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顛末書というものは、普通、まっとうに働いていればそうお目にかかるものではない。一歩譲って「始末書」クラスならばちょくちょく書いている、という巡察官は居ても、「顛末書を二回書きました」という巡察官は居ないだろう。 巡察官にとって、「顛末書」は不渡小切手と同等、下手をすればそれ以上に恐れられているものなのである。 千歳は、目の前に広がる血の海を見つめていた。正確には、犠牲者の血に塗れて転がっている射殺死体を、である。 ＜本部よりラッサ９号へ＞ ＜シェスト３号より本部へ＞ 周囲では後始末に奔走する警邏巡察官や鑑識課員が蠢いていた。 そんな中で、千歳だけが、まるで時間が止まってしまったかのように、身動きもせずにモノとなった男を眺めていた。その目には、およそどんな種類の感情も、認められなかった。 「千歳巡察官、何発発射しましたか」 制服を着用した巡察監理官に尋ねられても、千歳は黙って首を振っただけだった。 「・・・覚えていないということでよろしいですか」 覚えているわけがない。 何発、銃弾を発射したか数えていられるような余裕のある状態であれば、そもそもこんな街中で発砲などしない。切羽詰った状態だったからこそ、リスクと緊急性を秤にかけ、射殺することを選んだのだ。 「うわ、ひでぇな、こりゃ」 遺体を収容しに出動して来た鑑識課員が声を上げた。 「一斉射撃でもしたのかよ？」 彼らが覗き込んでいる部分に本来あるべきはずのものが、欠けていた。ぽっかりと欠けた頭部の大半に、わずかに顎だったと思しきものがかろうじて着いている。胴体に目を移せば、上半身と下半身が腹部で千切れそうになっている。右腕はとっくに吹き飛ばされて、五メートル離れたところへぽつんと置き去りにされていた。 「全く・・・」 これだから、超界巡察官は。 さすがに続きを口にすることが出来ずに口をつぐんだ鑑識課員たちを咎めることは、千歳には出来ない。実際、超界巡察官の射殺率は内界巡察官よりも大きい。発砲率は内界巡察官の方が大きいのだが、彼らは生かして捕らえる術を心得ている。それに対して、超界巡察官------千歳たちは射殺してしまうことが圧倒的に多い。異世界へ跳んだ犯罪者を追うという任務の性格にもよるが、追う対象の犯罪者たちの凶暴性が高いことが一番の原因だ。 異世界へ逃げ込んでまでも逃亡を続けようとする犯罪者たちの心理状態は、極限にまで追い詰められている。超界先の人間たちを傷つけないように、一刻も早く彼らを捕らえることが超界巡察官の使命なのだが、実際のところは、移界先の人々を傷つけないようにすることだけで手一杯だ。今更「おとなしく逮捕されろ」と言ってみたところできくはずもない。勢い、射殺する以外になくなってしまうのだ。 「しかし、荒っぽいな・・・」 鑑識課員の呟きは、誰に向けられたものだったか。 元は人間だったとすぐには認識されないほど破壊された犯罪者の傍らには、形こそ保っているものの、どす黒い血に塗れてやはりそれが人間だったものだとはにわかに信じがたい状態の被害者たちの死体が転がっていた。 無辜の犠牲者を悼むものだったのか。 ここまで傷つけられることはなかったのだと、暗に千歳を責める言葉だったのか。 「空港の片割れ」 凛とした声が響いた。 「・・・係長」 人事課係長、揚羽が厳しい目で千歳を睨んでいた。私服だったので一瞬戸惑ったが、千歳はかろうじて声を出した。 週末は内勤巡察官たちは交代で休暇を取っている。まして揚羽は巡察監理官、幹部クラスの人間だ。制服組は週末は余程のことがない限りはもともと非番日に当たっている。私服で街を歩いていたとしても、おかしくはない。 「こんなところで何をしている」 「出動がかかったのです」 「そんなことは見ればわかる。今何をしているのだと訊いている」 「・・・顛末書作成のための調書を」 「お前はバカか」 間髪入れず決め付け、揚羽はますます厳しい目で千歳を睨みつけた。 こんな小物を相手に火気を乱用し、周辺に居た巡察官や機動隊、果ては一般市民までもを危険に晒した・・・その失態を断罪するための、顛末書。当然、人事課の手を煩わせ、多大な労力と時間を費やしてしまう。報告書とは違って、本来ならば作られるはずのない、弾劾文書。 「・・・申し訳ありません」 千歳は自分に出来ることはした。最悪の状況から、選びうる最高の選択をした。 だが、それでも・・・犠牲者は救えず、容疑者は射殺してしまった。 ・・・結果は、最悪だった。 「誰がお前に謝れと言った」 「え」 「何をしている、さっさと脱がないか」 「え、あの・・・」 「お前は無傷でも容疑者を射殺してしまうような能無しではないだろう。さっさと脱げ」 揚羽が指差したのは、千歳の右腕------利き腕だった。 「いえ、でも、あの・・・」 脱げと言われてハイ仰せの通りに、と行くものではない。周囲を取り巻いている野次馬たちはまだまだ大勢いたし、何より揚羽は女性だ。邪な気持ちがあってのことではないとはいえ、素直に従うには羞恥心や遠慮が働いてしまう。 果たして。 「グズグズ言うな！十九や二十歳の小娘ではあるまいに、見られて減るようなモノでもついているのか！」 「あの、いえ、」 「とっとと脱げ！男なら見せてみろ！！」 ・・・どこか、おかしな理屈だとは思ったのだが、・・・直属の上司や巡察部長よりも恐ろしい、本部勤務の人事係長にアタマから怒鳴りつけられて逆らえる巡察官は、この世に居ない。 「うわっ、千歳巡察官・・・！！」 擦り傷や切り傷を負った一般市民の手当てをしていた警察医が患者を放り出して駆け寄った程、千歳の傷は深かった。上着にべったりとこびりついた大量の血はすでに乾き始めているというのに、傷口からは未だに鮮血が流れ出している。酷い傷は右腕のものだけだったが、脇腹や左肩に二､三箇所傷を負っていた。 「一体いつ・・・！」 「かなり早い段階だ。あいつが二度目に銃を乱射した時だろう」 「・・・係長、どうしてそれを・・・」 「私もたまたま居合わせて、お前が出てくる少し前からずっと見ていた」 非番日、管轄外のこととはいえ、機動隊が出てくるほどの事件に、揚羽もそのまま知らん顔をして立ち去ることは出来なかったのだろう。だが、それにしても・・・。 「で、でも、包囲網のずっと外から、どうして」 「その後お前の動きが悪くなった。負傷したとしか思えなかった」 だから、射殺するしかなかった。 次々と傷つけられていく人質たち、追い詰められて凶暴化していく犯罪者。これ以上犠牲を出さないためには、・・・一刻も早く・・・・・・ 「顛末調書なんぞ作っている暇があれば、先に治療してやれ」 揚羽は巡察監理官が抱えたまま硬直していた顛末調書のファイルを掴むと、ばさりと路上へ放り出した。路面に広がった血の海に、みるみる紅く染められていく書類。上官に指摘されたことに全く気付けなかった監理官は、青ざめたり紅くなったりと、めまぐるしく顔色を変えていたが、揚羽はそんなことには頓着せず、言った。 「顛末書は必要ない。報告書のみ提出しろ」 「・・・はい」 先ほどとは打って変わって、親切にしてくれる警邏巡察官や警察医に囲まれていた千歳は、くるりと背を向けた揚羽に慌てて呼びかけた。 「あのっ、揚羽係長！」 「何だ」 「あの、どうして受傷箇所までおわかりになったのですか」 管理職である監理官たちも武道訓練は必修科目だが、それにしても、そんなところまで見破るとは、尋常ではない眼力だ。 「私にわかるわけないだろう」 「あれ？」 「どこか負傷したことはわかっても、どこを、ということまで、事務職の私にわかるわけがないだろう。とりあえず上半身を脱げと言ったまでだ」 「そ・・・そうだったんですか・・・」 なんだ。 ビビって尊敬して畏怖して、損をした。 そんな千歳の一瞬の感情を読み取ったのだろう。揚羽が眉を上げた。 「何か不服か。下を先に脱がせて欲しかったのか」 「いいいいいいえとととととんでもない」 慌てに慌ててぶんぶんと音がするほど勢いよく首を振る千歳に、ふん、と冷たい視線を投げつけて、揚羽は去っていった。 ・・・千歳の右腕の受傷よりも、首のむちうち様の症状の治癒に時間が掛かった、という不思議な事実の顛末を知っているのは、現場に居合わせたものだけであった。 |