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「お、健康診断？」 読めもしないのに、嬉しそうに孔雀が翡翠の定期健康診断の結果と指導票を嬉しそうに机の上から取り上げる。 「どーせお前のこったから、成績悪いんだろ」 「成績っていうのかね」 「成績だろ」 孔雀が翡翠に唯一勝てるのは、健康診断の結果くらいのものだ。孔雀は嬉しそうに裏から表から、ひらりひらりと診断票を眺めていたが、急にイタズラっぽく瞳を光らせた。 「おっ、お前、喫煙癖ありだって？」 「うん」 一年で一箱、吸うか吸わないか、だから問診票には「殆ど吸わない」に印をつけたし、問診時にもその通りに答えた。だが一応、「全く吸わない」わけでもない・・・が、喫煙癖あり、と言うのも無理がある。だが、呼吸器の弱い翡翠にとっては、喫煙はあまりよいことではない、と注意を受けたことは確かだ。 適当に返事を返すと、孔雀は更に嬉しそうに言った。 「お前さ、煙草止めないと肺ガンで死ぬ恐れアリって書いてあるぞ」 だから、読めもしないと最初からばれているのに、そういうことを言うなというのに。翡翠は子供と遊んでいる感覚で、真面目な表情のまま、やはり適当に「うん、そうなんだよ」と答えた。 「・・・ホントに？」 ひらりひらり、が、はたりと止んだ。だが、仕事に気を取られている翡翠がそんなことに気付くわけもない。 「今はまだ良いけど、だんだん進行していくから、一日でも早く煙草を止めなさいって言われた」 沈黙。 普段の通りの沈黙が訪れた室内で、翡翠は快適に仕事を続けていたが、かたり、と音がして顔を上げると、孔雀が真面目な顔で机の前に立っていた。 「本当か？」 「何が？」 「さっきの」 「だから何が？」 「肺ガンで死ぬって」 「へ？・・・本気にしたの？年に十本吸うか吸わないかの人間が、煙草が原因の肺ガンで死ぬわけないだろ？それにその検診結果、去年の日付だろ」 「・・・嘘・・・？」 公用で外出しようとしていた翡翠の元に、たたた、と軽い足音がしたかと思うと、いきなりがしっと手首を掴まれた。このパターンは孔雀か、と思ったら、意外にも近所に店を構えるカクテルバーの主人、志野が酒屋のエプロンをつけて半分涙ぐんだような瞳で翡翠を見つめていた。 「し、志野さん、どうしました？」 「お願いです、翡翠さん、あんまり孔雀さんを刺激しないで下さい、私が殺されます」 「な、何のことですか」 「この間のエイプリル・フールに孔雀さんを騙したそうですね？」 「え？えーっと・・・」 「肺ガンがどうとか」 「・・・ああ、そういえば」 翡翠にとっては記憶にも残らない、いつもの下らない会話のつもり、だった。 「あの後、孔雀さんが怒って怒って、他のお客さんが怖がって入って下さらなかったんですよう」 「え？でも、そんな真剣な話じゃ・・・」 「翡翠さんにとっては小さな嘘でも、孔雀さんにとっては大分衝撃だったんじゃないんですか？詳しい話はとてもじゃありませんが怖くて訊けませんでしたけど」 小さな嘘。 翡翠が殆ど、全くと言っていいほど煙草を吸わないのは孔雀も確かに知っているし、孔雀が知っていることも翡翠は知っている。だから、煙草が原因の肺ガンで死ぬ可能性があるなどという下らない嘘を、誰かが信じるなどとは夢にも思わなかったのだ。 本当に、本当に、小さな嘘。 下らない嘘。 「・・・すみませんでした、あなたにも随分ご迷惑をおかけしてしまったようですね」 「いえ、まあ、それもですけど、孔雀さんが随分怒っていらっしゃったから、それがちょっと心配で」 「また今度顔を合わせる機会があれば、私から謝っておきます。申し訳ありませんでした」 「いえいえ、とんでもない、こちらこそお仕事のお邪魔をしてしまって」 飛んだ迷惑をかけられたのは志野なのだが、人のよい主人はどうやら話が通ったことを悟ると笑顔を浮かべて会釈し、台車を押して『法廷』庁舎へ入っていった。 「・・・ごめんね、孔雀」 自分が自分の命の重を大事にしていないだのなんだのというのは言い訳にすらならない。 誰のものにせよ、命のことで、人をからかった罪の重さを思い知って、翡翠はぽつりと呟くのだった。 |