わ
わらしべ長者。
「なあ、これ欲しくねー？」
孔雀が目の前に突き出したのは、小さなうさぎのぬいぐるみ。翡翠が首を傾げると、孔雀は妙にキッパリとした口調で言った。
「欲しいはずだ」
「…いや、別に…」
「お前はうさぎ好きだろ」
「いや、好きだけど、でも別にぬいぐるみが欲しいほど好きってわけじゃ」
「仕様がねえな。じゃあ、チョコやるから、そこのメモ帳くれ」
「いいけど…」
別に、たった一つしかないわけではない。いくつかまとめ買いをしたもので、半分以上つかってしまったメモブロックくらい、必要なら譲ってもよかろう、と差し出した翡翠の手に、小さなチョコレートが三つ、載せられた。
「んじゃな」
慌しく部屋を出て行く孔雀の背を不思議そうに見送っていると、孔雀と入れ替わりに若葉が入ってきて肩を竦めた。
「変なヤツ」
「何が？」
「いえ、孔雀ですよ。あちこちで物々交換をして回っているらしいんですけど、わらしべ長者ゴッコでもしてるつもりなのかなと」
「ふうん」
だから、「チョコをやるからメモをくれ」なのか、と納得しかけた翡翠は青褪めた。
「わらしべ長者ゴッコって、まさか巨万の富を得るところへ行き着くまでやめないつもりじゃないだろうな！」
「…え」
物凄い勢いで部屋を飛び出した翡翠を、「まさかそこまでは」と思いながら見送った若葉だったが、後日孔雀に「翡翠に億万長者になるのを邪魔された」とブツブツ本気で愚痴られた時は、心底「先輩は凄い」と思った若葉だった。
＜終＞
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を
「をじさん」の「を」。
「なあ、翡翠？」
「なに？」
珍しく、夕食を夕食の時間に食堂で摂っていた翡翠の許に、孔雀が紙とペンを持ってやってきた。
「これ、何て読む？」
大きく書かれていたのは、「を」一文字。
何かのクイズなのか、引っ掛け問題なのか、と考えたが、この一文字でどうやって引っ掛けようというのか、むしろ興味を覚えた翡翠はごく普通に「わをんのを」と答えてみた。
「他には？」
「えーと…そういえば昔、小学生のときに『くっつきのを』って習ったなあ」
「くっつき？」
「うん、現代仮名遣いでは格助詞としてしか使わないだろ？『孔雀を』とか『僕を』とか、何かにくっつけないと使わないから、だから『くっつきのを』だって」
「…そっか。俺は『をじさんのを』って教わったんだけどな」
「おじさん？…使わないだろ？」
「いや、今はあ行の『お』を使うけど、昔はこの『を』を使ったんだよ」
「…君、いくつだい…それ以前に、ベータ・ゾーンじゃ学校に行ってなかったじゃないか」
「うん、アルファ・ゾーンのオヤジに教わった」
「アルファ・ゾーンの父上だってまだお若いだろ！」
「オヤジはお祖父ちゃん子だったらしいからな。学校じゃなくて、じーちゃんから教わったんだと思うぞ」
「それで君も『をじさんのを』派なわけかい…」
「『をじさんのを』推進評議会でもつくろうかなと思って」
勝手に作れバカヤロウ。
翡翠は笑顔で答えた。
「もっと丁寧に『を』って字を書けるようになってからのほうがいいと思うよ」
＜終＞
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ん
吽形の意味。
「なあ、こっちが『あ』だろ？」
たまたま二人で連れ立って『警察庁』へ行ったとき、玄関ホールで立哨にたっていた制服巡察官の顔面を無遠慮に指差した孔雀の手を思わず条件反射で叩き落としてから、翡翠は首を傾げた。
「あ、って何が」
「仁王像ってさ、口あいてるのと閉じてるのと居るだろ？」
「…君の話を聞いてると、友達に仁王像が居るように聞こえるよ…」
「口空いてるのが『阿』で、口閉じてるのが『吽』なんだろ」
「指差さなくたって話は出来るだろッ！」
いちいち孔雀が巡察官の顔を指差すのが我慢できなくて手を叩き落とすと、孔雀は不思議そうに首を傾げた。
「だって、『阿』は必ず入り口から向かって左で、『吽』は右だろ？」
「そりゃそうだけど、でもね、孔雀、人の顔を指差すのは失礼な行為だからね？」
「ああそうか」
いちいち訪問者たちの会話に気を取られていては立哨の意味が無い。細かい会話は無視しながらも視界を広く取り、全体的な動きを捉えるのが彼らの仕事だが、この時ばかりは「悪い悪い」などという『冥王』の声に僅かに頬を引きつらせていたとしても、誰も責めようとはしなかっただろう。
「…で？阿形と吽形がどうしたの」
「ん、いや、何で吽形の仁王は口を閉じてんのかなって」
「何でって。君も聞いたことくらいあるんだろう、阿吽は物事の始まりと終りを表していて」
「でもさ、仁王って、まあ言や悪いモンから仏さんとかを守ってるわけだろ？あいつらだって、そういう意味では同じじゃん？」
「そりゃ、まあ…」
「口閉じて睨んでるより、二人そろって『阿形』みたいに『うんがーッ』って口あけて脅かしてる方がより効果的だと思うんだけど、オマエはどう思う？」
間の抜けた質問ではあるが、ある意味筋が通っているともいえる。
翡翠は思わず、立哨の巡察官たちを見つめてしまった。
「…あのね、孔雀」
「何だよ」
「仁王像は、単に仏敵を寄せ付けないようにしている、ただの門番じゃないってことだよ」
「じゃあ、何なんだよ？」
「始まりがあれば、終りがある。『阿』で始まれば『吽』で終わる。阿吽の呼吸、って言葉、聞いたことあるだろう？」
「うん。ツーといえばカー、みたいなのだろ」
「彼らは二体で一対なんだ。仏敵を一番最初に追い散らす大事な役目の彼らの呼吸がバラバラじゃ、何の意味も無いだろう？だから、彼らは『阿』であり『吽』なんだよ。両方とも『阿』だったり『吽』だったりしてはいけない。始まりの『阿』であり終りの『吽』であることには、大事な意味があるってことさ」
黙って立哨を眺めながら翡翠の話を聞いていた孔雀は、納得したように大きく頷いて、そして、言った。
「あのさー、『ツーといえばカー』の『ツー』と『カー』ってなんなんだ？」
どさばさばさばさっ、と音がして、階段に躓いた翡翠が手に持っていた資料を全部『警察庁』玄関ホールにばら撒いてしまったとしても、翡翠を責める人間は居なかっただろう。
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