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春菜は周囲を見回し、咄嗟に叫んでいた。 「触らないで！」 「へっ、騒いだって誰も来ないぜ」 そんなことは、わかっていた。 仲の良い友達との食事、ちょっとした散歩。「男の人も一緒だから大丈夫よ」その台詞に暢気すぎる、と何故反対できなかったのか。ただ反対するだけでなく、思いとどまらせることが出来なかったのは？夜の街に危険が溢れていることくらい、誰でも知っている。ましてや春菜は『法廷』事務官だ。油断が死に繋がるケースをいくつも見てきた。 なのに、これは一体どうしたことなのだ。 後悔に唇を噛み、春菜はもう一度視線を走らせた。 十メートル以上向こうに倒れているのが、友人の恋人。その間に立つ三人の男たち。そして、背後に庇った友人。・・・この位置関係なら、いける。 「・・・走れる？」 友人は蒼白な顔で小さく首を振った。足が竦んでいるのだろう。春菜は引きつりそうな顔を無理に笑顔へ変えた。 「走って。お願いだから」 「姉ちゃん、無駄だぜ、逃げられねえよ」 男が笑う。春菜はバッグから小さな箱を二つ、取り出して見せた。 「逃げられるとは思っていないわよ。・・・これ、何かわかるわよね？」 黒い箱に、紅いシール。小学生でも知っている、「引火性物質取扱注意」シール。 「そんな脅しが効くと思って・・・」 嘲笑いかけた男を無視して、春菜は小さな箱の方を横手へ放り投げた。 ・・・ズドン！ 腹に響く爆発音と、ぱらぱらと降りかかってくる黒い粉。爆風によって漂ってくる火薬臭・・・男たちと友人は、顔面蒼白になった。だが、春菜の顔も、同様に蒼白だった。 これを使っても、春菜は助からないからだ。 「は・・・ハッタリだろ！どうせさっきのだけが本物で、お前がいま持っているのはダミーに違いない・・・」 「残念ながら、こっちが本物なのよ」 春菜はすっと箱をかざして見せた。 「伊達に『法廷』事務官なんてやっていないのよ。『法廷』は犯罪集団に負けるわけにはいかない・・・覚悟はとっくにさせられているわ」 たとえ自爆してでも、『法廷』は中立であらねばならない。どんなことがあっても、『法廷』は中立であり続ける。たとえ職員が犠牲になろうとも。どんな犯罪集団よりも非人間的な場所、それが『法廷』。 じりっ、と春菜の包囲を狭めようとした男に向かって、春菜は言った。 「無駄よ！これはスイッチや振動ではなく、精神感応式になっているわ」 たとえスイッチを押す暇がなくても、手から叩き落とされても、取り上げられても、起爆するように仕掛けられている。最先端の技術を駆使した、自爆装置だった。 「・・・早く行って」 「で、でも、春菜・・・！」 「いいから！私と心中したいの？！」 死ぬ覚悟でなければ、助けられないなんて・・・なんて無力な自分。 「行きなさい！」 「でも・・・！」 「無駄死にはしたくないの！お願い・・・！」 こんなところで死にたくない。 こんなところで彼女を死なせたくない こんなところで・・・死にたくなかった・・・！ 友人が走り去った。悲鳴を上げながら、助けを求めながら。友人を助けて、と泣き叫びながら。 彼女を追おうとする男、それに向かって箱を投げ出そうとする春菜、・・・次の瞬間、どんな爆弾よりも大きな衝撃がその場を襲った。 「きゃぁっ・・・？！」 「な、何だ？！」 半径五メートルの範囲を綺麗に跡形もなく吹き飛ばすはずの爆弾が、凄まじい音を立てて燃えたのだ。耳をつんざく破裂音、わずかの爆風・・・まるで爆破の力のない弱い波動だったが、直立したままではいられなかった。思わずよろめいた春菜の背を、誰かが支えてくれた。 「そこで待ってろ」 「く、孔雀・・・？」 すぐ傍をすり抜けた孔雀の手に、蒼い焔がまとわりついていた。初めて目にする、畏界の焔、『火焔呪』。 心の底では春菜の脅しだと思っていた爆弾が本当に破裂したことで恐慌を来たしていた男たちは、孔雀の相手ではなかった。火焔呪など使うまでもなく、孔雀の鋭い蹴りと腕の一薙ぎで、次々と倒れていく。顎を砕かれ、手足を複雑に折り曲げられてた男たちが地に這い、苦痛に呻いている。 男たちをほんのわずかの時間で倒してしまった孔雀が春菜に視線を向けた時、春菜は恐ろしさに身動きも、声すら出すことができなかった。 なんと鋭く、恐ろしい瞳。濃蒼に強く輝く瞳はまるで肉食獣のよう。 これが、『冥王』なのか。これが、本当の、孔雀の姿・・・いや、これはまだ「本当の」などと言うことすら出来ない。孔雀にすれば、ほんの少し運動してみた程度のはずだ。孔雀が本気で相手を殺そうとしたら・・・『ガーディアン』として、誰かを処刑しようとしたら・・・『冥王』として、殺人衝動に身を任せたら。 孔雀は春菜の足元に落ちていたバッグを拾って、ぽん、と汚れを叩いた。 「ほれ」 「あ・・・」 声が、出ない。 怖い。 色つき雀、などと呼んでいた相手は、強く、恐ろしい『冥王』、孔雀。今更のように感じる恐怖に呪縛されていた。 「・・・財布、もらっていーのか？」 小首を傾げて春菜を見つめる少年。殆ど視線の変わらない、小柄で華奢な孔雀。大きな瞳はいつもの、あの、孔雀。 「・・・そんなわけ、ないでしょっ！」 かすれた声ではあったけれど、何とか声が出た。震える手でバッグを受け取ると、孔雀はにやりと笑った。 「ちぇ、ケチ」 孔雀は気付いている。春菜が『冥王』に怯えていることを。男たちに乱暴されそうになっていたことなど、自爆しなければならない恐怖に震えたことなど、何でもないことなのだと思わせるほどの恐怖心を抱いていることを。 「まあいーや、お前助けたから葉っぱに小遣いもらえるからな」 「え？・・・」 「お前、起爆装置を入れてから逃げ回ってただろ。『法廷』にその信号が届いてたんだとよ」 「でも、それとどういう関係があるの」 「葉っぱが、カネならやるから助けて来いって俺に言ったんだ」 それは事実だろう。若葉はとても優しい人間だ。春菜が・・・誰かが起爆装置を必要とした時点で、何とか助けたいと思う、そんな人間だ。 「お前だったらいくらぐらいが相場かなー。ハルサイなんか助けたって、大してもらえねーだろうなー」 「失礼ねっ・・・」 助けることに理由が必要だったのは、孔雀だ。そして、助けられることに理由が必要だったのは、春菜。『法廷』事務官として、軽率な行動をとってしまった。責められこそすれ、同情してもらえる余地などない。 ・・・そのはず、だった。 孔雀はふいと視線を外し、春菜の手を取った。そのまま、すたすたと歩き出したが、決して春菜が連いていけないほどの速さではなかった。 「・・・お前さ」 孔雀は振り返らない。いつもに似合わず、泣いてしまった春菜を見ないでいてくれる。 「仕事終わるの、いつも遅いのか」 「・・・うん」 「八時とか、九時とかか？」 「もっと・・・遅い日もある」 「ふーん。ノー残業デーとか、ねーのかよ？」 「水曜日・・・」 孔雀は春菜の手を引いている手を、ほんの少しだけ強く握った。 大きくはないけれど、暖かい、手。 「お前、護身術習ったか？」 「研修で、習ったけど」 「じゃ、水曜日空けとけ。手前の身は手前で守れる程度にしてやる」 少しだけ、孔雀は振り返った。その瞳は何故か、少し怒っているように見えた。 「自爆なんて阿呆のすることだ」 あんたには、言われたくないわよ。 いつもの春菜と孔雀なら、そんな会話になっただろう。 「・・・ありがと」 「・・・ふん」 全くもって、いつもの孔雀らしくない。 でも、これが、本当の孔雀、なのかもしれない。 孔雀の手をそっと握り返すと、もう一度、孔雀が振り返った。 少しだけ、笑っている・・・気が、した。 |