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ヤツが来る。 必ず、今年もヤツは来る。 ジャックはここ一週間、顔色が優れないし、カグラは何か考え込んでいるようだ。そして、宇宙一、頼りにならないくせに胡散臭さだけはこの世で随一のリーダー、フェイナンは。 「二回も煮え湯を飲まされる趣味はないね」 そういって妖しく微笑む。 イェイクは…イェイクが何を考えているのかわからないことは、いつものことだから、これは誰も特に気にしていない。 ぽすぽすぽす。 何か、柔らかいもので扉を叩く音がする。 時はまさしく「逢魔が時」。 そして。 「開けねーと蹴り破るぞ」 奢れ、とにかく奢れ、の段階は卒業したらしい。開けることすら拒絶させない気か、とジャックが思った時、フェイナンがにっこり笑ってジャックを制し、自ら扉を開け、恭しく一礼した。 「これはこれは大魔王様、久方のご来訪をお待ち申し上げておりましたよ」 扉の向こうに居るのは、去年と同じ、黒い暗室のカーテンのようなマントを巻きつけた上に、妙にとんがった帽子を被った魔王、もとい、あの少年だった。 去年と違うのは、右手にどこから手に入れたのか、オレンジ色のポリバケツと、左手にはカボチャのぬいぐるみのついた、珍妙な棒を持っていることだった。 「…今年はまたヘンなもの持ってるね」 「この杖か？そこの屋台で売ってた」 そういえば、ハロウィン用グッズの中に、そういうオモチャがあったような気がする。 子供向けの。 ずい、と右手のポリバケツがフェイナンの胸に突きつけられた。 「奢れ」 「…命令形のみ？」 ガス、と音がしたとき、カグラとイェイクがぴくり、と反応した。痛そうに頭を抱えて呻いているフェイナンの姿は殆ど視界の端にしか映っていない。命に別状はなさそうなことがわかっているからだ。それよりも、子供用のおもちゃの軽い杖で、ガス、と鈍い音がするほどにフェイナンを叩きのめしたその力とスピードに、二人は反応したのだ。 殆ど、動きは見えなかった。 一気に空気が緊迫したのをジャックが感じた時、少年が言った。 「奢らない、奢ります、奢る、奢るとき、奢れば、奢れ」 「…多分、活用形が聞きたかったわけじゃないと思うよ…」 「うるさい、俺は忙しい。翡翠が待ってる」 「…翡翠？」 「友達」 少年の眉が少し不愉快そうに寄せられた。 「アイツ全然ひとの言うこときかねーし放っとくと飯もロクに喰わねーし」 だから、その友人のもとへ、去年で味をしめた、美味なクッキーやキャンデーを運んでやろうということか。力尽くで強奪していくつもりならこちらにも考えはあったが、言葉上はともかくも、少年はあくまでもこちらの「奢り」をじっと待っている。 尤も、少年の不興をかったのか、フェイナンは殴られたが。 「…去年みたいに、たくさんは上げられないけど。それでも、良い？」 ジャックが言うと、少年はこくんと素直に頷いた。 「はい、どうぞ」 一人の子供に配る分量としてはいささか多すぎたが、彼が「友達」のことを言った時の表情が、どこかジャックの気に入ったらしい。 オレンジのポリバケツの半分にも満たなかったが、それでも少年は満足げに頷くと、一度ポケットへ突っ込んだ手を差し出した。 「…何？」 「やる」 恐る恐るジャックが手を差し出すと、小さな、小さなナイフと皮の鞘だった。ナイフを取り出してみると、心なしか、刃が蒼く光っている。 「魔除けにもなるぞ。刃を叩いたのは俺じゃなくてユ…いや、とある民族の族長だけど、最後に灼き締めたのは俺の焔だ。絶対に欠けない」 それは、ワインの封を切ったりするのに丁度良いような大きさだった。少年なりに考えて、「対価」を支払ったつもりなのかもしれない。とはいえ、このナイフは大きさこそ小さいが、品質は相当のものだ、ということが一目でわかるようなシロモノだ。いくら屋台村で美味しいと評判のクッキーを気前よく分けてやったとはいえ、これでは「対価」を不当にもらい過ぎている気がする。 「あ、いけね、メシの時間だ。奢ってやんねーとアイツ、メシ喰わねーからな」 「君が奢ってあげるの？その、さっきの人に」 少年はこくんと頷いた。 「ああ、あいつの金で俺があいつに奢ってやるんだ」 「はい？」 「んじゃな」 ばたん、と扉が閉められた。 まるで何もなかったかのような静けさがバーに戻る。 ただ、違うのは、余程痛かったのだろう、未だ頭を抱えてうずくまるフェイナンと、ジャックの手の上に乗る小さな蒼みがかった小型ナイフの存在が、今の出来事は夢ではなかった、という証拠だった。 「…奢る、って普通自分がお金を出すのよね」 「普通はな」 やっと立ち直ったらしいフェイナンが、いてて、と呟きながら立ち上がった。 「カグラにまともに蹴られた方がまだマシだと思うくらい重かったぞ、アレ…オモチャの杖だったよな？」 「少なくとも私にはそう見えたけど」 「あー、渡しそびれたな」 フェイナンが不服そうに見やった先には、見事な大きさのカボチャが一つ、転がっていた。 「今年はアレをやろうと思ってもらってきたのに」 「パイでも作らされるのがオチだと思うけど」 「それより、目の前で全部食われたらどうすんだ」 ぼそりと呟いたイェイクの言葉に、他の三人は押し黙った。 去年は、お菓子だった。 だが、もし、目の前で、あのカボチャで作ったパイを全て食べ尽くされて、その上、また「そろそろメシだから帰る」などと言われたら。 ジャックはナイフで、そっと目の前にあったパイを切ってみた。まるで手応えを感じさせずに、全く型崩れさえせず、さっくりと切れたパンプキン・パイ。 使うのが惜しい、いやむしろ恐ろしいほどの切れ味。 「魔除けにもなる」というのはこのことかもしれない、と思いながら、ジャックはナイフを鞘に収めた。 「…さ、フェイナンも手伝ってよ。今年こそは、ちゃんと子供たちにお菓子を配るんだからね！」 「へいへい」 今年も意趣返しができなかった、来年こそは！と思いながらも、「もう来ないでくれますように」と思う気持ちも否定できない、内心複雑なフェイナンだった。 |