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世間一般に言われるように、有給休暇はどうにも申し出にくいものだが、労働者としての権利として認められているものだし、ましてや千歳のように「ケガをしたから養生のため非番日と繋げて休みを取りたい」と言えば大体の場合は受理される。 「お前、休みを取るためにわざとケガしただろ！」 「そんなわけないだろっ、大したケガじゃないけど痛いのは痛いんだから！」 大したケガではないからこそ、お互いこうしてくだらない冗談口も叩けるというものだ。 「でも、三日で大丈夫なのか？」 「うん、打撲と切り傷だし、十分だと思うよ。特別検診も受けに行きたかったし、ちょうどいいかなって」 「そうか、まあせっかくの休みだし、ゆっくりしろよ」 「ありがとう」 検診を受けて、家へ帰って、ゆっくり休もうかな。面白いと評判らしい映画、・・・は一人で見に行くのも淋しいから、気になっていたＤＶＤでも借りようかな。 ケガは嬉しいものではないが、骨休めをする時間が出来るのはちょっとありがたい。 何となく明るく軽い気分で、『警察庁』を後にした。 新人の頃に負った負傷の後遺症の検査のために特別検診を受け、「異常なし」というそっけない、だがありがたくもある結果を受け取って『警察庁』病院を出て、街をぶらついてみて、あまりウロウロして面倒くさいトラブルに巻き込まれたらせっかくの休みも潰れてしまう、とさっさと帰ることにした。なかなか賢明な判断だったと思う。 「休みの日に連絡なく勝手に出歩くなよ」 「・・・えっと、特別検診があったから・・・」 下手に街中をうろつきまわって面倒くさいトラブルに巻き込まれて、休暇が潰れるのはもちろん、乱闘騒ぎや銃撃戦などに出くわしたくなかったから大人しく寮に帰ってきたのに、さらなる面倒なトラブルの素が待っていた。一体、どうすればよかったのだろうか。 「というか、何で今日僕が休みなのを知ってるの？」 「『警察庁』に居なかったからだよ」 「遊びに行ってるかもしれないじゃない」 「お前、フラれたばっかじゃん」 「な、何でそれを・・・！」 さらなる面倒なトラブルの素にサラリと重大な秘密を暴かれて、よろけそうになるほどのショックを受けた千歳が思わず叫ぶと、さらにケロリと種明かしをされた。 「みんなそう言ってた」 「みんなって！」 「『トレーサー』ってホントに口軽いよなー、どっか遊びに行くのかなって言ったらフラれたばっかだから絶対家でウダウダしてるぜって教えてくれたぞ」 「あ、あいつら・・・！」 仲間内でネタにされるのは、年がら年中フラれてばかりの『トレーサー』たちにとっては日常茶飯事なので特に怒りはない。千歳が怒っているのは部外者、しかもよりによって孔雀に喋ったということだ。孔雀なんかに知られたら最後、・・・せいぜい治安『法廷』で喋られるくらいか。とすると、大した影響はないということだろうか？ 「フラれるくらいならいいけどさ、婚約破棄とかされても喋られたらたまんねえじゃん」 「あー、うん、さすがにそこまでの話ならみんな絶対に喋らないよ」 「ふーん。・・・彼女にフラれるくらいは日常茶飯事ってことか？」 「うっ・・・ま、まあそうとも言えなくも・・・言いたくないけど・・・で、でもさ、彼女を作りにナンパに行ってたかもしれないじゃん！」 「そんな甲斐性あるやつがフラれるかよ」 「ううっ・・・！」 当たっているだけに、いっそ殺して欲しい・・・！ 本気で泣きたくなってきた時、孔雀が首を傾げた。 「お前さ、何で休み取ったんだ？さすがにフラれた程度で休めるほど『トレーサー』は暇じゃねーだろ」 「そりゃそうだよ。大したものじゃないんだけど、ちょっとケガしたから、休養がてら休んで検診も受けに行こうと思って」 「え、ケガしたのか」 「うん。打撲と切り傷だから、休暇と非番だけで十分なんだけどね」 「なんだよ、折角俺が来たのに遊びに行けないじゃん」 「さっきフラれたくせにって言ったくせに・・・」 「俺は彼女じゃねーし」 「じゃあ何だよ！」 「友達」 「・・・友達にたかるのか、君は」 「お前社会人だろ」 「君もだろ！」 「うるせー、社会保険完備の会社勤め、しかも公務員ときたらお前の方がたかられるのは世の常だ！」 なるほど、そう来たか。というか、『ガーディアン』の口から「社会保険完備の会社勤め」などという生活感あふれる、ありていに言えば所帯じみた言葉が出るとどうも違和感しかないのだが。 「しゃーねえなあ、じゃあ買い物行こう、買い物」 「だから僕は家に居たいんだってば」 「居ればいいだろ、財布出せよ」 「・・・清々しいくらいストレートなカツアゲだね、久しぶりに聞いたなあ・・・」 至極まっとうな主張のように聞こえるくらい、悪びれた風もなく堂々とした態度でずいと手を出されると、思わず財布を取り出してしまう。治安『判事』が財布を出すのもこんな心境なのかなあ、と内心こっそり考えていると、孔雀が財布を掴んだ。 「失礼な、近所のスーパーで晩飯作る買い物してきてやるのに何でカツアゲなんだ。ちゃんと『広告の品』しか買わねーから安心しろ」 ちらりと財布を見て「スタンプカードばっかりで金目のモンも入ってねーくせに」と見下したように言われて微妙に悔しくとも言い返せなかったのは、「当たり」だったからだろうか。 「スーパーだったら一緒に行くよ、買いたいものがあるし」 「トイレットペーパーか？」 「そうだけど・・・どうしてわかったの？」 「翡翠もスーパー行くと必ず買おうとするからな」 「へえ・・・って、必ず？毎回なのか？」 「何かとりあえず無いと困るものだから、って買わなきゃならない気になって買っちまうんだとよ。押し入れにバベルの塔みたいに積み上げてあったから、それを使い切るまでは二度と買うなってこの間説教しといた」 「でも、予備として買い置きしたいじゃないか。うちも買い置き分を開けたから買っておこうと思って」 「それぐらいなら普通だけどな、トイレの棚にもバベルの塔作ってる家に、あれ以上トイレットペーパーなんぞ要らねえだろうが。紙買うなら食いモン買えっつーの、この間なんか野菜どころか保存食すら全くなかったぞ、あいつの家」 治安『判事』の文字通りの「台所事情」は、もしかしたら本人よりも孔雀の方がキッチリ把握しているのではないだろうか、と千歳は首を傾げた。きっと、ほとんど「寝るためだけの場所」と化しているであろう治安『判事』の自宅（といっても官舎住まいのはずだが）は「とりあえず寝られて水が飲めたらそれでいい」レベルの認識しかないはずだ。あの、激務で、自分で自分の命を縮めているようにしか見えない人は、生命維持のための買い物にはほとんど興味を示さないだろうから。 「・・・でも紙は買うのか・・・」 スーパーに入ると入り口すぐには青果があり、その奥には魚、肉、ときて最後に乳製品が並んでいる。殆ど全てが壁際の保冷棚で管理されているものであり、日常的に購入しない調味料や乾物類は中央部分に棚を置いてそれぞれジャンル分けされている。もちろん、毎回買う必要がない（はず）のトイレットペーパーやシャンプー類もこの棚置き部分にコーナーが設けられている。多少の違いはあっても、どこのスーパーも似たような配置になっているはずだ。 孔雀はまるで自分の近所のスーパーで買い物をするように自然にカゴを取り、野菜、肉、と見て回り、最初に宣言した通り「広告の品」しか選んでいない。孔雀はベータ・ゾーンの文字は読めないはずだが、値札を表示した紙の色や文字の大きさで「とても安い」「安い」「通常の値段」を判断しているのか、値下げしていない品物には一切手を伸ばそうともしなかった。 「・・・ねえ、孔雀？」 「何だ？」 「君、さっき『判事』にお説教した、って言ったけど、それっていつの話？」 「冬・・・いや、秋かな？冬は俺が自分で買い物してから行ったから」 「秋に一緒にスーパーに行ったんだ」 「うん。まさか家にそんなに買い込んでるとは思わねーから、俺もその時は止めなかったんだけどな、押し入れ開けるからなんか変だと思ったらものすげー山作ってるからアホか、って。石油ショックじゃあるめーし」 微妙に言うことが古いが、そこには目を瞑ることにした。 「で、ご飯作って食べて帰ってきた？」 「たりめーだ、何で俺がメシ作るだけ作って食わずに帰らなきゃなんねーんだ」 「いや、そうじゃなくて」 もしかしたら、治安『判事』は無意識に「食事のことは最悪な事態に陥る前に孔雀が来るからそんなに深く考えなくていい」と認識しているのかもしれない。どれだけ疲れても、どれだけ飢えたとしても、自分で自分を労わる気はないし、誰にもそれを求めない。だが、孔雀は勝手に来て勝手に食事を作って無理矢理にでも食べさせて帰って行く。なら、とりあえず「なくて困る」のは食事ではなく、紙・・・その時気づいてもどうしようもない、トイレットペーパーにだけ、彼の意識が向いてしまうのではないだろうか。 「ちーすけ、お前ピーマン食えるよな？」 「嫌いなものは特にないよ」 「じゃあ今日の晩飯はピーマンの肉詰めな」 孔雀の手が迷うことなく牛と豚の合いびきミンチを掴む。そこには緑の紙に紅い文字で「広告の品」「サービス品！」と書かれていた。的確な「広告の品」選びに思わず感心しつつ、カゴを覗くと、今日のメニューはピーマンの肉詰めにポテトサラダと野菜サラダのようだ。高級ではないが、いつもの千歳の貧相な自炊食や外食よりはよほど豪華と言える。 「・・・手間のかかる豪華メニューだね」 「俺が今食いたいもんを作るんだ、別に手間でも豪華でもねえよ」 それが、料理があまり得意ではなかったり、そもそも食事をとることに意義を見出さない人間にはとてもありがたいものだということに、孔雀はきっと気づいていないのだろう。 「・・・明日、映画くらいなら連れて行ってあげるけど」 「スプラッタは良いけどホラーはダメだぞ」 「ゾンビっぽいのは大丈夫？」 「突然飛び出してくる系もヤダ」 「・・・君、何で『冥王』とか言われるほどの殺人鬼だったのか、よくわかんないね・・・」 「だってビックリするじゃん！ハラハラするじゃん！」 いや、銃や剣を振り回して犯罪者同士、ファミリー同士で血で血を洗う殺し合いをしている方がよほど「ビックリ」で「ハラハラ」すると思うんですが・・・。 「でも、君、恋愛ものとかだと寝るだろ？」 「だって誰と誰がくっつくかだけ後で聞いたら十分だろ」 「選択肢狭いなあ・・・帰ったら今やってる映画、調べるよ」 「おー、よろしくな」 相手が「彼女」ではなくて『ガーディアン』であり、孔雀であるというのが少し虚しい気もするが・・・久しぶりの「家庭料理」を食べられる対価であると思えば良いか。というか、良いことにしよう。 有給休暇はやはり、良いものだ。 |