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冷たい。 翡翠は思わず立ち止まった。吐く息が白く凍り付き、ゆっくりと解けて消えていく。静まり返って、全てのものが死に絶えたような静寂の中で、空気だけが妙に透き通っている。 ゆっくりと足を進める。ことり、ことり、自分の足音だけが静かに響く。いつもならもう少し薄暗いはずなのに、今日はやけに明るい。街灯が増えたのだろうかと顔を上げた。 「・・・綺麗だな」 真っ白い満月が、冬の空に高く上がっていた。 夜の空に浮かぶ雲を白く浮かび上がらせ、眩しささえ感じさせるほどの清廉な光。きっと、街の光が全て落ちたとしても、かなりの明るさになるだろう。 冷たく、何者も許容しない厳しい空気の中に神々しさを湛えて浮かぶ真冬の月。 「冷たいから・・・綺麗なのかな・・・」 ぼんやりと呟くと、誰かが言った。 「冷たいじゃなくて寒いだろ、バーカ」 耳元でいきなり声が聞こえた。 「孔雀！・・・こんな時間に一体何をしてるんだい」 今日も退庁時刻は二時を回った。こんな時間に孔雀がベータ・ゾーンへ移界してきているなんて。 「お前を待ってた」 「僕を？・・・」 「だってお前の家、開かないんだもん」 暖かそうな素材のフード付きの上着を着ている孔雀は、ポケットに突っ込んでいた手を出して、無造作に翡翠の手を掴んで歩き出した。 「お前の手はいっつも冷たいな」 「僕に何か用があったんじゃないの？」 「お前じゃなくて、お前のストーブに用があったんだ」 「・・・壊れたの？」 「うん」 直せよ。 思わず心の中で呟いた翡翠に、孔雀は構わずに話し続けた。 「働いたあとに家に帰ったらさー、部屋の中がすっかり冷たくなってんのな。ストーブつけようとしたら、がしょんとか変な音がして、それっきりウンともスンともいわねーの」 「もう寿命なんじゃないの？あの旧型のファンヒーターでしょ？」 「うん。こたつで我慢しようかとも思ったんだけど・・・」 「・・・？」 孔雀は振り返った。大きな瞳が蒼く輝いている。 「何か寒くてさ」 「蒲団を被って寝たら良かったのに」 「そうじゃなくて」 寒いと言うから蒲団を被れと言ったのに、一体何が違うのだろう？首を傾げる翡翠の手を掴んだまま歩き続ける孔雀は振り返らない。 「・・・電気毛布が欲しいとか？」 「俺はジジイか！」 「でも」 孔雀と歩くと、野良犬さえ寄ってこない。こんな真夜中だと言うのに、無法者に襲われる心配など皆無だ。 孔雀が掴んでいる手が、ほんのりと暖かくなってきた。火焔呪を使う術者の体内には、畏界の火種が宿っているらしい。 「・・・あ」 「なんだ」 「何でもない」 孔雀はストーブを求めて来たのではなかった。 翡翠は幽かに笑った。 「どーした？」 「ううん。・・・ありがとう」 返事は、なかった。 0:09 AM |