桜

　ベータ・ゾーンから移界してきて、五年が経とうとしている。

　孔雀はベータ・ゾーンでも有数の犯罪集団、「シビリアン」のリーダー格の男女の間に生まれた。他に子供は居なかったから、普通ならば子供を可愛がる・・・はずなのだが、そういう意味では彼らはどこかおかしかったのだろう。一人息子の孔雀に全く興味を示そうとはしなかったし、それどころか、孔雀に縮身の術をかけてしまった。
　縮身の術とは、その名の通り、体細胞を幼化減少化させ、物理的に肉体を若返らせるのである。当然の事ながらその過程は自然現象に反するので、精神に想像を絶する負担を強いる。この術をかけられた者は百パーセント、精神に異常を来して発狂してしまい、最悪の事態としては精神・肉体共に死を招くのだ。
　そこまで危険の伴う術を一人息子に施して、一体何をしようとしたかというと、・・・パラレルワールドのアルファ・ゾーンの妊婦の体内にある胎児と、胎児にまで肉体の成長を逆行させた孔雀とを皮一枚残して取り替えようということだった。取り替えた胎児は、不老不死の珍味として孔雀の母親の食卓に上がったらしい。
　そして、取り替えられた孔雀の行方を気にする人間などいるはずもなく、孔雀はそのまま・・・・・。

「今日は風がきつかったから、どうなるかと思ったけど」
「ホントに綺麗ねえ」
　こちらの一角では、家族連れの、比較的大人しい団体が、あちらの一角では普段の鬱憤を晴らそうとでも言うのか、大騒ぎしている会社員たちの団体が、訳の分からない叫び声を上げている。桜公園の中は、花見客でひしめいていた。
「友紀、お寿司食べる？」
　家族連れと会社員のちょうど境目あたりにいる、幼い子供を連れた三人家族。若い母親が、膝の上に乗せた男の子に笑顔を向けた。
「うん」
「どれが良い？友紀はお魚さんが好きだから、マグロが良い？」
　透き通るような白い肌に、大きな目の、少女に良く間違えられる少年。まだ五歳になったばかりの少年は、首を振って小さな手を出した。
「んとね、これ」
「あらあら、友紀くんはウニなんか食べるの？」
「そうなのよ、子供なのに食べ物の好みはもう大人顔負けよ」
「友紀はお父さんより良いもの食べるもんなー」
　どっと笑いが起こる。母親の膝の上で寿司を食べている少年は、そんな騒ぎも全く知らぬ気に、一生懸命になっている。
（くそ、ノリがかてーや）
　少年------宮内友紀として再びアルファ・ゾーンで生まれ落ちた孔雀は内心罵りながらウニを平らげた。
　宮内夫妻の一人息子として生まれた孔雀は、意識だけははっきりと保ちながらも再び人生を、文字どおりやり直すことを強要されてきた。最初から大人としての意識を持っているのだから、言葉を覚えるのは早かった。ただ、文字だけは逆になかなか覚えられなかったが・・・意のままに動かせない体の中にとじこめられた気分というのは相当にイライラするものだ。もとから短気な孔雀はよく癇癪を起こしてはアルファ・ゾーンの両親から叱られたし、やんちゃな少年として近所中に勇名を馳せていたが、五歳になるかならないかの脆弱な肉体では、とても大したことはできやしない。
　いつか、この両親を殺して、自由の身になってやる------孔雀はそう心に誓って、本人にすれば大人しく、宮内夫妻の子供を演じていた。
「そうなのよねえ、友紀も来年幼稚園だから。どこが良いのかしらねえ」
　近所の、似たような年齢の子供を持つ親たちと話をしながら、母親の美由紀の手が、無意識に孔雀を抱き寄せ、髪を撫でる。優しい、暖かい手。
「まあこの子がイジメに遭うことはないとは思うんだけど・・・逆に、のびのび育ててくれる所でなきゃ、萎縮しちゃうと思うの」
「そうかなあ、友紀は図太い所があるから、大丈夫だと思うけどなあ」
「お父さんはそう言うけど、この子だってやっぱり弱い所だってあるし、優しい所だってあるんだから。そういうところを大事にしてくれなくちゃ困るわ。・・・ねー友紀」
（ねーって、「うん、そうだよ」とでも言うことを期待してんのかよ）
　内心、孔雀はばかばかしい、と鼻を鳴らしたい所だったが、ここは純粋な五歳児、きょとんとした表情で首を傾げて見せた。
「友紀、ジュース欲しいか？」
　父親が紙コップを手に持たせてくれる。にっこり笑って頷き、一口、二口飲んでみるが、どうにもこのジュースというものは甘くて孔雀の口には合わない。
（酒が欲しいとこなんだけどなあ・・・酒欲しいなんて言ったら、こいつら、卒倒しかねないしな）
　孔雀は空を見上げた。暗い夜空に、花見提灯がゆらり、ゆらりと揺れている。不意に、美由紀が孔雀を膝から下ろして父親の友晴の隣りに座らせて言った。
「お父さん、ちょっと友紀を見ててね。わたし、御手洗いに行ってくるから」
「ああ、一人で大丈夫か？」
「大丈夫よ、公園の警備員さんも居てるし」
　一通り酒の回った彼らは、大分注意力散漫になってきている。一緒に出かけてきた隣組の子供達は、すでに放し飼い状態になっている。いつまでも子供をしっかり抱いていたのは、長年の大変な苦労の末に生まれた友紀が可愛くて仕方がない美由紀だけだ。男親はもちろん、女親たちもおしゃべりに余念がないし、正真正銘の子供達は警戒するに値しない。
（チャンス到来！）
　孔雀はこっそりと靴を履くと、会社員達が快気炎を上げている領域めがけて侵入していった。もちろん目当ては、彼らが大量に持ち込んだ、酒。
　あちらこちらの茣蓙の上で、歌い、喚き、騒ぎ立てる大人たち。ＯＬたちも普段は大人しい猫を被っているが、こんな日は特別だとばかりにがぶがぶとビールジョッキを空にし、あの課長がさー、えーうそほんとぉー？！と悪口、グチのオンパレードだ。そんな中に紛れ込んだ孔雀のことなど、誰も気に留めないし気付いても居ないようだ。
（あ、酒みっけ）
　孔雀は紙コップを失敬すると、ウイスキーをなみなみと注ぎ、急いでその場を離れた。匂いを嗅がない限り、見た目ではお茶にしか見えない。桜の木の下に腰を下ろすと、コップを傾ける。
「・・・うーん、やっぱ花見は酒だよな」
　制服警官が二人、酔客の喧嘩騒ぎやもめ事を抑えるためにパトロールしている姿が遠くに見える。こんな五歳児の科白を聴いたら、彼らは卒倒することだろう。孔雀はちびり、とコップを傾けた。
　孔雀の肉体能力は、全く五歳児のものに戻っている。そういう意味で、ベータ・ゾーンの母の能力は完璧だった。孔雀が苦痛に発狂してしまわなかったのも、運のいい偶然が重なっただけだ。ベータ・ゾーンに居たときと同じペースで酒を飲めば、アルコール中毒で倒れるか、訳が分からなくなるほど酔っぱらってしまうかの、どちらかだ。注意しながらゆったりとした気分で桜を眺めていると、ふと隣りに誰かが立つ気配がした。
「よう」
　酔っぱらいだった。白髪混じりの、四十を二つ、三つ越えたくらいの男性が、酒瓶とグラス片手に立っている。孔雀が何も言わないうちに隣りに座り込み、ぶつぶつと何やら言いはじめた。
「大体、わしはチャラチャラしたものは嫌いだって言ってるのに、何であいつらはわからんのかねえ」
　そして、ぐいっと酒を呷る。隣にいる小さな子供に話しかけているはずもなく、単に自分の連れと離れて酒を飲みたかっただけと見える。孔雀は精一杯、純真な子供を装って訊いてみた。
「おじちゃん、お花見が嫌いなの？」
「そうじゃない。わしは桜は綺麗だと思うし、見ていると神秘的なモノを感じてしまうという気持ちもわからなくはないと思う」
「じゃ、どうして？」
「綺麗なら綺麗、その気持ちを素直に表現すりゃいい。それをあーでもない、こーでもないと屁理屈をこねる必要はないんだ。無駄な虚飾は取り払われるべきなんだ」
　このオヤジ、何か嫌なことでもあったんだろうか。孔雀は小首を傾げてその男性を見つめていた。虚飾がどうのと言ったところで、幼稚園に行くか行かないかの小さな子供に理解できるはずがない。それを承知の上で力説しているということは、話を人に聴いてもらい、理解して欲しいわけではなく、自分の言い分を誰かに向かって話したいだけなのだ。普段、家でもあれこれとやりこめられているクチだろうか。
「幻想に逃避することに何か意味があるかね。現実はあくまでも現実の世界の中で処理されにゃならんのだよ」
　だが、銀縁の眼鏡の奥の目は、優しい。悪く言えば気が弱そうとも言えるのだが、悪い人間ではない。孔雀は内心の苦笑を押し殺して、言った。
「ねえ、おじちゃん」
「ん、なんだ」
「知ってる？桜の下には死体が埋まってるって」
「下らない！そんなのは、甘ったるい現実逃避にしか過ぎないよ。現実というものをリアルに・・・」
「あのね。本当はね、死体が埋まってるんじゃないんだよ」
「そうとも、本当は・・・ん？」
　本当は、という所にひっかかるものを感じたのか、男性はふと酔いから覚めたような目を孔雀に見せた。
「本当はね・・・・・」

「友紀！友紀！」
　いい気分で歩いていると、後ろからすさまじい迫力の声が孔雀の後頭部を目がけてぶつかってくる。こんなに綺麗な桜の木の下で、どうしてあんな切羽詰まった無粋な声を出すことが出来るのだ。迷惑そうに振り返ると同時に、ぎょっとするほど蒼白でひきつった表情の美由紀が、孔雀を絞め殺さんばかりに渾身の力を込めて抱きすくめた。
「もう、この子は！どこへ行ってたのよっ！お母さん、心配したのよ！」
「しゃくら見にいてた」
「まっ、友紀、あんたお酒飲んだわね！」
　呂律の回らない息子を見て美由紀は目を丸くしたが、きっとした表情で素早く左右を見渡す。そんなに警戒しなくても警官は居ないよ、と言いたかったが、美由紀はそんなことを心配していたのではなかった。
「もう、どこの人が友紀にお酒なんか飲ませたのかしら！こんな小さな子に、何かあったらどうしてくれるのよ！」
「おかーしゃん、しゃくらのきのしたには、もーりょーがいるんだよ」
「え？何ですって？」
　小さな息子を愛しげに抱き上げ、頬摺りする美由紀には、酔っぱらった息子が酒臭くても、一向に気にならないようだった。
「だからねー、しゃくらのきのしたには、したいじゃなくて、もーりょーがいるんだよ」

　桜の木の下には、死体が埋まっている。
　桜の木の下には、魍魎がいる。

　似たような言葉だが、ベータ・ゾーンで広く囁かれている「迷信」には、アルファ・ゾーンのそれこそ幻想に逃避したような言葉以上のものが含まれていた。
　美しい桜。あまりのその美しさに、桜の木の下には死体が埋まっている。その死体の血を吸い上げて、あの美しい花はほんのりと淡い紅を含んでいる。　ベータ・ゾーンの桜の木の下には、死体ではなく、魍魎------怨念が渦巻いている。
　怨み、妬み、嫉み、殺意・・・それらの、ありとあらゆる負の感情が集まってくる魔の樹木。それらは実体を伴って現実世界へ現れ、数人、数十人、時には数千人、数万人の規模の犠牲者を引き連れ、また木の下へ戻っていく。連れ去られた犠牲者達の苦痛、恐怖、無念の想いを糧に桜は美しく咲き誇り、そして新しい害意を作り集め、大事に育てていく。また次の年、再び養分とする犠牲者を狩るための狩人とするために・・・・・・

　桜の木の下には、魍魎がいる。
　捉えられた人々は、桜を美しく咲かせるための養分となり、新たな魍魎を生み出す為の苗床となる。
　いつまでも逃げ出せない、負の鎖------

「・・・お酒を飲ませたばかりか、おかしな事まで吹き込んで！許せないわッ！」
　美由紀は孔雀の言葉など、黙殺することにしたようだ。怯えさせる為に口にしてみた孔雀としては、ここで恐がって貰えなくては話にならない。一生懸命繰り返そうとしたが、美由紀は逆に孔雀を抱き締め、小さな背中をぽんぽんと叩いた。
「もう大丈夫よ、お母さん、友紀と離れないからね。もう怖い人に怖いことを言われたりしないからね」
「おかーさん、あのね・・・」
「怖かったでしょ、かわいそうに。もう、帰ったらお父さんにたっぷりお灸を据えなくっちゃ！」
（・・・ちょっと可哀想かもな・・・）
　精神はとうに二十歳を越えた「五歳児」の面倒を見なかったといって叱られる友晴に同情を覚えた孔雀は、あまり勝手に出歩いたり酒を飲んだり（？）しないようにしよう、と密かに心に誓った。
「あら、友紀、疲れちゃった？」
　美由紀の腕に抱かれてゆらゆらと揺られていると、酒が回ったせいなのか、だんだん眠くなってきた。一児の母とはいえ、まだ年若い女性の胸に抱かれているというのに、全然艶っぽい感情が芽生えないのは、美由紀が孔雀にとっての「母」だからなのだろうか。
（・・・ま、いーや・・・眠い・・・）
　孔雀は美由紀の問いかけには応えず、ことりと頭を凭せかけた。ふわりと軟らかくいい匂いが孔雀の鼻をくすぐった。香水の匂いなどではなく、石鹸の匂いでもなく・・・暖かい、「母親」の香り。
「仕方ないわね、いつもならとっくに寝てる時間だものね」
　そうじゃない。
　そうじゃないけれど・・・今日は、そういうことにしておいてもいい。

＊　　　　　＊　　　　　＊

　孔雀はその夜、夢を見た。
　桜の木の下から魍魎が這い出てきて、孔雀をどこかへ連れ去ろうとしたとき、巨大化した美由紀がすさまじい声で怒鳴りつけながら魍魎を踏みつぶし、蹴り飛ばして孔雀を護り、そしてにっこり微笑んで言った。

「友紀、私の可愛い友紀」

　それは、魍魎よりも恐ろしい、呪いの言葉。
　一生逃げられない、孔雀を縛り付ける「愛」という名の呪文。

　やはり、桜の木の下には、何かが居るのに違いない。

＜終＞

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