|
全く、今日はなんて一日だったんだろう。 千歳三等巡察官は重い足を引きずって、とぼとぼと道を歩いていた。 まず、「また」彼女に振られた。 「いつもいつも出動出動って、ろくに一緒にいてくれたことないじゃないの！」 なんて言われている時に限って、出動命令が出るものだ。しかも、特別緊急出動------『トレーサー』の生体コミュニケーターの反応が消失した時に出されるスクランブル信号だった。誰が、いつ、どこで？もしかしたら但馬？伊万里？萩？楊？頭の中が真っ白になって、彼女どころではなくなった。雲行きが怪しかったとはいえ、一応も二応もデートの途中で彼女を放り出して来たことを思い出したのは、幸いにも命に別状はなかった『トレーサー』を救助して『警察庁』本部へ戻ってきた時だった。 もちろん、慌てて彼女に電話したが、一言も言葉を交わすことなく、冷たく切られただけだった。 失意のどん底に沈む余裕すらなくかり出された現場は、爆弾魔がヤケになって自殺を図ろうとあちこちに爆弾をセットしたものを捜索するというものだった。『トレーサー』も一通りは爆発物の対処方法を教え込まれているが、緊急時以外は専門班に任せることになっている。文字通り、千歳たちは「捜索」するだけだったのだが、小規模の爆発があちこちで起こったおかげで全身埃だらけ、火薬の匂いがこびりついてとれないままだ。 シャワーを浴びる間もなく、煤けた埃っぽい体のまま強盗を追いかけたり、麻薬の売人のアジトを一斉攻撃したり、・・・気がついたら、もう深夜になっていた。 「・・・はぁぁ・・・」 別に、この仕事がイヤな訳じゃない。 ただ、時々・・・そう、時々、疲れるだけだ。肉体的なものだけではない「疲れ」が心の底に溜まっているのを感じる時、無性に淋しくなる。 どうにもならないことなのだけれど。 寮の玄関を通ると、守衛さんが「お帰り」と言ってくれた。こんな夜遅くでも、必ず起きて待っていてくれる。少しだけ微笑んで、エレベーターに乗る。意外に思われがちなのだが、『トレーサー』の寮には必ずエレベーターがある。何故なら、脚部の骨折や切断など、エレベーターがなければならない状態になることが頻繁に起こりうるからだ。実際、千歳も何度かこのエレベーターに助けられたことがある。 「・・・あれ」 部屋の扉を開けると、何故かぼんやりとリビングから明かりが漏れてきた。朝、いや昨日の昼、いや・・・いつでもいい、とにかく最後に家を出るときに電気を消し忘れてしまったのだろうか。もそもそと靴を脱いでリビングへ行くと、・・・ 「おっす」 「・・・孔雀？！」 するめの足を口にくわえて、孔雀は非常にご機嫌な様子だった。 「どこから入ったんだ？！」 「窓」 簡単明瞭に単語だけで答えて、指を指す。そこにはバルコニーへ続くサッシ枠から外された扉が二枚、壁にたてかけられていた。 「な、何てことするんだ！」 「いーじゃん、翡翠はうるさく文句いわねーのに何でお前はそんなに騒ぐんだ」 「普通騒ぐだろ？！」 「別に窓ガラス割ったわけじゃねーじゃん」 「・・・！」 なぜ治安『判事』ともあろうものが、窓から侵入した孔雀に対してなにも言わないのか。そう思った千歳は、不思議そうに首を傾げている孔雀の顔を見てやっと悟った。 言っても無駄だからか・・・。 「・・・で。わざわざ窓から入って、一体僕に何の用？」 これで、少なくとも心の広さだけは治安『判事』に一歩近づけたわけだ・・・非常にむなしく、かつ理不尽な思いをかみしめながら、千歳は言った。 「あ、そうだ。ちーすけ、こっち来いよ」 孔雀は立ち上がると、千歳の手をぐいと引っ張って、バルコニーへ連れ出した。 「何だよ、一体」 「何だよじゃねーだろ。ほれ、空見てみ」 「え・・・あ」 あ、と言ったきり、言葉が続かなかった。 中空には白い月が一つ。 静かな、澄み切った空気の中に、ぽかりと浮いた丸い月。 「・・・今日は中秋の名月なんだと」 「そ・・・かあ・・・気づかなかったな・・・」 「そんなことだろうと思った」 ぼんやりとバルコニーに突っ立っていた千歳の目の前に、ぐいと何か黒っぽいものが突きつけられた。 「ほれ」 「・・・なに、これ」 「お前、おはぎも見たことねーの？」 「い、いや見たことくらいあるけどさ・・・どうしたの」 「お袋が作ったんだ。うまいぞ」 「でも月見って言ったら、普通団子じゃないの？」 「うちは団子もおはぎも喰うんだ。」 「・・・そう」 「でも今年はおはぎだけしか作んなかったんだってさ」 皿を千歳に押しつけた孔雀は、割り箸も取り出してきて差し出してくる。 「でも、僕がいただいて良いの？君は？」 「もう鼻から出るくらい喰った」 「じゃ、じゃあ治安『判事』は？」 「あいつにはもう二個喰わせて、寝かせてきた」 「・・・は」 「酒呑ませたら寝ちゃったんだ。ま、それに、あとでここに来るつもりだったから丁度よかったんだけどな」 千歳はじっと皿の上にひとつ乗った、おはぎを見つめた。 「・・・じゃ、最初から僕に持ってきてくれるつもりだったんだ」 「どーせお前は月見みたいな高尚なことをやってる暇ねーだろと思ったんだけど。やっぱ当たりだったな」 自慢げに胸を張ると、孔雀はテーブルからするめの乗った皿と酒の入ったグラスを持ってきて、ごろりと横になった。 「こーやって寝たら月がちょうど見えるぜ。お前も早くそれ喰ってここへ寝て見ろよ」 「うん・・・でももったいないから、ゆっくり食べることにするよ」 「寝ながら喰うのか？喉に詰めてもしらねーぞ」 「大丈夫だよ」 そう、大丈夫。 人間なんて、案外単純なんだから。たったひとつのおはぎで元気になれるなんて、我ながら情けないけど。 でも。 「・・・お茶欲しいな」 「俺にいれろっつーのか！」 「ついでじゃないか」 「ついでついでってなー、俺は家政婦じゃねーんだぞ！」 そう言いながらも、孔雀がいれてくれたお茶は、とてもおいしかった。 |