|
「あかりー」 朝のラッシュがまるで嘘のように退いている首都・東京の地下鉄の中。 昼間ののんびりとした気怠い空気が漂う中、情けなさそうな男性の声が響く。暑い夏の午後の気怠さが、二割り増しになったようだ。 「話しかけないでクダサイ」 男性の隣りに座るのは、詰め襟の少年。もしも私服であったなら、見る者はみな少女と見間違ったであろう華奢な身体、絹糸のようにさらりと流れる茶色っぽい髪、色白の愛らしい小作りな顔の造作。だが、紅い唇から出てきた言葉は至って素っ気ないものだった。 「おい、親に向かってその態度はないだろー」 少年は広げている本から眼を離さない。カバーを掛けていない文庫本のタイトルは「堕落論」。まるで隣にいる親へのあてつけだ。 「本買う金があるんなら、少しくらい貸してくれたって良いだろー」 親の言葉とも思えないが、息子も負けてはいない。 「読書感想文用の本すら買ってやるカネも持ってねえ奴がバクチ打とうとすんなよ」 「パチンコはバクチじゃねえっ、お上も認めているオトナの遊戯だっ」 「家賃にも困るくらいカネ突っ込んでる時点で、もうお遊戯とは言えねーだろ」 ぐっと詰まった宗佑は、何か怪しいものを見るような眼で隣りに座る息子を見た。 「引き落とし不能通知」は見た瞬間、シュレッダーにかけた。探偵という個人情報を扱う職業上、シュレッダーだけは「親分」と呼んでいる大手探偵社の社長が贈ってくれた、上物の電動クロスカットシュレッダーで、ものの見事に粉々になる。パズルのように復元しなければ殺すと脅されたら逆切れ間違いなしの、・・・時々、質入れしたくなるシロモノ。 秘密はアレが墓場まで持っていってくれたはずだ。 「大家から電話あったよ」 「なにッ！あれだけ電話はしてくんなって」 「一晩付き合ったら一ヶ月分はチャラにしてくれるってさ。この際だし、一年分くらい先払いしてきたら？」 「おっ、おまっ、なんっ」 「リョーコさんよりは大分年増だけど、結構色っぽい声してたぜ。二週間くらい付き合って家賃がチャラなら安いじゃん」 「家賃のために身体を売れるかぁ！第一、大家は今年で還暦だ！」 「若かったら売るのかよ」 「俺は女に貢いでも、貢がせることはしない主義だっ！」 「大家がイヤなら腎臓でも売るか？バイヤー紹介するよ、広島に良いのが居るけど」 「いらんわっ！ってゆーかお前、子供のくせに怖いこと言うな！」 光は反撃をしてやろうとして本から顔を上げたが、宗佑の言った「子供」が「自分の息子」だという意味ではなく、単に「未成年」だという意味で言っていることに気付いて、思わず眉間に皺を寄せてしまった。 「大体な、お前は・・・何だよ、何で俺を変質者でも見るような目で見るんだ、お前は！」 「いや、変質者とまでは思ってないけど」 「じゃあ変態か！」 「何でレベルアップするんだよ、そこで」 光はケラケラと笑い出した。 先ほどまで不機嫌極まりなく、冷たい受け答えしかしてくれなかった息子が突然、機嫌を直したらしいことに目を白黒させていた宗佑は、気味悪そうに息子の顔を見つめた。気難しく、何を言っても皮肉と嫌味でしか返してこない息子が一体何を気に入ったのかが判らないだけに、薄気味悪くて仕方がない。 「・・・とーちゃん」 「な、何だよ」 「ジュクの四丁目にさ、『キング』って玉屋あんの、知ってる？」 「あー、あそこはどの台もすっげー渋いからダメだ」 「俺に聞いたって言ってみな、稼がせてくれるよ。ただし、他の客の手前もあるから、大儲けはできねーようになってっから、程々にな」 「・・・お前、どんだけ顔広いの」 ぱたん、と本を閉じた光は立ち上がって、笑った。 「秘密」 ぽかんと口を開けて光を見送った宗佑は、前々から、十二分に知っていたことを、改めて口に出した。 「・・・日本の将来はアイツの胸先三寸かよ」 |