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「ねえ、良いでしょ…？」 ピンクの唇が甘い吐息を吐き出す。抜けるように白い肌の少女が、隣りに座る少年に囁きかけた。 「アタシ、ずっと好きだったの」 上品な白いワンピースに付けられたレースがふわりと風をはらんで揺れる。黒い髪が肩からさらりと落ちて、少年の肩を掠めた。 黒い大きな瞳、小さな鼻、愛らしい唇。まるでよく出来たビスクドールのように美しい白磁の肌。夜の光を受けて、潤んだ瞳が輝く。 「ねえお願い、…」 その時、少年がふっと小さな息を吐いた。 「カツヤなら、来ないよ」 「え？」 「アンタだろ、カツヤの女のユキミって」 「カツヤって誰のこと、それ…」 二人が座っていたベンチの後ろの茂みがガサリ、と音を立てた。黙ったままゾロゾロと出てきたのは、いかにも法律に逆らおうと思っています、と顔に書いてあるような少年達ばかり。中にはもうとっくに暴力団員としての杯を交わしているようにしか見えない若者も居た。 「な、なに、この人達…！」 「アンタに内情を探ってこいって命令したカツヤを片づけた人たち」 少女の隣りに座っていた少年は、少女のウェーブした髪を掬ってはらりと落とした。 「あんだけ根性入れて脱色した髪を綺麗に黒に染め直して、死神みたいなメーク止めてお嬢様路線でカラダ張って男のために尽くそうなんて、泣かせるね」 「止めて、光くん、アタシ本当にずっと…！」 「殺してやりてーって思ってた？」 にっこり笑って立ち上がった少年------東城光。 裏の世界では「人形」と呼ばれ、本当の名前を知っている人間はごく僅かだけ。 「もうやめたら？とっくに割れてんだよ、カツヤはアンタを切り捨てたから」 「…」 「大体さ、俺は別にどっかのチームに属してるわけでもないし、どーしても全ての人間を跪かせたいとかそういうどっかの王様みたいな欲があるわけでもないんだよね。ヤバい女と命のやりとりするような恋愛がしたいとも思ってないし、どっちかっていうと女は嫌いだし」 くすり、と光は笑った。 「でも男が好きなわけでもないからね。付き合っててラクなのは断然オトコだけどさ」 「…カツヤを、どうしたの」 清廉な美少女が、やくざも震え上がりそうな獰猛な「メス」になる瞬間。 光は肩を竦めた。 「知らない。まあ死んではいないと思うよ、やりすぎるなって言っておいたし」 「このクソ野郎！」 小さな可愛らしいバッグから魔法のように出てきたバタフライナイフが閃く。だが、残念ながら、刃先は光の肌を掠めることも出来なかった。横から出てきた男たちの腕が少女の腕を掴み、肩を押さえつける。 「テメエら、やろうってのかよ！」 「準、どっか適当なトコに放り込んでくれる？」 見かけはその辺りに石を投げれば必ず当たりそうな、ちょっと悪ぶってみたいだけの平凡な少年に見えるけれど、目を見れば必ずしも中身と見かけは一致しない、そんな少年が笑った。 「お前はホントに女嫌いだな」 「ってゆーか、力尽くで征服することに何のイミも見いだせないだけ」 「わかってるって、俺らだってツッコミは絶対にさせねーしな」 ひょい、と準の指が動き、少女はたちまち縛り上げられ、猿ぐつわが噛まされた。死にものぐるいで暴れてみたところで、力の差は歴然としているし、第一多勢に無勢では初めから勝負がついている。 「で、どこがいい？この際、皇居前の堀にでも放り込むか？」 「準、悪趣味」 「わーってるよ。原宿が良いだろ、コイツらが根城にしてるところが一番長く『お泊まり』させてくれるだろうしな」 「よろしく」 もう、全く興味を失ったように背を向ける光に、準だけがついてきた。あとはわざわざ準が命令しなくとも、少女の「処理」をチームの部下が行うだけだ。原宿のどの警察署に少女を投げ込むかという判断は彼らが勝手にしてみせることだろう。 「それにしても驚いたぜーっ、あいつがあのユキミだなんてよ！てっきりお前がガッコでつり上げた彼女だとばっかり思ってた」 「女は化粧で変わるんだよ。準だって知ってるだろ、何回痛い目に遭ったら学習するんだよ」 「うっ、痛いところを！」 おどけて見せる準に苦笑すると、光は欠伸をした。 「あいつも疲れただろうけど、俺も疲れたよ。イイ子のふりしてる方がよっぽどマシだな」 「嘘吐け、結構サマになってたぜ、悪の支配者ゴッコ」 「もういいよ、ホント。疲れた」 その言葉には本当に嘘がないのだろう、うんざりした光の表情には確かに疲れ切ったようなものがある。準はもう一度、笑った。 「雨に濡れたベンチで愛を語らう二人、か。悪いけど笑いを堪えんのにかなり苦労したぜ」 「俺だって腹がよじれそうだったよ」 雨に濡れたアスファルトが、水銀灯の光を受けて明るく輝いている。光は水銀灯を見上げて、呟いた。 「なあ、準…？」 「何だ？」 「つまんないと思わねー？」 準は黙って光を見つめていた。 基本的に、準は光のいうことは聞くし、頼みも二つ返事で引き受ける。だが、準と光の間には友好関係はあっても支配関係は全く、ない。外から見れば準が光の命令で動いているように見えるのかもしれないが、準は一度も光の「命令」を受けた気はないし、光もそのはずだ。両者の利害が一致していることと、準が光の言うことに理がある、と認めているからこそ、光の指示に従っているのだ。 「…お前は何でジュクを支配下に置いたんだ？」 「別に。自由が欲しかっただけ」 「自由って、一番つまんねーんじゃねーの？」 光は再び準に視線を戻すと、苦笑した。 「準、お前って官僚か警察の幹部が向いてたと思うよ」 「今更どっちも無理だろ、品行不良すぎらぁ」 「それは俺も一緒だけどさ」 泣く子も黙る新宿一のチームのヘッドと、新宿、渋谷、原宿の三つの街を支配下に置く少年と。 二人はあまりにも切れすぎるために、悪の道にも、平凡な「正しい道」にも浸かりきることができず、どちらにも足を踏み込んでいる。その燃焼しきれない、燻った想いが二人を引きつけ合わせているのかもしれない。 「光、久しぶりに走ってみねーか」 「や、マジで疲れたからもう帰る」 「何だよ、女の一人や二人コマすくらいで」 「悪の支配者ゴッコは疲れるんだって。準も今度女の子の前でやってみろよ、恥ずかしくっていつもの二倍疲れるから」 「…それはやらなくても判る気がするからいい」 「ちぇ、卑怯者」 肘で準を小突いた光は、空を見上げて、それからもう一度準を見上げた。 「でも家までは送っていって欲しいかも」 「…そんなに疲れんのかよ」 「俺は家では『東城家の法と秩序を守る正義の味方』やってっから、体力を温存しておきたいんだよ」 「お前のとーちゃんも変わったひとだもんなー」 狂犬とすら言われ、恐れられている準に同情される父親を持つ自分は一体何なのか。 考えると余計に虚しく、疲れも倍増するだけだと悟った光は、溜息を吐き、天を仰いだ。 どうか準のバイクの後ろで寝こけて、振り落とされませんように、と。 |