|
まだ、死ねないのに。 生まれたばかりなのに。 目がかすむ。息が苦しい。穴が開いた腹が熱い。 死にたくない。 死にたくない。 私の可愛い子。 私の可愛い息子。 あの子を置いて・・・死にたく・・・な・・・い・・・・・・・・・ 「・・・ちーすけ、お前泣きすぎ」 「だ、だっで」 その映画のキャッチコピーに「涙が止められない」というものがあったが、千歳の泣き崩れようといったら、まさに「お前は一体バケツ何杯分泣くつもりだ」といいたくなるほどのものだった。 「だっで、びじづばざでづぎ」 「日本語でしゃべれー！」 大体、どうして自分は映画館なんかで、ビービー泣く千歳の隣に座っていたというのか。 「大体、なんで映画なんだよ？！今日は遊園地じゃなかったのか！」 「ぞうだんだでげど」 「四回転キリモミフライングジェットコースターに乗せてやるっていうから、俺は楽しみにしてたのに！」 およそヒトの乗る乗り物ではない、というのが大半の人間の意見の一致する、人呼んで「殺人ジェットコースター」の名を上げて、孔雀はぷんとむくれた。 「なんでソレがお涙頂戴の映画になるんだよ？！」 「ごめんってば」 ようやっと人並みの状態に戻った千歳が苦笑して言った。 「僕だってそのつもりだったんだけど、今日って休園日だったんだよね」 「それくらい前もって調べておけよ！そんなんだから振られてばっかりなんだ！」 「・・・そ、それ、酷すぎ・・・」 「お前、デートするときは映画見に行くのやめとけ」 「何で？」 「横でそんだけ泣かれたら、女が泣けねーだろ」 「あ、そっか、なるほど！」 真剣に頷いている千歳を見て、孔雀は溜息を吐いた。 「お前、涙腺ゆるいのか」 「え？ああ、いや、それほどでもないんだけどね」 「ウソ吐け」 「ホントだってば。・・・ちょっとね、思い出しちゃって」 映画は、非常に人死にが多く出るものだった。最初の頃こそ孔雀も、命を落としていく登場人物に多少は哀れに思う気持ちを持ちかけたが、バタバタと次から次へと死んでいくに従って、ばかばかしくて見ていられなくなった。元々、人の死と密接な関係に居た孔雀である。特別射殺許可まで下りていた最凶悪殺人鬼にとって、死は日常でしかない。 「思い出したって、ナニを」 親子、兄弟、師弟、恋人、同僚、上司部下、ありとあらゆる関係の中で死別していくストーリーだった。これだけ様々なパターンをそろえれば、どれか一つは自分の身近なものとして涙腺を刺激するだろう。だが、千歳が一番顕著に反応したのは、幼い子供を残して死ぬ男の最期のシーンだった。 千歳の両親は、犯罪に巻き込まれて死亡した。物心もつかない小さな息子を置いて逝くことを憂うことも許されないほどの、迅速かつ残忍な犯行だったはずなのだ。 「入院してた時のこと」 「お前が？」 「うん。・・・僕さ、巡察官になってすぐのときに、頚椎と脊椎損傷で昏睡状態になったことがあるんだけどね」 さらっと言われて、孔雀は思わず千歳の顔をしげしげと眺めてしまった。頚椎と脊椎損傷で昏睡状態？そいつが、どうして第一線のトレーサーとして活躍できるんだ？ 「僕は運が良かったんだよ」 千歳は当然の疑問にすぐ思い当たったように、微笑んだ。 「たまたま、復帰できるようなレベルの怪我だったんだよ。まあ、多少の後遺症は残ってるけどね。・・・ずっと、意識がない間、夢を見てたんだ」 「どんな？」 「ん〜、特に話すほどのものでもないんだよ。同期のやつらと雑談してるとか、スクールで勉強してるとか、そういう、日常的なワンシーンが殆どで、凄く短い夢を細切れに見てる感じだった」 「ふーん」 「目が覚めた時も、同僚とか、凄く喜んでくれたんだけどね。・・・一番喜んでくれたのは、僕が喋った時だった」 意識を取り戻してからも、すぐには言葉が出てこなかった。呼吸器をつけていたことや様々な要因があったからだが、その要因の一つに、言語中枢の損傷が疑われていた。これから一生寝たきりで、起き上がることなど出来ないだろうと思われていたから、話すことさえも出来なくなっていると判断した看護団は、その状況を千歳に負担に思わせないように、今思えば涙ぐましいまでの努力で以って「爽やか」で「明るい」応対に心を砕いていた。 「お前の最初の言葉は何だったんだ？」 「おはよう。」 ふと、孔雀は思い出した。 死に掛けている男が最期に描いた光景は、明るい朝の日差しに照らされた朝食の並ぶテーブル、生まれたばかりの息子を抱いて微笑む妻と、彼らに掛けた言葉。 「おはよう。」 「夢の中では、僕は普通に生きて、動いていた。言葉だって出たし・・・でも、不思議と挨拶をするシーンって、なかったんだよね」 「ま、あんまり夢の中で挨拶したりすることってないよな、確かに」 「まあね。・・・夢の中で自由に動いている僕が本当の僕なのか、ベッドで寝たきりで指一本動かせない状態の僕が本当の僕なのか、どっちが現実なのかわからなくて、世界の境界が曖昧で・・・」 胡蝶の夢。 夢の中の自分が本当の自分なのか、今の自分が本当の自分なのか。どちらが夢で、どちらが現実なのか。 どちらを望むのか・・・？ 「・・・でも、あの瞬間、僕にとって現実は、本当にリアルなものになったんだ。僕はこちら側に居るんだ、って・・・おはよう、って挨拶して、あんなに泣いて喜んでもらったのは生まれて初めてだったよ」 「・・・ふーん」 「そのとき初めて、自分は生きてるんだ、って思えた」 千歳は一瞬、視線を彷徨わせた。どこにも焦点の合っていない、遠い視線。その瞳には一体何が映っていたのだろうか。 「僕にとって、おはよう、って言葉は全てがそこからは始まる、原点みたいなものになったんだ。・・・何となく、それを思い出した」 「・・・二番目の言葉は『腹減った』だったとか言うなよ」 「な、何でわかったんだ」 千歳は目を丸くした。 「思いっきり爆笑されたよ。先生まで大笑いしてさあ、立てなくなるまで笑うことないと思わないか？」 千歳の憮然とした表情から、本当に今でも根に持っているらしいことが一目瞭然だった。 ・・・こいつは。 「笑い死にさせて殺人容疑で捕まらなかっただけ運が良かったと思え、阿呆」 「あっ、酷っ」 「あんな詰まらん映画を見せた罰だ！今度は翡翠も四回転キリモミフライングジェットコースターに乗せるからちゃんと呼んどけ！」 「え〜っ、あんなのに『判事』を乗せたらそれこそ殺人未遂で捕まっちゃうよ！」 「うるさいっ、文句言うな！三日俺にメシを食わせるのとどっちが良い！」 「・・・どっちもイヤだ・・・」 本気で泣きそうになっている千歳を尻目に、孔雀はひっそりと笑った。 |