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近頃、よく眠れない。 眠ろうとしても、なかなか眠れない。疲れがとれないような気がする。 『法廷』専属の医師は眉を潜め、厳かに言った。 「神経が衰弱しているようです。酷くなる前に、病気になってしまう前に、静養をしなければなりません」 「しかし、静養をしているヒマなど・・・」 「少しの間動けないのと、とてつもなく長い間、動けなくなるのと、どちらがマシだと思われますか？」 かくして。 翡翠は「まずは一ヶ月」の静養をとることを命じられ、かつてお世話になった療養所へと向かうこととなった。 「俺はどうなるんだよ」 治安『判事』の代行が立てられ、孔雀がまた『ガーディアン』統括官を命じられた。それはいいのだが、療養所まで孔雀が押し掛ければ、静養、しかも精神的な静養になどならないではないか・・・と思いつつも、何故か孔雀の顔をみることでほっとしている自分の心がイヤで、翡翠は眉間に皺を寄せて見せた。 「今まで通り、君は『法廷』食堂で食事ができるように手配してきたけど？」 孔雀は鷹揚に頷き、それから、言った。 「お前はどうなるんだ」 それを先に訊けよ。 まあ別に期待もしてないけどさ。翡翠は内心で呟いた。 「僕は病気休暇だから、給与はいつも通り出るよ」 「ふーん、そうか。よかったな」 「え・・・ああ、うん、ありがとう」 椅子に座って足をぶらぶらと揺らしている孔雀の表情が心なしか穏やかになったような気がするのは、気のせいか。うん、きっと気のせいだ。気のせい、ということにしておこう。 「・・・お前さ」 「なに？」 「体の具合、悪いのか？」 「えっと・・・寝付きが悪いとか、よく眠れないとか、疲れがとれない気がするとか、そういう症状はあるんだけど、別にどこが悪いとか、そういうのは・・・」 「じゃあ、出歩いたりとか、そういうのは平気なのか？」 「うん、あんまり無理はしちゃいけないって言われてるし、したくないと思ったら無理に体を動かそうとしたりするな、とは言われてるけど、やる気があったら散歩とかはして良いって言われてる」 「そっか」 孔雀はまだ足をぶらぶらと揺らしながら足下を見ていたが、不意に顔を上げた。 「じゃあ、ガザの月でも見に行くか？」 「ガザの月・・・確か、緑色に見えるんだよね？」 「うん、お前の目の色とそっくりの、綺麗な月だ」 いつか行こうって言ったままだもんな、と呟く孔雀。 「ただし、ガザは死の砂漠だ。見渡す限り砂しかない」 「サバンナみたいに、草があったり、木が生えていたりはしないの？」 孔雀は黙って首を振った。 「オアシスとオアシスの間も、とてつもなく遠い。少し方向を間違えれば、死ぬ」 だから、ガザ砂漠は「死の砂漠」と呼ばれている。定期的にガザに入る巡礼の一団も居るが、概して、彼らは信仰のため、死を選んで砂漠へ入る道を選ぶ。もしもガザで死ななければ、それは「まだその時期ではない」ということなのだという。 神聖なる死の砂漠、ガザ。 テレビスタッフが何度か、ガザ特有の緑の月をカメラに収めようとガザ入りしているが、いずれも成功していない。砂嵐や蜃気楼、諸々の気象条件のせいで、必ずガザ砂漠に居れば見られる、というものでもないらしい。 その緑の月を見たことがある、という孔雀。 一体どんな理由でガザの砂漠に入り、緑の月をその瞳に映し、そして、またオサカへ戻って来たのか。 「・・・ちょっと、ガザの砂漠を歩くのは、今の僕の体力じゃ無理かな」 「そっか」 落胆した様子もなく頷いた孔雀は、こくんと頷くと、翡翠を見上げた。 「じゃあまた、次の機会にな」 「・・・うん。必ず」 翡翠には見たことのない、想像もつかない緑の月、ガザの砂漠。 ただ、時々、孔雀が何とも言えない表情で翡翠の目を見つめていることがある。そんなとき、翡翠は孔雀が自分を見ているのではなく、瞳を通して何か別のものを見ているのだろうと思う。 孔雀の表情の、意味が知りたい。 意味などわからなくとも、同じ経験を共有してみたい。 翡翠がそっと孔雀の手に触れて「約束だよ」というと、孔雀はこっくりと頷いて見せた。 |