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一体いつのまに倉庫に潜り込んできたものか、友紀がパーカーのポケットに 手をつっこんで、くすくすと笑っていた。 「・・・てめー・・・」 「逃げろ・・・友紀・・・！！」 必死で力を振り絞り、友紀に呼び掛ける。が、友紀は千歳の言葉を鼻で笑っ た。 「ふん、てめえは自分の心配してな」 「な・・・」 千歳ははっとした。クルズの様子がおかしい。いや、おかしいのはクルズだ けではない。自分も、おかしいのだ。 体が震えている。傷のせいではない、痛みのせいではない、もっと他の何か ・・・もっと根本的なもの・・・本能が何かを恐れている。そして、その対象 は------友紀。 「それにしてもお前、よくもまあ、殺しも殺したり・・・って感じだな」 友紀はにこっと笑いながら歩み寄ってきた。女のように美しい黒髪を長くの ばし、白い肌に紅い唇・・・細い首はひと捻りでねじ切ってやれそうだ。なの に、恐ろしい。何か得体の知れないものが、この少年のなかに存在する。 「俺も他人のことは言えねーけど、お前も相当ひでーヤツだよな」 「何？まさか、お前・・・」 「だけど、やり方が気にいらねえな」 友紀は顔に浮かべた笑いを引っ込め、代わりに怒りに満ちた、不愉快な表情 を面に出した。まるで十九歳の少年とは思えない、大人びた、そして激しい表 情。 「抵抗もできねえ女や子供ばっか狙って、それでいて自分より強いヤツには人 質取って手足を封じるような汚い手ぇ使いやがる」 友紀は髪を束ねていたバンダナを解き、一歩近付いた。 「俺は『特級』しか手出しできねえが、千歳の・・・仲間の危機なら、話は別 だよな？」 友紀の髪がゆらりと動いた。ふわりと宙に舞いそよぐ髪。倉庫は密閉されて いて、そよとも風など吹いていないというのに・・・？ 「てめー、ぶっ殺してやる」 にやりと笑った友紀の顔は------クルズなど足元にも及ばないような残忍 な微笑が浮かんでいた。 「友紀、・・・まさか、きみ・・・」 「キサマ、まさかあの・・・！」 友紀の目が、紅く光った。瘴気のようなものが立ち篭めてゆく。たしかに、 ほんの数十分前まで行動を共にしていた少年が、見る見るうちに変容して行く。 アルファ・ゾーンの人間と同じものだった「気」が、ベータ・ゾーン特有の昏 く冷たい・・・しかも、特級ク ラスさえ遥かに超えた、残忍で冷酷な気配へと変わって行く。 「き、貴様、『ガーディアン』か・・・！！」 『ガーディアン』------その残虐さ、冷酷さを矯正できないほどの超・極悪 犯が脳に監察爆弾の植え込みと、『判事』への恭順とを引き替えに、身の自由 と、指定された人間（犯罪者）を殺す権利とを手に入れたもの。それが、『ガー ディアン』である。 ごく普通の人間である『トレーサー』には捕縛できないものや、あまりの凶 悪さに社会から抹殺するよう位置付けられた凶悪犯たち、つまり「特級」にラ ンキングされた者を狩るのが彼らの任務だ。その凶悪さや、恐ろしいまでの強 さ、持って生まれた特殊能力、そういった力を持った超・極悪犯を強制的に手 先として使い、凶悪犯を狩らせる------『ガーディアン』の任命、指令一切 を取り仕切る『治安判事』の職が鼻つまみものとされる所以である。 「宮内友紀ってのはアルファ・ゾーンでの名前なんだな。本名は『孔雀』とい えば、わかってもらえるかな？」 「く、孔雀？！あ、あのベータ・ゾーン最強にして最悪とうたわれた極悪人、 『冥王』孔雀・・・！！」 「彼が・・・あの『冥王』・・・」 あまりの強さと残忍さ・冷酷さから冥府の王、『冥王』などという通り名が 付いた孔雀といえば、子供まで知らないものはいない、というほどの超・極悪 犯だった。彼がたったひとつ犯さなかった親殺しの大罪でさえ、単なる偶然で あり、何かのきっかけがあれば迷わず殺したであろうといわれていたほどだった。 だが、『冥王』の噂は千歳が子供の頃、十にもなるかならないかというときに、ふっつりと消えてなくなったはずだが・・・？ 「・・・へ、孔雀はテメーみたいなガキじゃねえはずだ。俺より年上のはず ・・・そろそろ四十くらいのはずだ」 「俺はベータ・ゾーンのお袋に縮身の術をかけられてな。人間のガキと取り替 えられたのさ。・・・信じないのはお前の勝手だが」 みし、と空間のひずむ音が聞こえるくらいのすさまじい瘴気。友紀------ 『冥王』孔雀の体から発せられる瘴気が、クルズの顔面を叩く。 孔雀が、笑った。 「お前、楽に死ねると思うな」 ほんの数分前、自分が千歳に言ったと同じ言葉を投げ付けられ、クルズは怯 えた。彼には、わかるのだ・・・同じ犯罪者として、目の前に立つ少年の姿を した超・極悪犯の残虐さ、恐ろしさが、本能にひしひしと感じられるのだ。 他人の苦痛は感じないが、自分の苦痛は人一倍感じやすい。クルズはがたが たと震えながら、孔雀に哀願した。 「た、助けてくれ・・・お、俺が悪かった！」 「聞こえねーな」 孔雀の足が軽く地を蹴り、まるで重力の支配を受けていないかのように宙に 舞う。恐怖に立ち尽くすクルズの前にふわりと降り立ったかと思うと、空を切 り裂く速さで、孔雀の手刀がクルズの腹に入った。 「ぐあ・・・！」 鮮血を撒き散らしながら、クルズが後方へふっ飛んだ。 「やめてくれ、は、腹がァ・・・」 「なんだ、でけぇ図体して、情けねえなあ。もう降参か？」 指についた血を紅い舌で舐めると、孔雀はにやりと笑った。拳がクルズの胸 へ叩き込まれる。少し離れたところに横たわっている千歳にも、肋の折れる乾 いた音がはっきりと聞こえた。 「ぎゃあー！！」 「汚ねえ声だなあ・・・いい声で鳴けねーんなら、黙ってな」 すぐ傍に落ちていた子供のものらしき手首をクルズの口へ押し込む。孔雀の 足がクルズの胸板にかけられた。ばきばき、と肋がつぎつぎと折れていく音、 そしてくぐもったクルズの悲鳴。軽く蹴ったようにしか見えないのに、クルズ の体は十メートル近くも飛ばされ、倉庫の鉄柱に激突した。 「お前のナイフ、ちょっと借りるぜ」 先程まで千歳を切り刻んでいたナイフを拾いあげると、そのままクルズ目掛 けて投げ付ける。狙って投げたものか・・・クルズが千歳を傷つけた、その部 位と全く同じ、右肩に深々と突きささった。 「へえー、このナイフよく切れるなあー」 感心したように言うと、無造作にナイフを抜き取り、右肩から左脇腹------ 全く同じように、切り裂いた。 「・・・玉虫のナイフよりは落ちるか」 刃先をつまみ、少し力を入れただけで、ナイフは真っ二つにへし折れた。孔 雀はクルズの両腕をつかむと、まるで雑巾でも絞るように、腕をねじり上げた。 骨が粉々に砕ける音に交じり、クルズの苦痛に満ちたうめき声が漏れてくる。 「友紀・・・」 千歳の声がした。 「なんだ」 「やめて・・・くれ・・・」 孔雀は眉を寄せ、千歳をふりかえった。 「どうしてだ？こいつ、お前をズタズタにしたヤツだぜ」 「そいつは・・・ハイ＝ランク・・・」 「だから殺すのは可哀相だってか？甘ったるいな、胸クソ悪い」 「殺せば君・・・が・・・追われる・・・」 孔雀の手がぴたりととまった。血塗れの千歳をじっと、見つめる。 本性に変容した、紅い瞳で。 「・・・わかったよ」 苦笑を洩らし、クルズの腕を放した。もう、二度と他人に害を為せるほど、 自在に動かせはしまい。 「丁度、お仲間もきたようだな」 「千歳、大丈夫か？！」 四人の男たちがベータ・ゾーンからの移界を果たし、千歳の方へと走りよっ てきた。 「しっかりしろ！」 「大・・・丈夫だ・・・」 「失血がひどいな・・・すぐ輸血してやるぞ」 「千歳、あいつは・・・」 一人の男がはっとしたように息を呑み、震える指で孔雀をさした。 「こ、これはお前がやったのか？！」 「おまえ、まさか『冥王』孔雀？」 「まさか千歳、、あいつに・・・」 孔雀は薄く笑い、クルズを軽く蹴飛ばした。 「こいつを捕らえる手伝いをしてやったんだぜ、心外だな」 重傷の千歳とさえ比べものにならないほどボロボロにされているクルズを見 て、『トレーサー』たちは震えた。たしかに、千歳は孔雀に傷つけられたので はあるまい。もし孔雀が千歳を傷つけようとしたのなら、とてもこの程度では すむまい。 「さて、帰るかあ」 孔雀は『トレーサー』たちに背を向けた。 『ガーディアン』は『判事』からの司令がないかぎり、積極的に誰かを傷つけ ることは許されていない。もし、心のおもむくままに人を傷つけたり殺そうと すると、脳に埋め込まれた監察爆弾が生体の興奮や殺人衝動を察知し、状況と 総合判断し、二十秒間の警告パルスを発する。それで行為を中止すればよし、 もしまだ殺人行為を続けるようなら、監察爆弾が作動し、心臓発作を起こさせ、 しかも決して検出され得ることのない毒薬を体内へと流すようになっている。 もし仲間や『トレーサー』たちの危機に面した場合は別で、司令はなくとも ある程度までなら許される。だが、それも制度上のこと、自分の命が助かった としても元は超・極悪犯として忌み恐れられていた人間に、よくぞ助けてくだ さったと礼を言うような警官はいない。いつも無言で、怯えたような視線を投 げ付けられるだけだ。それでも助けるのは、ただ、暴れたいから・・・嬲り殺 し一歩手前の状況まで犯人を傷つけることが出来るから、ただそれだけ------ 孔雀は床に落ちていたバンダナを拾い、出口へ向かった。 その時である。 「・・・孔雀」 千歳の声が、孔雀を呼んだ。仲間に助け起こされた千歳が、苦しそうな息の 下から、言った。 「ありがとう・・・」 その場にいた全員が、千歳の言葉に目を丸くした。孔雀までが。いまは『判 事』の下にいるとはいえ、元は犯罪者だ。彼らは人を合法的に殺すということ だけを楽しみに、条件を呑んで『ガーディアン』となった者たちの集まりなの だ。そんな人間たちを『守護神』 とは笑わせる。『トレーサー』ばかりか、当の『ガーディアン』でさえ、可笑 しそうにそう言うのだ。 「お前、馬鹿じゃねーの？」 妙な表情で、千歳を呆れたように見つめた。 「俺は『ガーディアン』だぜ？元犯罪者だぜ。『冥王』と呼ばれた、極悪犯だ ・・・お前だって知ってんだろ？俺がさっき、その男に何をしたのか、見てな かったわけじゃないだろう・・・その俺に礼を言うなんて、・・・そんなバカ、 いるか？」 「知ってる、『冥王』の噂・・・小さい頃に聞いた・・・でも、君は僕を助け てくれた・・・」 「・・・」 「僕が『トレーサー』だとわかっていたのに・・・あのアンプルを見て、僕が ベータ・ゾーンから来た『トレーサー』だってわかったはずのに、厄介なお荷 物にしかならない僕を拾って助けてくれた。・・・それどころか、クルズを探 す手伝いをしてくれて、あいつに殺されそうになっていた僕を助けてくれた・・・」 「それは、・・・」 「知らないふりをして、そのままほおっておくことも出来たのに、助けてくれ た」 千歳は顔をしかめた。傷が、痛むのだろう。 「・・・ありがとう、孔雀」 じっと見つめられた孔雀は、表情を変えた。 怒ったような、・・・元・犯罪者に礼を言うような千歳をバカにしたような、 ・・・何とも言えない複雑な表情を見せたあと、笑った。それは、とてもやさ しい・・・照れたような、幼い、無垢な微笑だった。 「・・・早く傷治してさ、頑張れよ・・・千歳」 「うん・・・」 手を振り、背中を向けた孔雀を千歳たち『トレーサー』はいつまでも見送っ ていた。 ベータ・ゾーンに戻った千歳は一ヵ月以上入院したあと、やっと退院許可を 取りつけその足で報告書を作成するために警察庁へ向かった。 「・・・あ」 千歳は思わず声を出した。玄関を出てきた若い男------幼さをまだいくぶ ん残した青年------『判事』だった。彼が、孔雀・・・『ガーディアン』の 直属の上司か、と思うと、ついまじまじと顔を眺めてしまった。 「・・・？」 『判事』はいくぶん妙な顔をして千歳の顔を見つめた。『判事』はたった一 人、それも有名人だが『トレーサー』は掃いて捨てるほどいる。たかだか三等 巡察官の千歳のことなど、知っているはずもない。敬礼をしてすれ違おうとし たとき、『判事』が声をかけた。 「失礼、“千歳”さんですね？」 「え？あ、はっ、そうです・・・あの、どうして私を・・・」 「大体のことは、『トレーサー』・・・あなたの同僚の方から聞きましたから」 評判の方ははともかく、治安判事は疑いなく、エリートだけが任官できるポ ストなのである。一介の『トレーサー』が親しく話をする機会など、探したと ころでそうそうあるものではない。それなのに、この『判事』のなんと丁寧な 話し方・・・千歳は背中がむずむ ずする思いだった。ずっと格下の、比べることさえ恐れ多いような千歳は一体、 どんな話し方をすればよいというのだ。 千歳の、そんな思いを察したのか、『判事』は微笑んだ。笑うと一層、幼く 見える。『判事』とはいえ、彼はまだ二十四歳の青年なのだ。 「・・・あなた、孔雀と会ったそうですね」 「はい、・・・」 「孔雀の印象は、どうでした？」 「・・・」 『冥王』孔雀。手のつけようのない狂暴さと殺人志向、そして強さ。一体何 があって『ガーディアン』となったのか。それは目の前に立つ青年、『判事』 しか知らない。だが、孔雀の凶悪さは彼が殺した人間の数三千、という数字と 「原罪」とも言われる、法律以前の罪といえる大罪さえ犯した、という罪歴を みれば、以て推し量るべし、だ。 「『ガーディアン』といってもね、いろんな人間がいるんです」 「・・・」 「生れ乍らに狂暴な性質の者もいますが、そういうケースはごくまれですね。 たいていはそうならざるをえなかった、ある種の事情とも言うべきものがある ものでしてね」 「そうなんですか？」 「ええ・・・孔雀はね、両親が『ＳＶＩＬＩＡＮ』のアタマでしてね」 「えっ・・・あ、あの犯罪集団の・・・？！」 「極道の家に生まれた子供には、極道のモラルが身についてしまう・・・それ は子供の責任じゃありませんね」 「はあ」 青年、『判事』は微笑んだ。 「私も、一時は犯罪者を本気で憎みました・・・一人残らず殺してやろうと」 「・・・」 「でも、違うんですね。私はそれがやっと、わかりました」 「違うって、・・・どう違うんです」 「極悪人といわれた彼らも、本当はかなしい存在なんですよ」 「かなしい・・・」 その時、一台の車が横付けされ、運転手が出てきて頭を下げた。 「ああ、もう行かなくては・・・では、失礼します。お体を大切にしてくださ いね」 「はい、ありがとうございます」 『判事』は車に乗り込むと微笑んで、軽く頭を下げた。小さくなって行く黒 塗りの車をぼんやりと見送りながら、千歳は『判事』の言葉を繰り返していた。 かなしい存在・・・彼らが？人を殺し、傷つける彼らが？同じよ うに、傷つけられているとでも言うのだろうか？ 「・・・そうかもしれない」 今までは考えても見なかったこと。 だが、孔雀と出会い、そしてあの笑顔・・・あのやさしい、照れたような、 無垢な笑顔を見てしまった。芯から腐っただけの人間には、笑えない笑顔。 「・・・そう・・なのかもしれない・・・」 決して交わることのないはずの二つの世界、アンバランスな平行世界。その 片側で暮らしているであろう孔雀を思い、千歳はいつまでも立ち尽くしていた。 Up/1994,4,2 |