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「翡翠、翡翠」 慌ただしく走り寄ってくる足音。 ・・・うるさい。翡翠は蒲団を引き上げて、頭まですっぽりと潜り込んだ。重大事件が起きて、ずっと『法廷』は大騒ぎだったのだ。尤も、『冥王』が暴れ回っていた頃に比べれば、大したことはないというのが『判事』たちの一致した意見ではあったけれど。 とにかく、治安『判事』である翡翠も帰宅はほんの二時間前だったのだ。やっと蒲団に潜り込んだばかりで起こされたりしては堪らないではないか。 「起きろってば、凄くいい天気だぞ！」 「うるさいなあ、僕は寝るんだってば・・・」 「寝てばっかいるとアタマが腐るぞ」 「腐っても良いよ」 「ジジイになるぞ」 「良いんだってば」 そう、なんと言われようと、寝るのだ。ここ数日、ずっと睡眠時間は極限まで削られていた。きちんと睡眠をとらなければ、体調を崩してしまう。たとえアタマが腐ろうとも、ジジイになると脅されようとも・・・ 「・・・って、なんでキミがここに居るんだ？！」 「なんでって」 なぜ翡翠が飛び起きたのか、なぜ仰天して声がひっくりかえっているのか、全く理解していないような呑気な顔で孔雀は答えた。 「来たからだよ」 「そうじゃなくて！玄関は鍵がかけてあったはずだぞ！」 「かかってたよ」 「どこから入ってきたんだ、キミは！」 「窓」 「ま、窓？」 孔雀は黙って指を突きだした。クレセント錠がかけられたまま、ベランダへ通じる扉が外されている。 翡翠は頭を抱えた。ここは『法廷』関係者の寮で、その上、五階にある部屋で・・・翡翠は顔を上げた。『冥王』孔雀の非常識さを今更詰ったところで時間の無駄だし、そんなことをしている暇があるのなら、一刻も早く眠りの世界へ戻るべきだ。 「・・・後でちゃんと戻しておいてね」 「うん」 「ところで、僕に何か用？」 「用がなきゃ、こんなつまらんところへ来るか」 「つまらんところで悪かったね。こんなつまらん所へ、なんの用だい」 「焼き芋喰おう！」 自分で言うのも何だが、どちらかというと頭の回転は速い方だと思う。一を知れば十を知る・・・はちょっと大袈裟すぎるけれど。まあ、最後まで言われなくても大体のことは察しが付くというか。 でも、窓を外してまで侵入してきた理由が、「焼き芋喰おう」？「焼き芋」に特別な意味があるのか。「喰う」には自分の知らない意味が隠されている新しい隠語なのか。 たっぷり十秒は沈黙を守った後、恐る恐る翡翠は尋ねた。 「あの・・・焼き芋って、さつまいもを焼いて食べる、あの焼き芋？」 「ふつーじゃがいもは焼かねーだろ」 「そりゃまあ」 「ちーすけが寮の裏庭掃除の後の落ち葉で焼き芋しよって。だからお前も来い」 『ガーディアン』は大体トレーサーとは余り仲が良くないのだが（それともトレーサーが『ガーディアン』を毛嫌いしていると言うべきか）、何故か孔雀はトレーサーの千歳と仲がいい。宴会だ何だと言っては騒いでいる。『冥王』を呼んで焼き芋をしようとは、怖いもの知らずと言おうか、物好きと言おうか・・・翡翠は苦笑しながら言った。 「僕は良いよ」 「何でだよ！」 「な、何でって言われても・・・眠いんだよ」 「何を言うか！お前な、秋に焼き芋を喰わずして、正しい秋を過ごしたと言えるのか！」 「だって、まだ暑いし・・・」 「ばかもの、昨日から移動性高気圧が大陸から張り出してきて、乾燥した空気が入り込んで来てるんだ！今日は涼しいぞ！」 『冥王』の口からお天気概況を聞かされるとは思わなかったが、とにかく翡翠は頑張った。日頃の睡眠不足を解消できるかどうかの瀬戸際なのだから。 「涼しくても暑くても、僕は寝ていたいんだってば！」 「何だと！お前は俺が不承不承にも声をかけてやってるのに、断るのか！」 「あのねえ、自分で不承不承にも、なんて言うものじゃないよ」 「・・・むっ」 「嫌々声をかけてもらっても嬉しくないでしょ？」 「そーいう意味なのか？」 「・・・知らずに使ってたの？」 「うん」 こっくり頷く様は、素直と言おうか、実は巧妙に企んだ嫌がらせなのか・・・翡翠は目眩を覚えて、もう一度蒲団に潜り込んだ。 「こら、話の途中で寝るな！」 「せっかくだけど、僕は寝てるよ。・・・ごめんね」 枕と蒲団をしっかり掴み、翡翠は目を閉じた。 「焼き芋喰おーってば」 「君にあげる・・・」 「じゃあ、」 そのあと、孔雀が何と言ったのか、翡翠にはわからなかった。どうせ、後で文句を言っても知らないからな、とでも言っているのだろう、と思いながら、心地よい眠りの世界へと沈んでいった。 だから、目を覚ましたとき・・・たとえ相手が孔雀であっても、たとえ対象が孔雀の戯言だとしても、きちんと相手の話は聞いておかなければならないな、と反省したのだった。 「・・・ここ、どこ・・・」 「トレーサーの寮の裏庭」 呆然としている翡翠に、丁度いい加減に焼き上がった焼き芋を手渡してくれたのは、孔雀だった。 「だってお前、前みたいに何でも持ち出して良いって言ったじゃん」 「・・・僕は家に付いてる物品扱いなのかい」 「家具の方がよっぽど使える」 「さようでございますか」 「それに、喰ってもうまくなさそーだし」 喰われてたまるか。 翡翠はむすっとして芋を包んであるアルミホイルを剥がした。 「何だ、孔雀、無理矢理誘っちゃダメだよってあれほど言ったのに」 隣では千歳が孔雀に何やら説教じみたことを言っている。意識のない人間を無断で外へ運び出すのは無理矢理以前に、「誘う」の範疇には入っていないと思うのだが、・・・・千歳と仲のいいトレーサー仲間の但馬が、せっせとアルミホイルで芋を包んでいる。一体こいつら、何本焼き芋を食べる気だ。 「なにボーっと見てるんだよ。熱いうちに食えよ」 「え？」 孔雀が翡翠の隣りに来て、言った。 「芋は熱いうちがうまいんだ」 「・・・そう」 「まだおかわりありますよ」 千歳が笑った。 「孔雀が昨日から、あなたに焼き芋を食べさせるんだってうるさくて」 「え？・・・」 「ね、孔雀」 千歳に誘われたと言っていたくせに。翡翠が孔雀を見つめると、孔雀は余計なことを、と言わんばかりに千歳を睨んでいたが、翡翠の視線に気付くと、ひょいと肩を竦めた。 「だって、今日は敬老の日だからな」 「へ？」 「敬老の日には、ジーさんバーさんに芋を食わせてやるんだ」 「・・・変わった風習だね」 「でもさ、年のことなら、『判事』よりも僕らや君の方が年上じゃないか」 「一番ジジくさいのはコイツだ」 無礼にも真っ直ぐ人の顔を指さす癖は直っていないようだ。でも、・・・・・ 「よくいうよ、君の方がずっと年寄り臭いじゃないか」 「なんだと！」 「だってこの間だってさ」 文句を言うほどには、翡翠は気分を害してはいない。千歳や但馬はそれと察して二人のやりとりを微笑んで見ていたが、・・・当の孔雀はそれに気付いていないらしい。 芋を握り締めて騒ぐ孔雀に、翡翠はくすりと微笑んだ。 2000.09.19 0:03 AM |