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「悔しいだろう？」 スプーンをくわえたまま顔を上げると、目の前に誰かが立っていた。だが、逆光で顔がよく見えない。孔雀は辺りを見回し、その人間が話しかけている相手が自分であるとしか考えられない、と知って首を傾げた。 「いきなり言われてもな」 「俺を忘れたかい？『冥王』はそんなに忘れっぽかったかい？」 失礼、と気障に断って目の前の席に座り、注文を取りに来たウェイトレスに「ホット」と短く頼み、追い払うようにした男は濃いサングラスを外して顔を見せた。 「俺だよ、『冥王』。来栖だ」 「あー、お前か。あ、おねーさん、アイスクリームもう一個おかわり」 来栖。 ヤミでは「情報屋の来栖」として、彼にかかれば手に入れられない、逆に消却してしまえない情報は何一つない、と恐れられている男。彼に並ぶ情報屋は居ないだろう、とまで言われている程の男だ。 来栖は目の前に運ばれてきたコーヒーには手も着けず、孔雀にもう一度、言った。 「悔しいだろう、『冥王』？」 「悔しい？俺が・・・？」 孔雀はよく考えてみた。 確かに、悔しいことは色々あった。 何回か利用した某有名ホテルのケーキバイキングから閉め出された、とか。甘いもの好きのくせに、女の子から絶大な支持をうけている店へパフェを食べに行こうと誘ったら、最近はパフェを見ると気分が悪くなるから勘弁してくれ、と逃げたカクテルバーの主人とか。いくら何でも食べすぎだ、もう少し遠慮してみせるくらいのことをしろ、と言うから十万も二十万も一緒だろ、と言い返したらバカヤロウ何が一緒なものかと怒鳴り返してきた治安『判事』とか。 「・・・わかんね。俺が何を悔しがるんだ？」 「キャット・テールに出し抜かれたそうじゃないか？」 「何を？」 「月華蒼焔刀」 「ああ、いま治安『法廷』に預けてあるけど」 本当は、「押しつけてある」が正しいのだが、孔雀はあくまでも「預けてある」と思っている。 「アンタ、自分の魂に愛着はないのか？もしキャットが返して来なければ、アンタの元に戻っては来なかっただろう」 呆れたように来栖が言ったが、孔雀は肩をすくめた。 「まあ使いやすいし、愛着がないわけじゃないけどさ、魂ったって、手元になきゃ死ぬわけでもないし」 「だが、あれはアンタにしか使いこなせない。他の人間が使えば、必ず狂う・・・アンタの魂としか言いようがないじゃないか」 「だからだよ」 新しく運ばれてきたアイスクリームにスプーンを突っ込んだ孔雀は、静かに笑った。 それは、『ガーディアン』の孔雀ではなく、『冥王』の笑み。 「俺しか使えない。俺にはそれで十分だ」 「だが、へし折ることも、転売することも、キャットには可能だった」 「アレに手を出すことは誰にもできないよ。お前はあの刀を誰が打ったと思っている？」 「・・・」 「狂人が狂人のために打った刀だ。手出しは出来ないし、良いところ転売が関の山だな」 「いつかはアンタの手に戻ってくる、と？」 「使えない、必ず狂って死ぬ刀を誰が欲しい？」 「・・・物好きの富豪にでも売れば良いだろう。そういったモノを好む輩は案外多いぞ」 「俺の手に戻ってくるさ」 それでも。 ただ飾るだけでも、妖刀は、かりそめの持ち主を嫌う。本来の主人、『冥王』の血肉と魂を慕って、必ず何らかの悲劇をもたらすだろう。 あれは、そういう刀なのだ。 「キャットには感謝してるよ、何しろどこへしまい込んだか、二十年の昔のことだから、忘れちまってたしな」 孔雀は笑うと、立ち上がって姿を消した。 伝票を、残したまま。 「・・・アイスクリーム十杯？あいつ、どういう胃袋を持ってやがるんだ」 しかもその支払いは、俺かよ。 来栖はむすっとして自分のホットコーヒーの伝票と重ねた。 悔しい思いをさせられたのは、自分だけだったらしい。 |