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「なあ、志野」 ぐい、と思い切り袖を引かれて、一瞬本当に袖が引きちぎられるかと思った。孔雀と歩くときは余り薄い、弱い生地の服を着て歩いてはならない、と頭の片隅にメモを取りながら志野は振り返った。 「なんです？」 「あれ喰いたい」 昼間から店へ遊びに来て、「これから買出しだから」というと「じゃあついていく」と言ってひょこひょこついてきた孔雀。冗談で「じゃあお手伝いして下さいね」というと、本当に荷物を持ってくれたり（といっても小さな台車持参だったから、それを押しているのだが）、少しはなれたところにある商品を取りに行ってきてくれたり。本当に「お手伝い」をしてくれる孔雀に、志野は孔雀が言った「あれ」を見て頷いた。 「構いませんよ、私もちょっと喉が渇いてきましたし、行きましょうか」 それはテラス席もある、ちょっとオシャレな喫茶店で、志野が持っている台車も自分の席の隅に置けば他のお客さんの邪魔にもならないだろう。ランチタイムの時間内だが、昼食時はもうとっくに過ぎていて、店も空いていた。 「すみません、ランチセットとハウス・ブレンド・コーヒーを」 「はい、かしこまりました」 にっこり笑ってメニューをさげていく女性店員。志野と孔雀を兄弟と思ったか、それとも従兄弟か、親戚と思ったか…「友達」にしては年が離れすぎているし。 そういえば孔雀さんて、誰とでも「兄弟」か「親戚」と思われるんだよな、と志野は翡翠の顔を思い出していた。 確かに孔雀も翡翠も、男性とは思えない程の透き通るような白い肌をしていて、鼻筋が通っていて赤い唇、タイプは違えども「芸能人です」と言われても納得する美貌の持ち主だ。 だが、似ていないのだ。 血のつながりが全くないのだから、逆に似ていないのが普通なのだけれど、その割にはアルファ・ゾーンでは「兄弟」だの「従兄弟」だのと言って、それがあっさりと通っている。 志野とだって、全然似ていない。志野もどちらかといえばインドア派で、色白な部類には入るのだろうが、それでも彼らほどの色の白さもなければ、美しさもないし、どちらかといえば髪は茶色っぽい方で、って髪は染められるか。 とりとめもなく、シュガーポットを開けては閉めて、閉めては開けて、をとても楽しそうに繰り返している孔雀を見つめながら考えていると、先程の女性店員がトレーを持って来た。 「お待たせいたしました、ランチセットとハウス・ブレンド・コーヒーでございます」 間違いなくコーヒーを志野に、ランチセットを孔雀の前に置き、軽く一礼して女性店員が下がってから、志野はカップを手に取った。 「…あ、美味しい」 オシャレで女性に人気があって、いつも込み合っている店は大概ハウス・ブレンドは不味い、と相場が決まっている、というのが志野の持論だった。もちろん、全国を回って歩いたわけではないから、絶対にそうだとまで言うつもりはなかったが、大概、今までの店がそうだったから、初めての店ではハウス・ブレンド・コーヒーを頼むことにしていた。ハウス・ブレンド・コーヒーが不味いコーヒーハウスは、他のコーヒーも不味い。だから、今後もその店に入るか、余程回りに店がなくてどうしても何か飲みたい、というときだけ入るか、という判断基準にしていたのだが。 「…なあ、これ」 思考を遮られ、志野ははっと目の前の少年に視線を戻した。 「どうしました？」 「これ、ナニ？」 「何って、目玉焼きでしょ？」 「でも、看板にはサニーサイドアップって書いてあった」 「ああ、そういえば目玉焼きはサニーサイドアップって言って、両面を焼くのが」 「邪道」 「じゃ、邪道…」 「志野、お前んとこの店も目玉焼き、出すのか」 あの、うち、喫茶店じゃなくてカクテルバーなんですけど。 「…いえ、メニューにはないですけど、お客様がどうしてもと仰ったら、出すこともあるかもしれませんが…」 「絶対に片面しか焼くなよ。両面焼いたら殺すからな」 「はあ」 っていうか、うちで「目玉焼きをどうしても食べたい」なんていうお客さんなんか、孔雀さんくらいのものなんですけど。 内心の呟きを内心に留めて、志野は苦笑交じりに頷いた。 「わかりました、孔雀さんが召し上がる時は絶対に片面しか焼きません」 「サニーサイドアップって書いてあるから、喰いたいと思ったのに、タダの目玉焼きじゃん、しかも両面焼き…」 「…でも、美味しくないですか？」 「んあ？」 「いえ、ここのハウス・ブレンドが美味しかったから、多分料理も美味しいんじゃないかなって思いまして」 「…不味くはない」 「良かったですね」 「…うん」 非常に複雑な表情で頷いたあと、孔雀はまた小さく頷いた。 「邪道だけど、美味しいから許す」、というところだろう。こういうときの孔雀は、とてもわかりやすくて、志野でも簡単に孔雀の思考経路をたどる事ができた。 「さ、あと一軒回ったら買い物も終わりますから、頑張ってください」 「なあ、志野？」 「はい？」 「目玉焼き、喰いたい。サニーなんとかじゃなくて、目玉焼き」 孔雀の真剣な表情に、志野は微笑んで頷いた。 「わかりました、じゃあ片面だけ焼いた目玉焼きを作りますね」 「うん」 本当に嬉しそうな孔雀の笑顔に、志野も少し、楽しい気分になった。 |