|
「最近、麻薬が大量に流れてるらしいから、君も気をつけてね」 「・・・」 孔雀は千歳をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。 「何に？」 「ほら、誘惑が多いから」 「あのな。お前が言ってんのはどうせベータ・ゾーンの話だろ」 かつてはベータ・ゾーンで『冥王』の二つ名で恐れられた、伝説の殺人鬼、孔雀。今はパラレル・ワールドのアルファ・ゾーンのしがないフリーアルバイターである。ファーストフードのドリンクについているストローを銜えて、肩を竦めた。 「俺はベータ・ゾーンの金は持ってねえよ」 「両替できるじゃないか」 「・・・ヤク買えるほどの金はないの！」 途端にびしっ、と壁が弾けた。周囲の人間は千歳も含めて、さっと姿勢を低くしたが、孔雀は詰まらなさそうにそちらへ視線をやっただけだった。 「なあ、早く帰ってメシ喰おうぜ」 「この状態が見てわからないのか！」 千歳が答えるより早く、機動隊員が怒鳴った。『ガーディアン』だから、と現場へ入れた千歳も千歳だが、たまたま通りすがったから、といってムシャムシャとファーストフードを頬張りながら乗り込んでくる孔雀も孔雀だ。物見遊山のつもりで最前線へ出てこられてはいい迷惑である。 「どーせ立て篭もってんのはヤク中のチンピラだろ？いずれヤクが切れて、我慢できなくなって出てくらぁな」 「人質が居るんだよ。それまで待っていたら、絶対に傷つけられてしまう」 「んじゃそうなる前に殺せばいいじゃん」 「簡単に言わないでくれよ。そんな無理が通るはずないだろ」 「面倒くせぇんだなあ」 「君が面倒くさがりなだけだよ」 孔雀は溜息をついた。ちらりと時計に目をやると、隣に居た先ほどの機動隊員に言った。 「立て篭もってからどれくらい経つんだ？」 「・・・そうだな、二時間というところだ」 「ふーん。そのチンピラを殺さずにとっ捕まえて、人質も無事に済めば、帰れるんだな？」 「ま、まあそうだな」 「じゃ、俺がそれをやったら、帰ってメシ食わせてくれる？」 「・・・君、さっき食べてたじゃないか」 「あんなんで足りるか」 あっさりと言い切る孔雀に、千歳は苦笑した。孔雀の言う「あんなん」は、優に三人前くらいはあったからだ。だが、孔雀の大食いは今に始まったことではない。膠着状態に陥りかけている現状を打破するためには、そろそろ何か行動を起こさなければならない、と誰しもが考えていたところだ。 「絶対に、誰も殺さない？」 「うん」 「上限は二千円までだよ？」 「ケチだな、お前」 「給料日前の二千円は破格の待遇だと思ってよ！」 孔雀は少し考える風だったが、すぐにこっくりと頷いた。 「わかった、それで手ぇ打とう。じゃ、何かヤクくれ」 「・・・何に使うんだ」 「見せるだけだよ。小麦粉でもいいけど？」 「砂糖ならあるけど」 「何でもいいって。どうせチラッと見せるだけなんだから」 孔雀は小さな袋に詰めた砂糖を受け取ると、無造作に機動隊の囲みをすり抜けて出た。 「おーい」 「な、何だ、お前は？！」 「たまたま通りかかったんだけど。お前にヤクやろうと思って」 「何だと？」 「そろそろ切れる頃なんだろ？コイツで一息つけば？」 相当に怪しい申し出だ。これを素直に信じるくらいなら、ここまで事態がこじれることもないはずだ。当然のように信じようとしないチンピラに向かって、孔雀は小袋を振った。 「要らないのか？コレ一つで、飛んでるような気分になれるんだぜ？」 「う・・・」 「要らないなら俺が使っちゃおうかなー自分でさー」 ひらひらと振られる小袋。逡巡するチンピラに、孔雀は背を向けようとした。 「要らないのか、じゃ俺が使おうっと」 「ま、待てよ！持ってこい！」 「良いよ。お前も出て来いよ」 恐れ気もなくすたすたと近づいていく孔雀。立て篭もっている家の中から手を伸ばそうとした男に、孔雀は首を振った。 「出て来いって。絶対撃ったりしないから。そう約束させてるから」 「し、しかし」 「でないとコレ、やらないぞ」 中毒というものは恐ろしい。男はいつしか自分が置かれている状況も忘れて、必死に手を伸ばしていた。あと少しで手が届きそうなところで、すいとクスリが退かれる。じりじりと建物から体が出てきたとき・・・孔雀の手が、男の手首を掴んだ。 「そーれ！」 「うわっ、何しやが・・・、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・！」 手首を掴み、建物から引きずり出して終わり、・・・かと思われた孔雀の行動は、それだけでは済まなかった。勢い良く引きずり出された反動で転びかけた男の両足首を掴むと、ぐるぐると振り回し始めたのだ。見ているだけで目が回りそうなほど、何度も何度も振り回された男は、最後のほうには悲鳴すら出せなかったようだった。 「もう良いかな？」 振り回した勢いをつけたまま放り出さなかったのは、孔雀の心遣い・・・というよりは、単に、ヘタに怪我をさせればそれを口実にされて食事にありつけなくなるのがイヤだっただけだろう。それでも、多少手荒に地面へ投げ出された男は、口も利けずにのた打ち回っていた。 「どーだ？ぐるぐる目ぇ回って、まるで空飛んでるみたいな気分だろ？」 「・・・なんか、サギみたいだ・・・」 思わず機動隊員たちが呟いたほど、男の「酔い」は酷かった。確かにあれだけ情け容赦なく小荷物のように振り回されたら、目も回るだろう。 「何でサギなんだよ！お前もやってやるよ、ほんとに空飛んでるみたいな気分になるんだから！」 「いや、良いって！」 「遠慮すんな、俺は優しいからな！」 「いやいやっ、確かに君の言うとおりだ！」 「飛んでる気分になるよね？」 「なるなる！」 先を争うように孔雀のいうことを肯定する隊員たち。いつの間にやら、男が口の端から吐瀉物を垂れ流している。千歳はぐったりと伸びた男を同情の目で眺めながら、ぼんやりと考えていた。 これは「飛んでいる気分」ではなく、「死に掛けている気分」なのではなかろうか、と。 |