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熱い。 翡翠は目を覚ました。 猛烈に喉が乾く。辺りは暗くて、今何時なのか、全くわからない。気怠い 頭をやっと動かして、ベッドサイドの棚を見ると、時計が五時を指していた。 朝の五時か、それとも夕方の五時か。 「あれ・・・」 サイドボードに、水差しが乗っている。いつの間にこんな所に用意したの だろう？覚えていないうちに、自分で持ってきたのだろうか？まさか。 そんなことはどうでもいい。とにかく、熱を冷ますのが先決。それよりも、 喉が乾いて仕方がない。震える手で、いつもの三倍ほど重く感じる水差しか ら水を注いで浴びるように飲んだ。乾いた砂地に水が染み込んでいくように、 熱に浮かされた身体に染み渡る。 半分以上の水を飲み干したときに、隣の部屋から小さく音が聞こえてくる のに気付いた。隣家の音ではない。テレビをかけっぱなしだったのだろうか？ 何しろ突然の発熱で、『法廷』にやっと連絡を付けたことだけしか記憶にな い。 とりあえず、ふらふらする足下に注意を払いながら、ゆっくりと寝室を出 た。隣の部屋の扉を開けると同時に、怒鳴り声がした。 「あーっバカバカバカ！何で右に曲がるんだよ！」 「・・・何をやってるんだ？」 居間のテレビの前に座り込み、必死の形相でゲームをしている孔雀が、ふ と振り向いた。 「あ。」 「・・・なんで君がここに居るんだ？」 「お前が呼んだからじゃねーか」 「僕が？・・・」 立っていると目眩がする。崩れるようにソファーに座り込んだ翡翠の額に、 ひんやりとした孔雀の手が当てられる。 「なんだ、まだ熱あるんじゃん」 「どうして僕が君を呼ぶんだ？」 「そんなこと俺に聞かれたって困る」 ひょいと目の前に差し出されたのは、ウサギの形に切ったリンゴ。 「何か食え。んで、薬飲んで寝ろ」 「・・・これ、君が？」 「んにゃ、俺のお袋」 「・・・？」 まだ熱が高いのだろうか。孔雀の言っている言葉の意味はわかるのだが、 その全体の意味するところがまるで掴めない。ぐるぐると世界が回る。 「おい、ここで寝るなって！」 「寝てないよ」 「俺にもたれて寝ようとしてるじゃねーか！」 目を開けると、確かに孔雀の肩にもたれかかっていた。気分が悪い。 「で、どうして君がここに？」 「知らねえよ。お前が俺を呼んだんだよ」 「どうやって？」 まさか、テレパシーなんて馬鹿なことを言い出すのではあるまいな。だ が、孔雀が口にしたのは、ごく普通の、まともなことだった。 「この間お前に携帯の番号教えたろ。アレに電話してきたんじゃねーか」 「え？・・・『法廷』にかけたつもりだったのに」 「・・・お前は『法廷』に気分が悪い、って泣き言訴えるつもりで電話し たのか？」 「全然覚えてないけど・・・」 「実家にいたんだよ。お袋が心配して、お前ん家へ行ってやれってリンゴ 持たされたんだ」 「・・・それは、悪かった。『法廷』へ欠勤連絡入れたつもりだったんだ よ」 「俺が電話した」 「君が？」 「慌てて事務官が飛んできたけどな。俺がいる、って言ったら、何か青い カオして帰ったぜ」 では、『法廷』は上を下への大騒ぎだろう。翡翠の発病そのものは自然 発病として問題はないだろうが、『ガーディアン』が『判事』の看病をし ている、としたら。万一、『ガーディアン』が反旗を翻したら、万一治安 『判事』が命を落とすという事態になれば、万一『判事』補佐官が昇格し、 治安『法廷』を取り仕切るということになれば、というケースを想定して の話し合いが、・・・・・ ・・・かまうものか。 高熱のせいでかなり投げ遣りになっている翡翠は、母親が恐い『ガーディ アン』が側にいるから大丈夫なのだ、などといちいち『法廷』へ連絡して やる気力もなく、そのまま、また夢の中へ戻りかけた。 「おい、寝るなってば」 「ん・・・」 「薬だけでも飲めよ」 翡翠は目の前に差し出された薬を素直に受け取って、飲み下した。水の 入ったグラスを落としそうになったが、孔雀が危うい所で受けとめてくれ た。 「ベッドで寝ろよ、翡翠」 「うん・・・」 うん、と言いながら、翡翠はもう目を閉じていた。 「ったく、しょーがねーな」 孔雀のぶつぶつ文句を垂れる声が聞こえる。 とろとろと微睡みながら、深い眠りに落ちていく心地よさを感じていた。 たまには、誰かに迷惑をかけるというのも、いいものかもしれない。 ↑go head い？ 痛い。 孔雀は目を覚ました。 「どうしたの、孔雀？」 通夜と葬式が一緒に来たような表情で、翡翠が顔を上げた。 「・・・腹が痛い」 「どうせ拾い食いでもしたんだろう。これでも飲んでおけば」 「失礼な、俺は拾い食いなんか！」 「したことないの？」 「・・・ま、二度ほどある」 「とにかくこれを飲んでおきなさい。結構効くから」 素直に手を伸ばして服用する。 するとあら不思議、三十分後にはあの不快な痛みもさっぱり！ 「まだいてーじゃねえかよ！全然効かねーじゃんかよッ」 「おかしいなあ、ちゃんと三錠飲んだ？」 「飲んだっ」 「水で？」 「水でっ」 「・・・先週飲んだときは効いたけどなあ・・・」 ぶつぶつ呟きながらひょいと視線を孔雀に移した翡翠の眉が、 ひょいと寄せられた。 「・・・孔雀？」 「何だ」 「きみ、・・・胃が痛いの？」 「い？」 「君が押さえてるの、胃の辺りだよ」 「・・・胃か？」 「止寫薬じゃあ、いくら飲んでも効かないよ。はい、胃薬」 「・・・胃・・・」 「胃炎が慢性化してるんじゃないの？穴開けないように、気を つけてね」 「胃・・・」 さしもの孔雀も、子供には勝てないか。翡翠は呆然としてい る孔雀を後目に、胃薬の封を開けた。 ↑go head うっ。 嘘だろう？ 孔雀は泣いた。 「折れたんじゃない？」 さすがに翡翠が心配そうに孔雀の顔を覗き込んだ。 「ぼき、っていったよ」 泣きながら、孔雀は椅子の足を握りしめた。 どん、と低い地響きのような音がしたかと思うと、孔雀の全身に蒼い 炎がまとわりつき、椅子の足を包んだ。数秒後、椅子の足が綺麗さっぱ りと、灰さえ残さずに燃え尽きた。 「椅子に当たってないで、病院へ行ったら？」 翡翠が孔雀の肩を叩いた。 「うっ・・・」 「どうしたの？」 「・・・ひびく・・・」 「・・・お医者さん呼んでくるから、動くんじゃないよ」 「動きたくても動けねーよッ！」 右足小指骨折、全治三週間。 後にも先にも、『判事』の前で孔雀が涙を見せたのは、この時だけだ ったという。 ↑go head え？！ 「・・・あ、孔雀、白髪がある」 「え？！」 「苦労してるんだね、やっぱり」 「なんでやっぱりなんだよ！」 ↑go head おっ。 お前のせいでオレの人生、超絶ビンボーくじ人生。 「・・・何それ」 「オレの考えたオレのキャッチコピー。どう、面白い？」 「あまりに当たりすぎてて、笑えないんだけど・・・」 「・・・そんなに当たってるかなあ」 「辛いくらいに」 「そうか。・・・」 ふいと視線を外し、たそがれている孔雀を見て、翡翠は慌ててフォローした。 「・・・じゃ、じゃあねえ、こういうのはどうかな？『オレのおかげで世界は 平和』とか」 「おっ。なかなかいいじゃん」 「でも、ライダーとバッティングするから、ダメだね」 「なんでだよ！お前はオレと仮面ライダーと、どっちの味方なんだよ？！」 「何でそんなに真剣に怒るんだい」 「だって、大猫さんはライダーの味方なんだぞ！お前くらいオレの味方したっ ていいだろう、給料もなしで働いてんだからな！」 「なんだか君、だんだんがめつくなってきてない？」 「ふん、オレは元々がめついぞ。ガメリンなんか目じゃねーぜ」 「・・・哀しくなってこない？」 「ちょっと」 「・・・わかったよ、僕だけでも君の味方をしてあげるから」 「お前ってホントは良いヤツだったんだな」 「ありがとう、なんだか哀しいくらい嬉しいよ」 ↑go head |