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「なあ、お前さ」 いきなり扉が開いた。今まさに「礼」の一言が放たれようとしていた瞬間、である。神聖なる審判『法廷』の、しかも閉廷の瞬間に間の抜けた呼びかけがなされたのだ。普通ならばその闖入者が責められてしかるべきなのだが、何分相手が悪かった。一斉に、即死しても不思議ではなかった程の鋭く射すような視線を浴びて、翡翠は内心で冷静に、と自分へ呼びかけていた。 「いきなり扉を開けるんじゃない！」 「トイレじゃ」 第三号審判『法廷』に居合わせた人々は、華奢でか細く見えた翡翠の腕が厚み十センチはありそうな法学書を投げつけるという奇跡的な場面を目撃することが出来た。 「うわっ、こんなでっかい本投げんなよ！」 「うるさい！君こそ避けるな！」 「お前、『判事』の癖にそんな凶暴で良いのか！」 「君こそ四十過ぎの癖に、そんな礼儀知らずで良いと思っているのか！」 「失礼な、俺はまだ四十になったばっかだ！」 そこで、ふと孔雀は目の前に居た審判『判事』に目をやった。 「なあ、まだやってんのか？」 「え？」 「まだ裁判やってんの？」 「あの」『冥王』に話しかけられているだけで、「往年の恐怖」に晒されている『判事』たちを笑うことは出来ないだろう。たとえ、今現在の孔雀がクソガキであり、クソオヤジであるとしても、だ。 「終りだよ・・・」 ウンザリとしながら翡翠が代わりに答えると、孔雀は偉そうに鼻を鳴らした。 「なんでぇ、もう終わったんならいちいち怒んなくてもいーだろ」 「正式に終わる前だったんだ！」 「じゃあ早く終われよ」 お前にだけは言われたくない。 その場の空気からそんな声が響いてきそうな程、重い空気がのしかかったが、もちろん孔雀はそんなものに頓着するような人間ではない。これ以上不機嫌な顔は出来ない、と言わんばかりの審判『判事』のぶっきらぼうな閉廷宣言に、孔雀は安心したような表情で廷内へ入ってきた。 「なあ、お前さ」 「話は外で聞くよ」 自分の失敗でもないのに、睨み殺されそうなほどの視線を浴びせられるのは本意ではない。翡翠は無理矢理孔雀を審判『法廷』から連れ出し、周りに誰も居なくなったのを確かめてから言った。 「で、用事は何なんだい」 「・・・なんだっけ？」 「・・・孔雀・・・」 「だってしょうがねえだろ、お前らがもったいぶってなかなか中へ入れてくんなかったんだから」 「別にもったいぶって見せたわけじゃ」 「じゃあ何だよ？」 混乱を避けるためとか。 被告は有罪が確定するまではあくまでも容疑者であり、その人権は守られるべきなのだ、とか。 そもそもノックくらいしろよ、とか。 その程度のことで忘れる程度のつまらない用事で、わざわざ審判『判事』に睨まれるようなことをするな、とか。 ・・・そんなことは何故か、どうでも良いつまらない、くだらないことのような気がしてくるから不思議だ。この調子では、『判事』とは名ばかりの、横暴で冷酷無比で残虐で人権など蹂躙し尽すような悪逆な人間になりそうで、少しだけ恐怖を覚える翡翠だった。 「何でだろうねえ・・・」 「あーそういやお前、メシ喰った？」 「はいはい、僕のお金で君に奢っていただきますとも」 「『法廷』食堂のおばちゃんって料理上手いよなー！大体こういうところの飯ってまずいって相場が決まってるのにな！」 「そうだね・・・って孔雀、君、どうしてノックしないの？」 「トイレじゃしてるけど」 いつもの孔雀の答えだが、翡翠は知っている。『大法廷』や他の場所へ行くとき、孔雀が案外礼儀正しい振る舞いをしていることを。治安『法廷』へ入るときだけの悪癖なのかと諦めていたのだが、どうやら「治安『法廷』」に意味があるのではなく、翡翠がそこに居るか居ないかということの方に意味があるように思えてならない。 「僕の居るところではノックする気になれない？」 「心配するな、トイレはちゃんとノックしてやる」 「・・・嬉しいよ、ありがとう・・・」 |