼子に、光はいたずらっぽく笑った。 「へえー、案外純情なんだね」 見かけによらず、と付け足して、光は事務所から出ていった。 後には、不自然なほどの重く堅苦しい、張りつめた沈黙が流れていた。わざとらしい咳 払いの後。 「・・・ま、いたずらざかりということで、よろしく」 「何がいたずらざかりよっ！さすがにアンタに似てるわねっ！！」 その日の夜、十一時を回った頃、ようやく光が戻ってきた。 「お、帰ったか」 「・・・リョーコさん、帰った？」 「大丈夫だよ、そんなに警戒しなくても」 宗佑は苦笑し、ウイスキーのグラスを傾けた。 「あの後三十分もしたら、いっちまったよ。いつまでも暇なヘボ探偵に構ってるヒマはな いってさ」 涼子は、こう言って帰ったのだ。 「あたしがいたら、光クン、帰ってこないわね」と。 「別に、警戒してる訳じゃないけど・・・」 何かを言おうとして、言い訳がましい自分の口調に気付いたのか、光は肩で息をついて 苦笑した。 「俺、あの人苦手なんだ。悪い人じゃないってのは、わかってるんだけどね」 「そっか」 宗佑の向いに座って、慣れた手つきでウイスキーを注ぐ。これは高い酒だから飲むな、 と宗佑が止める間もなく、軽く呷って溜息をつく。まだ中学生のくせに、なんちゅーのみっ ぷりの良いヤツだ。さすがに金持ちのヤサグレ坊主は違うなどと妙なところで感心をして いると、光がぼんやりと呟いた。 「でもさあ、ホント、迷惑だよな。もう捕まったし、大丈夫だろうけど」 一瞬何のことをいっているのかと思ったが、あの「男を狙う痴漢」の正体のことを言っ ているのに気づき、宗佑はにやりと笑った。 「光、お前、忘れてない？」 「何を？」 「お前、あの時何を着てた？」 「何ってガッコの帰りだもん、学生服・・・あ・・・！！」 「そーゆーこと」 何か溜飲の下がる想いで、宗佑は清々しい微笑を浮かべた。 「自分で言ったろ、狭間会はＧパン狩りをしてる、って」 「じゃあ、俺だけホンモノにやられたってゆーこと？！そんなのないよ！！」 何とも言えない、これ以上情けない声は出ないといわんばかりの、悲壮な声で騒ぐ光に、 宗佑は止めを刺した。 「お前って、カワイイ顔してるし、身体もちょっと小さいしな。夜道に気をつけろよ」 「やめてくれよ、とーちゃん！マジでシャレになんないってば！」 「夜這いかけられたら言ってね、俺、楽しみに待ってる」 「ちくしょー、それでも親かぁ！！」 「アータシーがーパーパぁよ〜っと」 おかしな親子のお話は、はじまったばかり。・・・・・ |