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ちらりと腕時計に視線を落とした涼子の様子を見て、田島は重苦しい溜息を吐いた。 「来ますかね？」 「そりゃあ来るわ、彼のほうから呼び出してきたんだし」 それに、と心の中で呟く。 あの子は相当頭の切れる子だけれど、悪い子じゃあない。下手な大人より余程辛辣で冷酷な考え方をする一面もあるけれど、・・・それでも、芯の腐った子ではない。 嶋村涼子はもう一度時計に目を落とした。午後九時過ぎ、一般的には決して早いとはいえない時間だが、警視庁捜査一課の警部補としてはまだまだ宵の口でしかない。とはいえ待ち合わせの相手の年齢を考えると、なんとも微妙なところだ。約束の時間を五分ほど過ぎた時、部下がまた口を開いた。 「嶋村さん」 「ごめん、リョーコさん」 ほぼ同時に左右から話しかけられた涼子が一瞬反応に遅れた時、どん、と肩を叩かれた。 「なんだよリョーコさん、オトコ居るんならとーちゃん手玉にとって甘い夢見させないでほしいよなーっ」 周囲に響くような大きな声。百パーセント悪意による大音声でとんでもないことを言われた涼子は、無邪気な少年を装う小憎らしい相手------東城光の頬を思わず反射的に捻り上げていた。 「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい！」 「あたた、官憲の横暴を許すなー」 光はちらりと隣の田島を見て、眉を寄せた。 「なに、リョーコさん、まだ仕事中なの？仕事終わってからって言ったのに」 「もう仕事は終わってるわよ」 田島は油断なく光に視線を配っている。涼子は軽い口調で言った。 「なあに、仕事中だとまずいの？」 「や、俺は全然まずかないけどさ。公務員に仕事サボらせんの不味いじゃん」 そういい終えてから、光は涼子の隣に立つ田島の、硬い無表情を見てやっと納得がいったように苦笑を浮かべた。 「ああそうか、仕事がらみだと思ったからおじさんがついてきたんだ」 気を悪くする風でもなく、光は屈託の無い笑みを浮かべて言った。 「丁度言いや、おじさんにも付き合ってもらおうかな」 「光君、付き合って欲しいところってどこよ？」 刑事に向かってはっきりと認めたことは無いが、新宿を初めとする歓楽街を掌中に握る、この少年の「お誘い」に危険を感じた田島が付き添ってくることになったのだ。「付き合って欲しいところ」によっては、二人でも危険なことも無いとは言えない。だが、光はけろりとして言った。 「んーと。ドラッグストアってーの？安い化粧品とか売ってるとこ」 「・・・誰が使うのよ？」 「俺だと思う？」 「彼女へのプレゼント？」 化粧品のプレゼントなんて、ませているというべきか、女の子に対して失礼だと忠告すべきか。悩む涼子に、光は思い切りイヤな顔をした。 「もしそうだったら、ドラッグストアなんかで調達するもんか」 「・・・どうしたんだね、一体？」 興味を引かれた田島も尋ねる。そこには先ほどのような警戒心はなかった。 「それがさー。渋谷のゲーセンで遊んでたら、顔見知りのレディースのヤツが店に入ってきたんだよ。最初はフツーに喋ったり遊んだりしてたんだけど、そのうち喧嘩始めやがって。店の迷惑だからやめろってみんなで止めたんだけど、たまたま俺の手がそいつの持ってたポーチっての？叩き落す形になっちゃって」 女同士の掴み合いの激しい喧嘩を仲裁しようとして間に割って入ったときに、女の子の一人が持っていたショルダーバッグが床に落ちた。中身が飛び散り、転がり出てきた口紅が何かの弾みで根元からぽっきりと折れてしまったのをみた女の子が、今度は光に食って掛かり、挙句に、 「折れたのよ。責任とって」 ということになったらしい。 「まあそれは災難だったわねェ」 「カオ笑ってる、リョーコさん」 「あら、そんなことないわよ」 明らかに面白がっている笑みを浮かべている涼子は、隣に居る田島に視線を向けた。 「口紅を買いに行くのに、彼もつき合わせる気？」 「おじさんの目から見た意見も大事だと思って」 「・・・それは二人に対する嫌味？」 決してけばけばしいわけではないのだが、人目を引く容姿をしているために、どうしても派手に見えてしまう涼子と、素直に「お兄さん」と呼ぶには抵抗があるが、さりとてまだ開き直って自らおじさんとも言い出せない、微妙な年代にさしかかりつつある田島と。二人が微妙に引きつった表情になっているのを見た光はくすりと笑った。 「俺の用事をきな臭いものに勝手に勘違いしたんだから文句言わないの」 「・・・私が見たってわからんよ、口紅なんか・・・」 「いや、だからさー、おじさんから見てケバくないのをみてくれたら良いんだって」 「何よ、私が見立てたらケバいとでも言う気？」 「滅相もございませーん。・・・凄く流行のとかじゃなくて、いっちばん定番！感じのを選んで欲しいからリョーコさんの意見も必要なんだよ」 「流行ってちゃダメなの？」 思わず涼子は首を傾げた。定番カラーなら何も涼子に付き合わせなくても、店員に相談すれば済む話だ。光はにやりと笑った。 「だって黙って言いなりに弁償させられんのって悔しいじゃん」 「だったらお店の人に」 「・・・俺一人で口紅買えって？」 「・・・わかるよ」 憮然とした口調で田島が思わぬ理解を示したところを見ると、彼にも過去に何か似たような立場に陥ったことがあったのかもしれない。 大人びてはいるけれど、やっぱりまだ子供なのよね。 涼子は苦笑して、案外可愛らしい用件で自分を呼び出した光を見つめていた。 |