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いつもは誰も来ない家。 調香師という仕事柄、いつも何かの香りが漂っているが、それもなるべくすぐに外へ出してしまうようにしている。静まり返った空気に響くのは、僅かに触れる器の音だけ。香料の自然な色以外は殆ど彩りもない家は、音も匂いも、色でさえもが息を潜めているかのようだった。 だが、不意に空気が動き、ちりりん、と古風な呼び鈴が来客の登場を告げた。 「遅なってすまんなー」 にっかり微笑んだ、金髪の青年------ユタが手に提げていた袋を差し出した。 「いや、それほどでもない」 「それ、冷凍庫入れといて、アイスやねん」 頷いて荷物を受け取り、勝手へ入っていく砂翁の後ろをついていくユタ。 いつもは輝く金の髪を晒したままだが、今日は白と黒の民芸風のショールで半分以上を覆い隠している。細い組紐で装飾された被衣は今、街中で若者に大流行の最先端をいくファッションと酷似していたが、それがただの「おしゃれ」ではないことを知っている人間は、今ではもう本の数人を除いては存在しない。 「お湯沸いとる？」 「ああ」 保温ポットに保存していた湯をもう一度やかんに入れ、沸かし直すユタ。ティーポットへ持参してきた茶葉を入れ、すぐに再沸騰した湯を注ぐと、ほんのりと甘い香りが僅かに広がった。 「これは・・・」 「梅の花びらを一緒に発酵させたんや。アルファ・ゾーンの梅はうまくいかんかったけど、ベータ・ゾーンので試してみたら何とか出来たわ」 用意されたカップは、三客。 一つは砂翁、一つはユタ、そして最後の一つは------ 「・・・何年目や？」 「もう、十年になる」 「ふーん」 「君は」 「似たようなモンやけど、もうちょっと前や。十五年やな」 「早いものだ」 「せやな」 ごそごそと包みを広げ、クッキングペーパーを外してパンケーキを切り分ける。 「おー、ええ感じに焼けとる」 生地に練り込まれた紅白の梅の花びらが美しく散っている。上品な甘い香りは、咲き誇る梅林の風景を鮮やかに思い起こさせた。 「俺も拝ませてもろてエエかな」 何よりもまず神棚へ、ケーキと紅茶を運ぶ。砂翁は燈明を上げながら頷いて見せた。 「是非。彼らも喜んでくれるだろう」 「えーと。アンタんとこは柏手叩いてええねんな」 「ああ」 神妙に手を合わせるユタの隣でじっと神棚に向かう砂翁。しばらくしてから、ユタが振り向いて笑った。 「今度は俺らが喰おや」 「そうだな」 テーブルにつき、さっくりと焼き上がったケーキを口へ運ぶと、上品な梅の香りがする。甘く、ふわりと漂う香り。砂翁はカップを手に取った。 「・・・あれが生きていた頃のことを思い出すよ」 「そーか。苦労した甲斐あったわ」 「ありがとう。」 「ええねん。・・・俺も、こっちへ来たかったしな」 『ガーディアン』は移界能力のあるもの、ないもの、様々だが、みだりに界を移ることは禁じられている。『ガーディアン』同士の接触は尚更である。ユタがアルファ・ゾーンからベータ・ゾーンへ移界出来たのも、砂翁からの「出前」の要請があったからだ。 特に、ユタが今日のこの日にベータ・ゾーンへ来ることは、砂翁からの要請がなければ到底許されなかっただろう。 砂翁の妻の命日と、由族がユタ一人を残して全滅した、日。 「・・・このアイスクリームは酸っぱすぎるんじゃないか」 「ごめん、俺、間違うて梅干し入れてもてん」 「・・・」 「し、しょっぱいアイスよりエエやろ？な？な？」 大切な人間を亡くした者同士が二人、故人を偲ぶにはいささか騒々しいようだが、・・・それでも、確実に、時は穏やかに過ぎていく。 「次は何がええかなー」 「・・・酸っぱくないアイスクリーム」 「・・・意外に根に持つジジイやな」 |