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トントン。ノックの音。 はいはい、入ってます。 孔雀はボーっとした頭で、何も考えずにアパートの扉を開けた。 保険会社、銀行、結婚式場、健康食品、宗教、ありとあらゆるセー ルスマンが訪れる。そして、撃退に苦労する。とりあえず今はまだ 「すみません、今両親とも外出してますので」の決まり文句でその 場をしのいでいるが、この手が使えなくなるのも時間の問題だ。ま さか、「主人に相談してからでないと」とも言えないし。 「はぁ〜い、元気ぃ？」 「入ってますっ！」 孔雀は咄嗟にそう叫び、渾身の力を込めて扉を閉めようとした。 しかし、ガッ、と鈍い音がして、途中でぴたりと止まってしまった。 足下に視線を落とすと、真っ赤なハイヒールの爪先が顔を覗かせて いる。やがて、ものすごい力で扉がむしり取られた。 「いやぁだ、近頃のドアってばウブなんだから」 「・・・そういう時はヤワなんだから、ってんだよ」 げんなりした表情で、孔雀は安アパートとはいえ、上下二カ所に 付けられた蝶番ごとドアをむしり取った女------金糸雀を渋々迎 え入れた。 「あらぁ、ごめんなさい、間違えちゃったぁ」 「お前、なんで来たんだよ？」 「良いじゃない、冷たいこと言わないでよ」 ドアを閉じて、いや、はめ込んで金糸雀は勝手に部屋へ上がり込 んできた。 「おい！靴は脱げ！」 「服は？」 「・・・ここは日本だ。いいか、アルファ・ゾーンの日本だ！土足 のまま上がりたきゃ、ヨーロッパへ行け！」 「んもう、短気なんだから」 十センチ近くありそうなピン・ヒールを脱いできちんと揃えると、 金糸雀は座布団に座ってにっこりと孔雀に微笑みかけた。 ちくしょう、このアマ、わざと土足であがりやがったな。 孔雀は黙ってポットと急須を引き寄せた。 「・・・ねえ、孔雀」 「なんだ」 「あなた、変わってるって言われない？」 「お前は変わってるって言われたことないか？」 「いやん。そうじゃなくて、お客にお茶を出す『ガーディアン』な んて、珍しいじゃない」 「なんだ、お前、お茶もいれられねえのかよ？」 馬鹿にした表情で顔を上げた孔雀に、金糸雀はつい苦笑した。 「そうじゃなくて」 「近頃の若い女は堕落してるからなあ。炊事、洗濯、まあそれは良 いとしても、せめてお茶くらい上手にいれられるようになれよ」 とん、と目の前に湯飲みが置かれる。手に取ると、良い香りがし た。 「・・・美味しい」 「たりめーだ、グラム八百円の八女茶だ。心して飲め」 おそらくは、実家の母親が、息子のために送ってきたものなのだ ろう。金糸雀はワザとつまらなさそうに言った。 「ねえ、お酒ないの？」 「ここにはねえよ」 「じゃ、飲みに行かない？」 「バカ、俺はまだ未成年・・・ってことになってるから、店には入 れてもらえないさ」 「あたしのお店なら、ちょっとくらいおごるわよ」 「いらねえよ」 「あら、あたしのお酒は飲めないって言うの？」 「そんなんじゃねえよ」 「しようがないわねえ」 金糸雀は呟くと、ぶら下げていた紙袋から、縦長の箱を取りだし た。 「ナポレオン。どお？」 「いただきましょう」 さっと立ち上がると、いそいそとグラスや氷、チーズなどの肴を 用意し始める。金糸雀は笑いを押し殺して、呆れた声を出した。 「何よ、ころっと態度を変えちゃって」 「店の外なら、遠慮なく貰う」 「やなオヤジ」 「オヤジってゆうなぁ！」 「孔雀、そういう時はね、『い』って発音するのよ」 「うるせー、言語学の講義なんかうけてられっか」 「小学校の一年生レベルなんだけどなー」 「うるせっての。おい、ロックか」 「ううん、ストレート」 グラスに注ごうと瓶に手を伸ばした金糸雀の手を孔雀が振り払っ た。困ったように手を宙に泳がせていると、ぽつっと呟いた。 「俺の家だ。仕事は忘れろ」 「・・・ありがと」 黙って、グラスを傾ける。黙ってみていると、孔雀は本当に酒を 水のように軽く呷ってしまう。ボトルの酒が半分になった頃、金糸 雀はさりげなく孔雀の横へ席を移った。 「何だ？」 額にかかる、長い髪の隙間から視線を寄こす。金糸雀の見たこと のない、鋭い視線だった。 やはり、この男は『冥王』だ・・・ベータ・ゾーンからアルファ・ ゾーンへ移って（移らされて）きて二十年近くがたつが、未だにそ の目からは血に狂った殺人鬼の放つ狂気の色が消えることがない。 治安『判事』に飼い慣らされた、牙を抜かれた猫のような振る舞い をしていても、その目を見ればすぐにわかる。 永遠に、「伝説の殺人鬼」であり続けるのだ。 「ねえ、いいことしよっか」 「俺はお前とは寝ない」 「・・・意地悪ね」 「そう決めた」 酒を注ごうとした孔雀の手から、ボトルを取り上げる。孔雀が口 を開く前に、にっこり笑った。 「仕事を離れて飲みたい時もあるのよ」 「・・・そうか」 仕事は、好きだ。判ったフリをして同情を寄せる人間達が気遣っ て見せるほど、媚びを振りまくことも、体を売ることも、嫌いでは ない。むしろ、好きだ。 他の女たちは、違う。本心から好きで好きでたまらないから体を 売っているのだ、という女はいない。だが、金糸雀だけは違う。そ んな安っぽい同情の視線で哀れみを垂れようとする人間には、つい つい意地の悪い悪戯をしてしまう。 孔雀は・・・孔雀は何故自分に触れようとしないのだろう？生け る屍というバケモノだから？親に売られた可哀想な娘に同情したか ら？そのどれもが違う気がする。手に取るように孔雀の感情、思考 が読めるのに、ときどき、何を想っているのか全くわからない時が ある。 今が、その時だった。 「・・・ねえ、孔雀」 「ん」 「知ってる？翡翠ねえ、ホントはお酒飲めるのよ」 「『判事』が？」 孔雀が怪訝そうに眉を寄せる。金糸雀は頷き、顔を寄せた。 「どうして飲めないフリをしてるのか、教えてあげよっか？」 「是非聞きたい」 「翡翠はあなたに『飲むと頭痛がしてダウンしてしまう』って言っ たんじゃないかしら？」 「よく知ってるな」 「あれ、嘘よ」 くすくす、と低く笑う。孔雀は身を乗り出した。 「あいつ、嘘ついてやがったのか！」 「嘘っていうか・・・本人はそう思ってるみたいだけど」 「え？」 「あのねえ、翡翠ってね、すっごい酒乱なの」 「・・・酒乱？」 「そう。半合超えると意識が朦朧となって、一合を超えると正気を 喪うの」 「それで？」 「暴れるの」 二人は黙って見つめ合った。 長い時が過ぎた。 「・・・被害は？」 「その場にいた人間はみんなボコボコに殴られて、前歯折られたり、 肋骨を五本折られたり、血塗れ。当然、お店は爆弾で吹っ飛ばされ たみたいにぐちゃぐちゃ」 「・・・それ、『判事』の独身寮の歓迎会みたいな席でのこと？」 「あら、知ってたの？」 「そこで飲んで、ダウンしたって聞いた。・・・」 「本人はマトモな状態じゃなかったから、ダウンしたって思いこん で・・・いえ、周りの人がそう思わせてるのかもね」 「・・・あっぶねー」 「実は、翡翠が一番凶暴なのかもしれないわね」 しみじみとグラスを傾ける金糸雀。孔雀は深く溜息をついた。 「良かった。無理に飲ませなくて」 「今頃三途の川を渡ってるかもよ、そんなことしたら」 「まったくだ。ウサちゃんのクセに」 「なによ、そのウサちゃんて」 「知らないのか。あいつ、ウサギの絵本が好きなんだぜ」 「テック・フルーナの？」 「そうそう」 「いやん、可愛いぃ」 「翡翠が、か？ウサギが、か」 「両方」 「酒乱だろ？」 「でも可愛いじゃないのぉ。今度あっちこっちで言い触らしてやろ うっと」 「イヤな女」 「何よ、孔雀だって言い触らしたんでしょっ」 「まあな」 まあな、どころではなく、女性の『法廷』関係者全員に精力的に 触れまわったのだが。次に翡翠に会ったときには、ねちねちと思い きり嫌味を言ってやろう。孔雀はそう心に決めた。 数日後。 例によって、翡翠に陰険な言葉でねちねちと嫌がらせを受けた （一般的には説教を受けて当然のことをしでかした、とも言うが） 孔雀は、早速金糸雀から入手した情報を最大限に活用しようと、わ ざと話を変えた。 「そういやお前、酒乱だって？」 「・・・は？」 「とぼけるなよ、愛玲から聞いたんだぜ」 「愛玲・・・金糸雀から？何を？」 翡翠はきょとんとした顔で首を傾げていた。 「寮の歓迎会みたいな席で、酔って暴れたって」 「・・・暴れたって言うか・・・」 合点が行ったのか、翡翠はつい大きく頷いてから、渋い顔をした。 「彼女、そんなことを言ったのか」 「店をめちゃくちゃにしたって？この間はそんなこと言ってなかっ たじゃねえかよ」 「だって、食事中だったじゃないか」 「メシ喰ってようが喰っていまいが、関係ねーだろ」 「酔って店中に反吐をまき散らした話なんか聞きながら、食事した いのか、キミは？」 「・・・なに？」 「アルコール分解酵素が生まれつき欠如してる、って言ったろ。酔っ て、というより酔わされて、テーブル中大洪水を起こしたんだ」 「・・・ゲロの。」 翡翠は肩を竦めた。 「それ以来、誰も僕に酒を飲ませようとはしなくなったよ」 「俺だって、やだな。・・・」 「殴ったり蹴ったり、そういう肉体的暴力はふるわなかったけれど、 精神的、視覚的暴力なら、否定できないところだね」 そこで、翡翠はくすりと笑った。 「キミ、金糸雀の言葉を信じたの？」 「え。・・・」 「彼女、結構人を担ぐのが好きなんだよ。知らなかったのかい？」 ぐうの音も出なかった。黙って肩を落とす孔雀に、翡翠はにっこ り笑って追い打ちをかけた。 「キミももういい年なんだし、少しは人を疑うということを覚えた 方がいいかもしれないね」 あのクソアマ、また俺を騙して遊びやがったな！ 心の中で叫ぶ孔雀に、金糸雀のしれっとした声が聞こえてくる気 がした。 『嘘っていうのはねえ、当人が嘘だって自覚してなきゃ、事実と違 っていても、嘘をついたとは言えないのよ。わかるぅ？』 わかるか、クソッタレ！・・・・・ ＜終＞ |