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がちゃり、といきなり扉が開いた。それから、とってつけたようなノックの 音が三回。 「・・・あのね。もう三回目なんだけどね」 「トイレはちゃんとあける前にノックしてるから良いだろ」 「だからね・・・」 なんだか、馬鹿馬鹿しくなってきた。翡翠は自由になる左肩だけすくめると、 ため息をついた。そんな翡翠には構わず、勝手にベッドサイドの椅子に座った 孔雀は、翡翠の顔を見上げた。 「お前さー、いつまで入院してんの？どーせかすり傷なんだろ、来栖もそう言っ てたけど」 「ふん、かすり傷なもんか。来栖の下手くそめ、もう少しで神経と血管を切断 してくれるところだったんだぞ」 「いーじゃん、どうせお前なんか無神経だもんな」 「冗談じゃない、利き腕が動かなくなるじゃないか」 「なくて困るもんじゃねーだろ」 「じゃあ、君が仕事の手伝いをしてくれるのかね」 「・・・右手が無事で良かったな」 「ふん」 ぷい、とそっぽを向いた翡翠だったが、やがて孔雀に視線を戻して微笑んだ。 「・・・ねえ、孔雀、まだお礼を言ってなかったね」 「何の礼だ？」 「僕を助けてくれただろう？ありがとう、孔雀」 「べ、別にお前なんかを助けてやろうと思った訳じゃねーよ！」 「でも、君がどう思っていても、結果的には僕を助けてくれたわけだから」 むっとした表情のまま何かを言おうとした孔雀だが、翡翠の笑顔を見て、ふ ん、と鼻を鳴らしただけで黙り込んでしまった。 そのまま、沈黙が続いたが、重い沈黙では決してなかった。孔雀はベッドに 頬杖をつき、ぼんやりと扉をみるでもなく眺めていたが、やがて思い出したよ うに言った。 「・・・あのさ」 「なに？」 「銃で撃たれるのって、痛いのか？」 「そりゃ痛いに決まってるよ」 「そっか。俺、撃たれたことってないからな」 「撃たれないに越したことはないね」 「そうだな」 そして、大きな目を再び翡翠に向けた。 「まだ、痛い？」 「・・・いや、もうそれほどでもないよ。それに、痛み止めを打ってもらって るしね」 「そっか」 安心したような笑顔。翡翠は微笑むと、言った。 「ねえ孔雀。あの時の賽子、見せてくれないかな」 「あ？これか？」 ごそごそとポケットから出してきたのは、あの「勝負」の時に使った賽子と、 真っ白の「賽子」。大きさも形も全く同じで、違う点と言えば目が彫ってある かいないか、それだけだ。 「本物の賽子みたいだね。もっとも、目が彫られていないのに賽子と言えるかど うか、だけど」 「面白いだろ。実家の庭に落ちてたんだ。ちょっと削ったけどな」 「君があんなイカサマ賭博も出来るとは思わなかったな」 「一時、はやったんだよ」 「ふうん・・・でも、咄嗟に思いついたにしては、出来過ぎだね。君、一体何 をたくらんでいたんだ？」 「し、失礼な！わざわざお前のために一芝居打ってやったのに、その言いぐさ はなんだ！」 お前なんかを助けてやろうなんて思っていなかったと言ったばかりのくせに。 翡翠は内心笑いをこらえながらも、なおも追及の手を緩めなかった。 「でも、『たまたま』『法廷』に来たときに『たまたま』賽子とその偽賽子を 持っていて、『たまたま』壷振りの壷を持っていて、『たまたま』イカサマ賭 博をしかけるだけの技術を持っていた、なんてあまりにも偶然が重なりすぎて いると思うんだけど？」 ぐっ、と詰まった孔雀は目をしばしばとしばたかせていたが、やがて、言っ た。 「・・・いや、お前とあそぼっかなーって」 「何か賭けさせるつもりだったね？」 「えと・・・ひるめし」 「・・・」 「・・・一週間分」 「やっぱり！僕だけじゃなくて、誰か他の人間で試して味をしめたんだろう！」 途端に孔雀は慌てて首を振った。首の筋を痛めてしまうのではないか、と思 わず翡翠が心配してしまうほどの勢いである。 「ははーん・・・その様子だと、母上相手にお小遣いか何か、巻き上げたんだ ろう」 うっ、だか、ひえっ、だか、よくわからない声を上げたところを見ると、図 星を指されたようだ。全く、わかりやすいと言おうか、何と言おうか・・・翡 翠は腹を抱えて笑い出したいところを、評判の高い「鉄面皮」の下に隠して、 重々しく言った。 「じゃあね、この問題が解けたら許してあげるよ」 「な、何だ？」 「君は賽子二つを振って、出た目の和が七以上だったら来栖が勝ちだと言った けれどね。じゃあ、三つの賽子を振って、出た目の和が七以上になる確率は？」 「え、えーと、七以上か？ということは、一つ目の賽子が一の時、残り二つは 六以上で、二つ目が一の時は五と六だろ、二だったら・・・」 必死になって指を折って数えはじめた孔雀に、翡翠の冷たい声が浴びせられ た。 「バカだな。七以上の目ということは、六以下ならダメってことだろ。七未満 の目になる時の組み合わせを数えた方がずっと早いよ」 「え、そうなのか？」 「そうだよ」 「えーと・・・そしたら、一の時は一と一と二と三と・・・」 「答えは５／５４だよ。つまり、七以上になる確率は４９／５４」 「そんなに高い確率なのか・・・」 またよからぬことを考えはじめたらしい孔雀の声が、上の空になる。翡翠は 孔雀の肩をぴしりと叩いた。 「一人で解けなかった罰だ。何か僕に奢りなさい」 「ひええええええええ」 自分が翡翠にした仕打ちと同じように、一度に一万も二万も翡翠からむしり 取られると思っているのだろうか。本気でおびえている孔雀にくすりと笑う。 「アイスクリームでいいから」 「え？そ、そんなので良いのか」 「ダメって言ったって、君はそんなに大金持ってやしないだろ」 「失礼な！」 「だって、本当のことじゃない」 「お、おまえな、事実だからって言って良いことと悪いことってのがあるんだ ぞ！」 「じゃ、フランス料理のフルコース奢ってって言ってもいい？」 「・・・怪我が良くなったら、アイスクリーム食いにいこうな」 そう、怪我が良くなったら。 怪我が良くなったら、孔雀と一緒にアイスクリームを食べに行こう。 最初は、ただの冗談のつもりだったのだが。 「・・・そうだね。退院したら、行こうね」 若葉は翡翠の見舞いに訪れたとき、孔雀が来たときの様子を尋ねてみた。 「ああ、いつもいつも僕が孔雀に奢らされてばかりだったら悔しいからね」 そう言って、翡翠は嬉しそうに微笑んだ。 （・・・バカだなあ、孔雀・・・） 孔雀は、若葉に向かって、こう言ったものだ。 「アイスクリーム食わせてやるって言ったら、すっげー嬉しそうな顔してやん の。あいつ、普段そんなにへんなモンしか食えねーほど貧しい食生活してんの か？」と。 アイスクリームが食べられるから、嬉しいのではないのに。翡翠が望めば、 それこそいつもピーピー言っている貧乏人の孔雀などがお目にかかれないよう なコース料理くらい、口にすることも出来るというのに。 （ま、そんなこと、あのバカに言ってやってもわからないだろうけどね・・・） 何にしても、敬愛する上司であり、先輩でもある翡翠が幸せそうに微笑んで いるというのは良いことだ。そう結論づけて、若葉は孔雀の出費など気にしな いことにしたのだった。 |