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前を歩いているのは、幼馴染で、恋人の舞だ。 尤も、「恋人だ」と思っているのは自分と周囲の人間だけで、当人は単なる幼馴染だと思っている、という可能性もあるが。嫌われているのでも興味を持たれていないわけでもなく、ただ、そういうヤツなのだとしか言いようが無い。 なにやら一生懸命読みながら歩いている様子に、吉野は足を速めて舞の腕を取った。 「きゃっ！」 「ほら、歩くときはちゃんと前見て歩かないと転ぶって」 「ありがとう、躓いたところだったの」 それから、同じ学校、同じ学年、同じ日程でテスト期間中の同級生に「今帰り？」と挨拶するところはさすが幼馴染の自分でも「こいつ大丈夫か」と思わないでもない。 「何で私が転びそうだってわかったの？」 「何か読みながら歩いてたから」 「それでどうして転ぶってわかるの？」 漫画を読みながら歩いてる子も居るし、メール打ちながら歩いてる子も居るのに。尤もな反論だが、それはその子が「舞ではない誰か」だからだ。前を見て歩かないと必ず転ぶなどというドン臭いヤツは舞以外にそうそうは居ないし、舞のことだからこそ、「ああもうすぐ転ぶな」だとか、「珍しい、今回は大丈夫そうだ」だとか、わかるというか。 吉野は曖昧に答えておくことにした。 「じゃあ舞、転ばないか？」 「…転ぶ」 「それより、何を読んでたんだ？」 「冬期講習のお知らせ。そこで配ってたでしょ？吉野はもらわなかったの？」 小さな白い手元に視線をやると、そこには予備校の「冬期講習のお知らせ」リーフレットがあった。 「ああ、オレももらったよ。…でも、舞の成績なら冬期講習なんか必要ないだろ？」 リーフレットは主にこの冬の受験生を対象にしたもので、もちろん舞たちのような「来年」組のクラス日程も簡単に紹介されてはいたが、「この冬で遅れを取り戻さねば！」というような成績の舞ではない。むしろ、長期療養に行っていた割には殆どトップクラスで、こんな天然ボ…いや、おっとりしたヤツのアタマのどこにそれだけの知識が入っているのか、と不思議に思うくらいだ。 「うん、学校のお勉強についていくだけならまだ大丈夫なんだけど、…私ね、法律大学へ行ってみたいの」 法律大学、というと名前こそ「大学」と一般の大学と同じ組織であるように思えるが、実際は一般の大学を卒業して「学士」の資格を持つか、受験資格考査を受けて同程度の学力があることを実証してからでなければ、受験することすら許されない、「大学院」レベルの機関であり、その上、この法律大学へストレートで合格する人間は数年で一人居るか居ないか、というレベルなのだ。さすがの舞の学力でも、このままではまずストレート入学は厳しいところだろう。 「…治安『判事』に追いつきたいのか？」 一度だけ見た事のある、美貌の政府高官。柔らかい笑顔と裏腹に、冷たいことを簡単に吐き捨てることができる、…冷たい仮面を被ることを選んだ、孤高の人。療養中だった舞の隣の病室へたまたま入ったらしいことから、吉野も顔を見たことがある、程度にしか知らなかった。 だが、舞はあっさりと首を振った。 「ううん、私は法律の勉強をしたいの。だから、大学に残ることが出来るように頑張るつもり」 「ふうん…色々考えてるんだな」 「ねえ、吉野も申込みに行かない？」 「迷うからか？」 真面目な顔のからかいに、舞も真面目に答えた。 「それもあるけど、吉野と一緒に行きたいなと思って」 それは「冬期講習に」なのか。 それとも「法律大学に」なのか。 後者ならばそうそう簡単に「おーいいぞ」とは流石に付き合いのいい吉野も答えることはできなかったが、…… 「あ、みてみて、すっごい綺麗な夕焼け！」 「だから転ぶって…！」 きゃー、だか、いやー、だか、よく分からない悲鳴を上げて鞄の中身を全部ぶちまけた幼馴染兼恋人を抱き起こしながら、とりあえず、吉野は答えた。 「一緒に行かないとオレが心配でストレスで死ぬかもしれないからな。行くよ」 「その言い方ってひどいわー」 「オレに教科書拾わせながら言う台詞か？」 どちらの意味にせよ。 どちらの方向だったとしても。 オレは君と一緒に行こう。 たとえ君がオレを幼馴染だとしか思っていなかったとしても、恋人だと思ってくれているとしても。 「明日でテスト終わるから、申込みに行かない？」 「ん、いいぞ」 「ありがと」 にっこり笑った舞の笑顔がそこにあるのなら。 それでいいと、思った。 |